17:循環する日々






 あまり深くは考えていなかった。言われてみて初めて『あ、そういえば』と思う程度で。別に嫌な気持ちはなかったし、むしろ何日か途絶えると『あれ?』と思っていたくらいに。あまりにも自然に、無意識に、いつのまにか、それが日常になっていた。

 前回は、観劇のときだろうか。それから、龍二とゆきは会っていなかった。もともと、時間不規則な仕事をしている龍二である。というか、それ以前に、そんなにマメに会おうということをするような間柄ではない。
 複数の偶然があり、そこから連絡をとり始めて、なんとなく一緒に食事に行ったりすることが増えただけ。それだけなのだが、いつのまにか一日、二日に一度はメールをしたりして連絡を取り合うことが増えていた。
 ──といっても、相変わらずゆきからメールを送ることはあまりないけれども。
 龍二と吉川の舞台を見に行って、それからメールでの連絡や、時には電話もきていた。が、それだけですでに三週間は過ぎている。
 その間、ちやの手に入れたゲームで龍二の声を楽しんでいたりもしていたが、ゆきがひとりになってまでそのゲームに手を出すこともなかった。それでも、数日に一回はくるメールや電話のおかげで、それほど疎遠になった気持ちもない。
 けれども、それがぱたりとやんだ。
 梅雨明けしてるんじゃないの? と思いたくなるほど、太陽の光がまぶしくなる季節。それでも外気はじめじめとしている、夏の始まりを間近にして、ぱったりとメールも電話もこなくなった。龍二は龍二で忙しいだろうし、最初はゆきだって違和感を覚えなかったのだ。
 まあ、すでに『日常』にはなってきていたので『忙しいのかな』という程度には考えはしたけれど、それ以上何かをすることもなく、ただ日々を過ごしていた。ただ、それを『どうかしたのか』と気にかけるようになってから、二週間は過ぎている。つまり、最後に会ってからは一ヶ月ちょっと。その後三週間ぐらいはなんだかんだとメールをしていて、そのあと二週間ほど、何の音沙汰もない。

「どうかしたのかな……?」

 最後にメールをしたのはいつだっただろう。そのときに何かおかしなことでも言ってしまったのだろうか、そう思いながら、ゆきは携帯電話のメールの履歴を見ていた。とはいっても、いつもどおり返事は来ていたし、特別おかしなことを送ったとも思えなかった。
 相手は忙しい人だから、今はすごく忙しい時期なのかな、そう思いはするものの、やはり何か落ち着かない気分にさせられていた。
 それと同時に、本当に日常化していたんだなあ、と感じさせる。日常の中のひとつがほんの少しでも欠けると、気にかかる。そしてそれまでなんとも感じていなかった日常とは同じにはならない。同じには、戻れないものだ。

「……とはいっても」

 こちらから連絡をするという手もあるだろうことは、ゆきだってわかっている。けれど何を連絡すればいいのかわからないのだ。日常の中で何も変わったことなど無いし、これといった用事があるわけでもない。
 ただでさえ普段から忙しそうな人であるだけに、他愛ないことでメールを送ったりしたらわずらわしいのではないか、と思えてしまう。そう思うと、やはりメールを送るのもためらってしまうのだ。
 そんな日々が続いて、すでに二週間。別に二週間ぐらいどうってこともない、という気もしないわけではないけれども、気にならないわけでもなかった。

「もしもし、ちや?」
『おー、どしたの?』
「いや別に、なんかひまだなーって思って」
『あ、そー。たまには真幸さんとデートでもしてくれば?』
「は!? な、なに言ってんの、そんなことするわけないじゃん」

 なにやら悶々とした気分だったので、気分転換にとちやに電話をしたのだが、ちやの言葉にゆきはぎょっと目を丸くした。

『あれ、そうなの?』
「そうだよ! というか、真幸さんとしばらく連絡もとってないし」
『なんで』
「なんでと言われても……とくにメール来ないし」
『はあ!?』

 ゆきが現状を伝えると、今度はちやが素っ頓狂な声をあげた。しかもちやの場合は、驚きよりも「あんた何言っちゃってんの?」という呆れを含んでいるような声だ。その声を聞いたゆきは、ぎくりと体を縮ませてから、乾いた笑みを浮かべてみたが、すでにその手は通用しなくなっていた。

『あははじゃないよ。来ないし、ってゆきからは送ってないの?』
「え、うん、まあ……来れば送るけど……」

 はあ、と盛大なため息が電話の向こうから聞こえてくる。呆れた顔をしているちやが目に浮かぶようだ、とゆきはのほほんと考えていた。が、呆れられているのは紛れも無くゆきであることには気づいているのか気づいていないのか微妙なところである。

『送られてくるの待ってばっかりじゃなくて、たまには送ってみたら?』
「だって、用事あるわけじゃないし……」
『なんだっていいじゃない、何してるのー、とか、近況みたいな感じでも』
「えーでも近況だって別に何もないし、それに真幸さんって忙しい人じゃない。だからさ、そんなどーでもいいこととかで邪魔するのも悪くない?」
『そりゃまあ、頻繁になりすぎたらウザイかもしれないけど……』

 でも、いつも待つだけってのはどうなのか、とちやは思ったが、それはゆきには言わなかった。もしゆきに言ったなら、別に待ってないだとか、そーいう関係じゃないだとか、そういうことを言ってくるに決まっている、とちやは知っているから。
 そして少しの後押し、とちやが思っても、それが余計に意固地にさせる可能性は多大にあるのだ。なんといっても、へそ曲がり。

『でもしばらく連絡ないんなら、たまにはいいんじゃないの? 同じ会社の人とかじゃないから、顔をあわせることもめったにないんだし、どうしてますか? ってぐらいなら、真幸さんだってそんな嫌な気分になったりしないと思うけど』

 第一、これまでよく『どうしてる?』という連絡をしてくれていたのも龍二の方だ。珍しくそれがゆきからになったって何の悪いことがあろうか。と、いうよりも。

(いつもならそーやってメールくれる人をウザイって思ってるくせに……)

 ちやからしてみたら、ゆきのそういう心境の方が見慣れている。うるさがられるのでは、と気にかけているゆきの方が新鮮、というか久しぶりだった。
 いつのまにか排他的な感じが強くなっていた。おそらく、少しずつ少しずつ降り積もっていったものなのだろうが、他人との関わりの面倒な部分ばかりを考える傾向が強くなっていた。
 実際、他人との関わりで嫌なことがあったのはちやも知っている。過去の経験上、というのも馬鹿にはできないものだ。もともとの内向的な性格と、経験での嫌な思い出、それがゆきをより排他的にしてしまっているのだろう。

「けどさー」
『でもどうしたんだろうね、いきなりぱったり来なくなったんでしょ?』
「いきなりというかなんというか……まあ、毎日連絡してたわけじゃないけど、気が付いたらメールも何も来なくなってたって感じで……」

 それがどうしてなんて、ゆきにもわからない。普通に忙しいんだろうな、なんて思ったりもしているし、龍二の仕事時間の不定期さを考えると、忙しくて連絡ができないというのもありえないことではないと思えた。
 そして、忙しくて連絡ができずにいるなら──なおのこと、連絡をとりづらい。

『忙しい人だからねえ……。でも、そのままだったらずーっとそのままになるかもしれないよ? 今のうちにちょろっと送っておいたら』
「うーん」

 邪魔になるかも、といっても相手に都合よいように、というのがメールというツールなんだから。そうちやに言われて、とりあえずゆきは頷いて、それから少し他愛ない話をしてから電話を切った。
 そしてまた、携帯を見てため息をついている。

(……ってやっぱり、何を送ったらいいのかわかんないよー……)

 これまで自分からメールを送ってこなかったゆきだからこその悩みである。悩みというほどのものでもないのかもしれないが、ゆきにとっては重大なのだ。
 これといった用事があるわけでもないのは変わらない。今までろくに自分からメールを送ったこともないのに、いきなり何を送ればいいのか。それがわからずに、携帯電話を開いたり閉じたり、を繰り返している。
 なんどそれを繰り返しても、メールで送ろうとする言葉が浮かばない。そうしてため息も一緒に繰り返される。どうしよう、という呟き付きで。

「……いくら考えても、ネタがない……」

 そんなことをちやに言ったら、『ネタって言うな』と笑われそうだが、結局、どうしているのだろう、それ以外に何もないのだ。

「…………」

 ぽちぽちとゆきは携帯電話のボタンを押し始めた。
 とりあえず、お久しぶりです、から。そして元気ですか、という挨拶。それから、それから。
 言葉を選びながら、ゆきはゆっくりと携帯電話のボタンを押す。ほんの短い文章ではある。けれど、それ以上は何を言ったらいいのか、浮かばない。
 思いつくだけの言葉から、おかしくないようになんとか文章に仕立て上げて、ゆきはメール送信のボタンを押した。
 結局は他愛ない、近況報告的なメール。なんでもない内容。いきなり何だこいつ、と思われてなければいいなあ、そんなことを思いながら、ゆきは携帯電話をベッドの上に投げ出した。



◇ ◇ ◇ ◇



 マッサージに行きたい。
 そんなことを思いながら、大きめのバッグを肩から下げて、龍二は歩いていた。バッグの中には、台本が入っている。台本を持ち歩くことが多いから、バッグは必然的に大きくなり、持っているのが疲れるから、肩からかけることが多くなり、そして、肩が凝る。見事な悪循環。

「あー、台本重いなー……」

 この日の仕事の台本は、驚くほどの厚さだ。ゲームの台本とドラマCDの台本が詰め込まれている。分厚いのはゲームの台本だ。フルボイスのストーリーがしっかりついているゲームなどだと、とても台本が厚くなる。まあ、ドラマCDの時からキャストが変わらなかっただけ龍二にはありがたいとも言えるのだが。
 ここ数日、オーディションとレギュラーの番組、ゲストの番組などなど、龍二は仕事が詰まっていた。といっても、ひとつの現場の時間が長かったりすることもあったので、移動時間はそれほどでもないけれど。
 しばらく日中は忙しく過ごしていたために、家に帰ると台本読みで時間はあっという間になくなるし、そしてその次の日にはその分のアフレコをしたり……と多忙な日々を送っていたのである。

「しばらくゆきちゃんと連絡とってないなー……」

 楠原や同業者とは現場で会うから、呑みに行くことが少なくてもそれほどでもない。が、ゆきは一般人である。メールなり電話なりで連絡を取らない限り、縁をなくしてしまおうとすれば簡単にそれができてしまうのだ。
 ──だがそれは龍二の願うところではない。
 連絡をしようかな、と思っても仕事が終わって家に帰るころには日付が変わっていたりもする。そんな時間に電話をするのはもってのほか、もし寝ていたらと思うとメールだって安易に送るのは憚られた。
 今日この日もゲームの収録で結構な時間が経っている。まだ夜にはなっていないけれども、このあとのドラマCDと対談収録は時間がかかる。なんといってもドラマCD自体がそれなりに長い作品だし、対談となるとさらに長くかかりやすいものなのだ。雑談しやすいから。
 そんな毎日を送りながら数週間。まあ、普通に仕事に行って、きっと何事もなく過ごしてはいるのだろう、そうは思う。けれどいきなり疎遠になってしまったようで少しばかり寂しいところもあった。
 その上。

「相変わらずゆきちゃんから連絡くるなんてこともないしなあ……」

 もともとゆきから龍二へ連絡が来たというのはほぼ無いに等しいのだ。龍二から何かしらのメールを送ったりして、ゆきから返事がくる、そういう構図が、かなり浮き彫りにされた気がする。
 むしろ今まで連絡とろうとしすぎて面倒くさがられてないだろうか、そんな疑問さえも浮かんできてしまった。
 そして、そんなことを考え始めると、なおのこと連絡が取りづらかったりする。それもまた、悪循環。だが悪循環だと思っていても、どうにもできないのが龍二の現状である。もし今連絡が来たとしても、移動するとき以外にはなかなか連絡する時間も取れそうにないのだ。

「おはよう、真幸くん」
「あ、おはよう、玲くん。一緒の現場は久々だねー」
「そうだっけ?」

 龍二がスタジオに到着すると、すでに玲が待機していた。今日はドラマCDで一緒に収録するのである。一線で演じている二人ではあるけれども、同じ番組に出なければ当然同じスタジオに入ることもない。

「うん、だって玲くんに会ったの、あの飲み会以来な気がするもん」
「そっか、テレビで真幸くんの声とかよく聞くから、気づかなかったなあ」
「それはこっちのせりふだって!」
「ところで、彼女とはうまくいってるの?」
「は?」

 彼女って誰。
 そう思った龍二が首を傾げると、それを見た玲もまた首を傾げた。

「え、彼女でしょ?」
「いやあの……誰が?」
「暁ゆきちゃん」
「えぇぇぇ!?」

 あまりにさらりと言われた名前にぎょっとした龍二が思わず声をあげると、玲が驚いた顔をして耳をふさぐ。彼らは声のプロフェッショナル。ちょっとした叫びでものすごい音量になることだってある。

「すみません、少しお静かにお待ちいただけますか」
「あ、す、すみません」
「怒られたじゃない」
「ご、ごめん」

 スタジオのロビーで話していた龍二があまりに大きな声をあげるものだから、スタジオの受付嬢に嫌な顔をされてしまった。玲もまた少し嫌な顔をしている。
 誰のせいだ、誰の、と思うところがないわけでもないが、今の龍二は冷や汗をかいていた。とんでもないことを玲が言ったからだ。当然、玲にそんな自覚はないけれども。玲はゆきが龍二の彼女だと信じて疑わなかったし、それらしい雰囲気があったと思っていたのだが、龍二のあまりの驚きように、玲のほうが驚いていた。

「違うの?」
「違うよ! だから、偶然が何回かあって」
「いや二人の馴れ初めはもういいけど」
「馴れ初めって!? 馴れ初めってなんか違う気がするんだけど!」
「はいはい、落ち着いて落ち着いて。へえ、違うんだ。ぼく、てっきり真幸くんの彼女かと思ってた。じゃあ、ちやちゃんの方……は違うか、あの時初めて会ったって言ってたもんね」

 うんうん、とうなづきながら、玲が一人で納得している。
 いったい何を勘違いしていたのだろう、というかいつから勘違いしていたのだろう、そう思うと龍二はそら恐ろしい気がしていた。

「それで、ゆきちゃんは元気?」
「え、それでもつながるの」
「そりゃだって、真幸くんの知り合いで、ぼくも顔見知りってことでつながるでしょ」
「っていうか、玲くんだってゆきちゃんとちやちゃんのアドレス交換したじゃん。メールとかしてないの?」
「来てないよ」
「あー……まあ、ゆきちゃんからは来ないと思うけど……玲くんからしたりは?」
「すると思う?」

 にっこりと玲が笑った。別に彼がゆきを嫌うとかちやを嫌うとかそういう次元の問題ではない。玲が自分からお誘いメールなどをしている図は、龍二にも想像できなかった。
 つまり、玲もまた、ゆきと同じように自分から連絡を取ろうとするタイプではないのだ。そんな二人がメールしてないの、とはなんとも場違いな質問である。思わず質問した龍二が遠い目をしてしまった。

「だよねー……」
「まあ、ちやちゃんとはメールしたけど、ゆきちゃんからは来てないね」
「そっか……え、ちやちゃんと? メール、したの!?」
「したよ? あの飲み会の翌日にお礼メールしたよ」
「……そーなんだ……」

 まあおそらくちやちゃんから来たんだろうな、という龍二の思考が正しかったかどうかは、玲とちやしか知らない。
 といっても、龍二にはとくにメールも来ていなかった。まさか玲が? と思った龍二が玲に振り返ると同時に、玲が「それで?」と聞いてきた。

「え、何が?」
「ゆきちゃんは元気? って最初から聞いてる気がするんだけど」
「あ、そ、そうだっけ。あの飲み会のあと、何回かは会ったけど……うん、どうなんだろう、オレも最近忙しくて連絡とってないんだよね」

 そうなんだ、と玲が言うと、龍二がうん、と頷いた。
 飲み会以降で、三回ほど会ってはいる。偶然も含め。それに最後に会ってからしばらくはメールや電話もしていたけれど、最近は本当に音信不通だ。

(今頃どーしてるのかなあ……)

 そうこうしている間に、同じ収録に参加するほかのキャストやスタッフも集り、収録開始時間が来ていた。台本を手にして、龍二も玲もスタジオの中に入っていく。携帯電話は、当然バッグにしまいこんで。

「さーって、やるかぁー」
「早く終わらせて連絡できると良いね」
「玲くん、そーいう意味じゃないから……」
「あれ、違った?」

 にっこり。
 玲の笑みに、がっくりと肩を落とした龍二ではあるけれども、確かに、早く終われば電話できるかなあ、などと考えていた。このあとの対談は時間がかかるけれども、対談の相手は玲である。これはラッキーかもしれない。
 もちろん、仕事は仕事。龍二は他の声優仲間にも言われるが、仕事に厳しい男という評判がある。きっちりNGナシで終えたのは、決して電話をしたいからではない……だろう。





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