愛された子供






 晴明は何も言わずに浮遊している。成明はその後に続くようにして歩きつづけていた。清汰のいた場所にたどり着くまではとても長く歩き続けていたような気がしたものだが、帰り道はさほど遠く感じることはなかった。ただ、空気は酷く重く感じられたけれど。
 今はもう、清汰の声は聞こえない。もちろん、神将が送る思念のようなものによって感じ取ることはできるけれども、あの泣き叫ぶような、訴える声は消えていた。あの木から抜け出したことでひとまず落ち着いているのだろう。
 成明は歩きつづける。森の外まで。
 神社を抜けるまで聞くなと晴明に言われた。聞きたいことはいくらでもある。早く神社を抜けてしまえば、晴明に聞くこともできるのだろう。ならば、早く。早く歩けば良い。そんな成明の思考を感じ取っているのか、晴明はちらりと成明を見て難しい顔をした。
 晴明はどうするべきか迷っている。清汰を助け出す方法を考えてはいるものの、それをすることが最善とは思えないのだ。最善どころか、最悪の状況を巻き起こす可能性もないとは言えない。
 清汰が木縛されていた理由を理解した晴明は、最善と思われる方法を探す為に思索していた。ただ、いくら考えても最善が見つけられない。人柱という贄にされた子供。その子供には理由があるのだから。

「よし、神社出たぞ。質問して良いよな?」
『……良いだろう。だが、歩け。出来るだけここから遠ざかりたい』
「なんだよ、それ」
『早くしろ』

 清汰が贄になった理由を話すことでさえも躊躇われる。成明の愕然とした顔が想像できるからだ。だからといって、黙っているわけにもいかないだろう。黙っていたからといって、清汰をあの場所に放置しておくわけにもいかないのだから、何かの対策が必要だという事実は変わりない。
 晴明はちらりと成明を見た。成明はよくわからない、といった顔をしていたがとりあえず歩き始めた。通りは車どおりも多く、人の姿もちらほらとある。もう少し人がいなくなるまで晴明と話をするわけにはいかない。そうでないと、成明自身が『変な人』と言われてしまうのだから。
 しばらく歩いて人の影が少なくなっていく。辺りはすでに真っ暗になっている。人影が無いことをちらちらと確認してから、成明は晴明に声を掛けた。

「晴明、そろそろ良いだろ?」
『……ああ』
「清汰は……どうして」
『……あれは贄だ。遠い昔、人があの森を支えるために清汰を贄にした』
「だから贄って……」
『生贄だ。何かを捧げて守護を得る。神饌のようなものだ。そして相手が清汰を選んだ』
「……え?」

 さらりと晴明が言った言葉を飲み下すには、成明には時間がかかった。生贄、と晴明は言ったのだ。成明の頭の中では、人柱と言ってもせめて死んだ子供だと思っていた。けれど晴明の言葉はそうは受け取れない。しかも、神饌。

『あの森が清汰を欲しがった』
「ちょ、ちょっと待て晴明。人柱って、そういうものなのか!?」
『まあ無いとは言わぬ』
「……なんだよ、それ…………」

 成明が呆然と足元を見詰める。足は止まり、手はだらりと垂れ下がっている。何があったのか、何が起きているのか、成明が理解するには時間が必要だった。そして、その現実は、晴明が優しすぎると感じる成明だからこそ、苦すぎるものだ。

『良いか、よく聞け。清汰は生贄だ。ただ、あの森に置き去りにされただけの子供。そしてその子供を望んだのは森の──何かだ。神か、鬼か、それはわからぬ。おそらく清汰がよく森で会っていたという女が欲しがったのだろう。人間にとってはそれは森の神と思われていたのかもしれぬ。その女が清汰を欲しがり、この辺りの人間たちは清汰を贄に差し出して森を守った』

 いつもいっしょにいてくれるおねえちゃんがいてね──。

 そう清汰が言ったのだ。清汰が森に来て、その女と遊んで、毎日通ううちに女は清汰を欲しがった。そして、おそらくは町の人々に言ったのだろう。
"大樹が落ちる。さすれば町は失われるだろう。それを止めたくば──清汰という子供を差し出せ"、と。

 町の人間は言われたとおり、清汰を差し出した。清汰の母が謝っていたのは、おそらくはそれを知った母が連れ去られる前に逃げ出そうとでもしたのだろう。どこの世の親だって、自分の子を生贄に差し出すなど嫌に決まっている。

『おれはそういう人間を何度か見てきたことがある。そうされても仕方のないような、その"場"を崩したような愚かな人間もいるし、ただ町の人間たちに選ばれただけの者もいる。誰だって生贄になどなりたくはないだろう。誰もが助けを乞い、嘆く。怨霊と化して町の人間たちを呪い殺そうとする者もいた』
「……清汰も、そんな一人か」
『そうだ。だが清汰の場合は人間が勝手に選び出したのではない。女が望んだ。だから木縛されている』
「どういう意味だ……」
『よく考えろ、成明。人間が、木に埋まることなどできぬだろう』

 あ、と弱々しく成明が呟いた。晴明は透きとおる姿ではあるけれども、眉間に皺を寄せて難しい顔をしていた。

『清汰が会っていたのは、あの木、いや、もしかしたら、あの森全体を支える何かだろう。おそらくは──ある意味、悪しきモノではない』

 人柱は大抵が根元に埋められる。橋を建立するためであったなら、橋の根元。屋敷を立てるためであったなら、屋敷の下の土壌の中に。
 けれど、清汰は土中に埋められてはいない。
 『木』に『捕らわれて』いたのだ。
 そしてそのようなことが出来るのは──確実に、人ではない、何か。
 ある意味、悪しきモノではないだろう、と晴明が言うのは、事実清汰を手に入れたことであの大樹は相当な年数を生きているからだ。大樹を切り落とせば年輪によってどれほどの月日を清汰が支えてきたかわかるだろう。もしも悪しきモノ──清汰を手に入れるためだけに贄にしていたとしたら、もっと早くにあの木は倒れていただろう。神の坐す神社傍の森の中に、悪しきモノが取り込んだ『何か』があれば、神はすでにあの大樹を落としていたはずだ。
 だが、あの大樹はいまだ年輪を刻んでいる。つまりそれは神が許している、ということだ。

『下手に手を出せばこちらが神の怒りを買う』
「でも、清汰を出しても何も起こらなかったぞ?」
『今はな。代わりにといって石を置いただろう。おそらく、明日の朝にはあの石の形は変わっているだろう。下手をすれば消えているかも知れぬ』
「……それって」
『清汰の代わりにいるのだから当然、何事もないはずはない。だが、近くに清汰がまだいる。それにあの石はあの神社にあったものだ、少しは持つはずだが……どれぐらい、とは言い難い』

 細い指を顎に添えて、晴明は考えている。成明は唖然としたままだ。
 あの石で一晩持てばまだ良いだろうと晴明は考えていた。あの石は神域にあったもの、そして人の願いに触れてきたもの。少なからず石に力が宿っている。だから一晩ぎりぎり保てるだろうと晴明は考えている。
 一晩。
 あと何時間持つのか、はっきりとは断言できない。夜明けと共に崩れ落ちるか、それとも昼日中までもつか──。
 だが、あの石が砕け散ったならば、あの神域の森がどうなるか。それは晴明にも想像がつかなかった。
 清汰を欲したという『女』。それが誰なのか、何なのか、依然明らかになっていないのだ。その『女』が何者であるか、なぜ清汰なのかがわかれば、あるいは……とは思うものの、晴明は清汰さえもまともに接触することが出来なかったのだ。どのような手を施せるのか、いまだ晴明には浮かばなかった。

「なあ、晴明」
『うん?』
「その女の人って……どんな人だろう」
『さあ、わからぬな。清汰もその女については何も言っていなかったし……あの場で下手にその話を出す方がまずいと思ったのでおれも聞かなかった』
「……寂しかったのかな」
『成明?』

 ぽつりと成明が呟いた。その女の人が、寂しかったのではないだろうか、と。
 けれど晴明はそれ以上の言葉を留めた。もしかしたらそうかもしれない。だから清汰を欲したのかもしれない、それは晴明も思わなくはない。だが、それを言霊にするのは余りに危険に感じられたのだ。

『それ以上言うな。下手に同情すると清汰を助けられぬぞ』
「でも、清汰だけ助けて、その人が……」
『やめろ、成明。お前が欲される可能性もあるのだ』
「は?」
『忘れているかもしれないが、お前はこの晴明の子孫だ。"こちら"ではその血だけでも欲するものは少なくはない。もしその女が清汰の代わりにお前が欲しいと言ったらどうするつもりだ。言っておくが、おれは何でも出来るわけではないぞ。あの神域の神とは争えぬ』

 透きとおって見えていても、その晴明の表情が険しいことは成明にもわかった。晴明の逼迫した雰囲気に呑まれた、というのもあるが、自分のことを心配してくれているのだとわかった成明はそこで口をつぐんだ。
 よくよく考えれば、成明は贄にはもってこいの器だろう。晴明の血を受け、強い霊力を持ち、しかも時の帝の魂を持っている。怨霊だけではなく、神にも求められる存在であってもなんらおかしなことはない。
 成明自身にとって血族は自分の親とその親ぐらいの印象しかないだけに、それほど自分が求められるなどとは想像も出来ないだろうけれども、成明が知らないだけで知るものは欲しがる。おれはおれだ、と成明が言ったとて、相手にそれが必ず受け入れられるとは限らないのだ。
 そして実際、今回はそれが通じるとは到底思えない。相手は神に関係ある者だ。それが天津神そのものであったならまだマシかもしれないが、もし国津神や疫神などであったなら──そんな相手は成明を求める可能性が高い。それだけ稀少な存在なのだ。

『安易に言葉にするな。お前の言霊には力が宿る』
「……晴明」

 晴明も成明が言いたいことを理解できないわけではない。ただ清汰を助けたい、それだけを考えるのもわかっている。だがそのために取る方法を考えれば考えるほど──それを認めることは出来ない。
 そして成明もまた、晴明が理解しないのをわかっていた。そう、『誰だって』生贄になんて捧げだしたくないだろう。たとえそれが、遠く離れた血縁、祖と子孫であったとしてもだ。逆を考えてみれば良い。この浮遊霊化している晴明を寄越せといわれたら、成明は晴明を差し出して清汰を助けるか?
 答えは、否だ。
 清汰は助けたくても、晴明を売ることは成明には出来ない。たとえ晴明自身がそうしろと言ったとしても、否と答えるだろう。
 人の情はそういうものだと晴明は知っている。そしてそのために自分がどれほど冷酷になれるのかも知っている。陰陽師は、そうしなければいけないときがあるのだから。だが、成明はそうはなれない。成明は己を差し出すことには否やはない。どれほど恐怖に怯えても、己を犠牲にすることに躊躇いがない。それは晴明が一番嫌いで、一番危惧するところである。

『そういえば──秋陽は何か言っていたのか』
「え?」
『秋陽に連絡を取ったのだろう? 何も言っていなかったのか』

 先見の力を持つ秋陽ならば、何か手がかりを持っているかもしれない。そう思った晴明は成明に訊ねた。うーん、と成明は思い出すようなしぐさをしている。恋人の言葉ぐらい、もう少し覚えて置けよといいたくなった晴明だが、思い出そうとしているのを邪魔しても良い事は決して起きない。

「手……」
『手?』

 ぼんやりとした顔で成明は自分の手を見た。そしてはっとした顔をして晴明を見上げる。暗がりで、その顔まではあまりよく見えない。透き通っているせいだろうか。

「秋陽が、子供の夢を見たって言ってた。何かを訴えてるような感じはなかったけど、モノクロの夢なのに手だけがカラーだったから覚えてるって。手に何かのあざみたいなものがあって、そこだけはっきり色がついていたって」

 晴明は首を傾げた。手に、あざ。清汰の手にはそれがあっただろうかと思い返してみるが、それはうまく思い出せなかった。ただでさえ泣きじゃくった子供、しかも晴明は清汰が普通の『人柱』とは違うことを考えていた。神経が届いていなかったのかもしれない。
 ただ、その秋陽の夢が何も関係がないとは思えなかった。おそらく成明もあの森でのことで、という訊ねているだろう。そうならば、その『手』の夢はこのことに関連する。
 白黒の世界の中で、手だけが鮮やかな色を持ち、その手にはあざのようなものがあった、と。そのあざのかたちなどまではわからないと成明が言ったが、晴明にはそれが何か思いあたることがあった。
 何を訴えかけるでもない子供。手にあざを持ち、泣きそうな顔で彷徨い歩く子供。それはおそらく、清汰のこと。

「でも……清汰、なんでそんなのに選ばれちゃったんだろうな……」
『……それは、その"手"が答えを握っているかもしれぬ』
「手が?」
『手に刻印が記されるのは、その手に何かがあるからだ』

 神か、鬼か、いまだ見ぬ清汰を愛した『モノ』は、その手に何を見出したのか──それこそ、真実は神のみぞ知る、というところである。
 









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