残したもの




 濃すぎる瘴気は力のない一般人へも影響を与える。それは成明だけでなく、この道のものならば誰でも知っている。 おそらくそれなりの力を持つ修験者や僧はこのあまりにも濃すぎる瘴気がこのあたりを包んでいる事に気付いたことだろう。寺院、神社ではこの異変に気付いてなんらかの修法を行っているかもしれない。
 対峙しているのは成明と空中に浮遊した成明の祖先、安倍晴明二人だけ。なぜかその場には晴明神社のものの姿は見当たらなかった。

「おい晴明、なんかおかしくないか?」
『おかしい?お前の頭がか?』
「……晴明」
『ちょっとした冗談だ。で、何だ?』

 成明はぐったりと力が抜けたようではあるが、視線は冷たく晴明を見上げた。それをものともせず、晴明は飄々としている。晴明らしいといえばらしいのだが、やはりこれだけの瘴気を目の前にして、それほどの軽口をたたける気の強さは、成明にはない。その成明を落ち着かせるためかどうかはわからないが、晴明は軽口を連発する。

『それにしても見事な瘴気だなぁ』
「見事って……そーいう問題かっ!」
『見事だとは思わぬのか?これほどの瘴気を作り出すとはよほどの実力者だぞ。成明には無理なことだ』
「なんで俺が瘴気なんか作るんだよっ!!」

 ぎゃいぎゃいと晴明に向かって吠えてはいるものの、のれんに腕押し、そんなこと晴明にとって痛くも痒くもない。もちろん、成明自身もそれをわかってはいるのだが、今、この目前で起ころうとしていることを、おとなしく見ているのも難しい事だった。
 事実、晴明は軽口をたたき続けてはいるものの、表情はいたって真剣だ。成明をからかうような事を言い続けてはいても、視線はずっとその瘴気の吹き出ているあたりに注がれているし、そのまなざしは真剣そのもの。そして成明もまた、晴明に向かって吠えてはいても、一瞬たりとも視線をそらすことが出来なかった。

「晴明、親父たち、儀式を始めたみたいだぞ」
『そうか、ならば安心して見ていられるな。さてさて、何が出てくるものやら』
「気楽なやつだなホントにっ!何か出てきたら俺たちがなんとかしなきゃならないんだろ?そんな気楽に構えてていいのか?!」
『そうは言うても、現れるものがなにかもわからぬのに何も出来ぬであろうが』
「〜〜〜っ!」

 晴明の言葉は至って正論である。正論であるがために成明はうなり声をあげるのだが、何か言っていないと落ち着かないのだ。これから姿をあらわすであろう、その瘴気の『元』が、どれほどの力を持っているのかはわからない。だが、いま現在感じる瘴気の濃さは尋常ではないことはわかる。それ故に、落ち着いていることが出来ないのだ。
 もちろん、晴明もそれをよく解っているからこそ、成明の言葉をからかいつつもすべて返事しているのだが。晴明にとって、これから現れる『モノ』に対しての恐怖はそれほどでもない。だが、子孫であり、自分の力を次いでいると思われる成明が萎縮するであろうことはよく解る。それほどに強大なのかもしれない力を、感じているのだ。

『成明、九字を切れ』
「は?」
『姿を隠しておくくらいしておいた方が、様子を見る事が出来るであろうが。それくらいは思いつけよ』
「わ、わかってる、それくらいッ!!」

 焦ったように印を結び始める成明の傍ら、晴明は一瞬も視線を外さない。視線を外したその瞬間に、何かが現れ、何かをするとは限らないのだが、目を離すことができないのだ。ふつふつとわき上がる高揚感のようなものは、その『モノ』と対峙するからだろうか、それともこの『力』 に対するものだろうか。それは晴明自身にもわからない。だが、何かわき上がるような力のようなものを感じている。肉体を持たない晴明にとって、それがどんな影響をもたらすのか、それは晴明にもわからない。
 だからこそ、平常心を貫くよう、落ち着きを保つようにしている。

『来るぞ』

 その晴明の言葉を合図に、禍々しい気が『形』になり始める。瘴気は通常目に見えるものではない。だからこそ、その禍々しい気が『形』 になり始めたとしても目に見えるわけがないのだ。だが、それは違った。その『モノ』は明らかに『形』を形成し始めている。いくら力が強くても、『気』が形を持つ事などあり得ないはずなのに。

「どういうことだよ……」

 結界によって、その姿は余人に見られることはない。それは相手が怨霊や術者であっても同様だ。 その見えない壁によって禍々しい気の『元』から隠れているとは言っても、目に見える光景は、直接見ているのとなんら変化はない。見えない壁が出来たからといって、成明側からはなんの変化もないのと変わらないのだ。自分で壁をつくったとしても、成明にとってはやはり恐怖を感じざるを得ない。今まで対峙した事もないほどの、強い瘴気を目の前にしてしまっては。

「なんだよ、あれ。なんで気のカタマリが形になったからって人の形で目に見えるんだよ……!」

 その瘴気の吹き出るところから現れたのは、生きているものとほとんど変わらないような、人の姿だった。
 どこから見ても、人にしか見えない。だが、成明が恐怖に感じるほどの禍々しい気の中心から、人が現れることなどあり得ない。人間がもしあの瘴気の中心にいたとすれば、類に漏れず気が狂いだすほどの濃い瘴気だったのだ。
 目を丸くした成明は、空中に浮遊している晴明に視線を送った。晴明は何も言わず、その『気』を見続けている。その気は形を作りはじめ、人型となった。その人型に、晴明は見覚えがある。それはもう、とても良く知っているのだ。

『なぜ、そなたが……』

 驚愕とも言える表情をして、晴明はその姿を凝視した。その人型を包んでいた気がやがて薄れて来ると、その人型の容姿がはっきりと目に見えるようになる。
 成明は陰陽師であり、人に見えないものが見える力を持っている。だが、その力は現代の陰陽師の中で最たる実力者。その人に見えるものが、人間なのか、怨霊なのかの区別はつく。禍々しい気の中央から生まれたかのように見えたその人型は、どう考えても怨霊、もしくは気のカタマリのはずだった。それなのに、成明には不可解なことが起きている。その人型は、人にしか見えないのだ。

「人間……?!」

 薄れていく瘴気の中で、その『人』はふわりと微笑んだ。

「お迎えに来て下さっていたのですね、晴明さま」

 成明の結界によって、対手には成明と晴明の姿が見えるはずがない。それなのに、その『人』には見えている。そうわかったとき、成明はぞわりと鳥肌を立てた。
 姿を現したその『人』はどう見ても普通の人間であり、その『人』は晴明までもが見えている。そして晴明を知っている。成明はごくん、と喉を鳴らして、晴明を見上げた。晴明の視線は、その『人』に注がれている。

「お会いしとうございました、晴明さま。そして、成明どの」

 ふんわりと微笑んだその女の姿をしたものは、成明までもを知っている。その言葉に驚き、成明はその女を見ていた。

「そのような怖いお顔をなさいますな、成明どの。わたくしのことは晴明さまが良く存じておられます。さようですわね、晴明さま」
『なぜそなたがここにおるのだ。そなたは安らかな眠りについたのではなかったのか』
「わたくしはただ、晴明さまにお会いしたかっただけでございます。ただ、あるじさまのもとに居たかった、それだけでございますわ」

 彼女が見せる微笑みはとても優しく、とてもではないが瘴気から現れた瘴気の『元』
とは思えなかった。そのうえ、成明が作った結界までもを見破っている。その相手が誰なのかさっぱりわからない成明にとって、その人物は不振な女でしかなかった。
 だが、晴明にとっては知る者であることは見ていればわかる。結界は解かず、警戒をしたまま、成明はその女の方を見ていた。

『まさかそなたが現れようとはな。"御使い"とはそなただと言うのか?』
「何をおっしゃっておられるのか、わたくしにわかりません。ですが、晴明さまのおられるところにわたくしが居ることが出来るのでしたらば、何も怖い事はございませんね」

 す、と足を進め、女は成明と晴明に近づいてくる。衣擦れの音をわずかにさせながら、歩いてくる。さらさらと聞こえる、単衣の衣擦れの音は、人のいない静かな晴明神社に響き渡っているようにも感じられる。

「晴明……誰、なんだ?」
『お前の血に連なるものだ。結界はそのままにしておけ、結界の外の瘴気がどうなっているのかわからぬ』
「あ、あぁ……」

 晴明に言われるまま、成明は警戒しつつ、結界を解かずにその女を見ていた。
『梨花』

 そう、晴明に呼ばれた女は、ふんわりと嬉しそうに微笑んだ。

「また、晴明さまに名を呼んでいただく事ができるとは思いませんでしたわ。さ、晴明さま、どうぞ降りてきてくださいませ。わたくしのそばに来て下さいませ」
『梨花、なぜそなたがここにおるのだ。そなたはこの世に何かを残して逝ったのか』
「……それを、あなたさまがお聞きになるのですか、晴明さま?」
『……どう言う意味だ?』
「わたくしが残したものはただひとつ。わたくしは、あなたをひとりにしてしまいました。わたくしが残したものは、あなたへの想い。それ以上のものがあるわけはございませぬ」

 晴明は何も言わず、ずっと険しい視線を梨花に注いでいる。梨花と呼ばれた女は、ずっと微笑みを絶やさずに晴明を見つめている。成明は、その梨花と呼ばれた女が何者なのか考えつつ、晴明を見ている。

「晴明……」
『どうした、成明』
「梨花って、誰だ?」

 その場の緊張を、一瞬にして成明はほどいた。晴明の背中に張り付いていた緊張感は一気にゆるみ、かすかではあるが、あの意地の悪い微笑みを、晴明に取り戻させた。

『お前、本気で言ってるのか?』
「嘘ついてどーすんだよ、知らないから聞いてるだけだけど」

 この天真爛漫さというか、緊張感を感じているはずなのに緊張感をなくす成明に、晴明は救われたような心地すら感じた。

『晴明の妻(さい)だ』
「へぇ、奥さんか……って晴明、奥さんなんていたのか?」
『妻もおらずになぜお前がいるんだ、馬鹿者』
「あ、そうか。……って、そしたらもう生きてないんじゃ……!!」
『成明どのは不思議なお方でございますわね』

 くすくすと梨花が笑った。成明が崩したはずの緊迫感が、またその場に包まれる。ただひとこと、梨花が言葉を発しただけで、晴明は一瞬で緊張した表情に変わるのだ。

「晴明……」

 なんとも言えない表情になっている成明をちらりと認め、晴明は微かに微笑んだ。ただ、その一瞬だけだった。晴明が、梨花から視線を外したのは。

「お迎えにあがりましたわ、晴明さま」

 その一瞬に、梨花の背後から再び瘴気が吹き出した。先ほどと同じくらい、いや、それよりも強い瘴気が、成明たちのいる結界に向かってくる。結界の中にいるのだから、余人には二人の姿が見える事もなく、瘴気が入ってこられるはずもない。
 ないはずなのだが、梨花には姿を隠す事も出来なかった。そしてその吹き出した瘴気のカタマリは、晴明をめがけてまっすぐ向かってくる。強すぎる禍々しい気は、あたりに歪みまでも与える。この晴明神社に人影はない。ない、が、その強すぎる気があたりにどのような影響を与えているか、二人にはわからなかった。そしてそれ以前に、目の前にいる梨花の危険さは、成明にも、晴明にもまだ、わかっていない───



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