呼ぶ声

 



ひと、ふた、み、
よつ、いつ、む、ななつ、やつ、ここの、たり
ふるへ、ゆらゆらとふるへ

ひと、ふた、み、
よつ、いつ、む、ななつ、やつ、ここの、たり
ふるへ、ゆらゆらとふるへ………

  歌うように聞こえる呪歌。
 それは人の耳には聞こえない歌。
 わらべ歌と間違えもしそうなその歌は、強い呪力を帯びていた。





「だーっ!もういいかげんにしてくれよぉぉぉぉ!!」

 土御門成明、ただいま調伏中である。今まではいくら成明の霊力が高いとは言っても、襲ってくる霊はそうそういなかった。だが、あるときを境に、その動きが活発化している。

「ったく、このご時世にユーレーそーどーでもないだろーがっ!」
『まぁお前のことを知るものが増えているという証かもしれぬがな。有名になったものだな、成明よ』
「…ブッ飛ばすぞ、晴明」
『ふふん、姿ない者を殴れるなら殴ってみろ』

 そういわれたら何も言い返せるわけもない。成明の頭上では、今日も飄々と晴明が浮遊している。いまいち緊張感に欠ける現在ではあるが、成明としてはそうも言っていられない。向こう側からぼんやりと影が見える鎧武者が成明めがけて突進してくるからだ。すぃ、と晴明はこともなげにすり抜ける。

「なんだよ、避けてばっかりいねぇで晴明も手伝えって!!」
『そうは言われても、やつらが狙うているのは成明だ。おれが手を出しては邪魔になるからな』

 しれっとそんなことを言う晴明をきっとひとにらみしてから、成明は印を結ぶ。真言をぶつぶつと唱える。その成明を見てから、晴明はひとりごちるように感心したようにつぶやいた。

『やっとここまできたかよ』

 当初とは比べ物にならないくらい、調伏術の使いも早くなった。いくら幼いころから陰陽の道について叩き込まれていたとは言っても、常日頃使うものではない。そのせいか、成明が調伏という行動をとるようになった最近まで、成明の使う術は色々な意味で凄まじかった。
  印を結ぶのには迷い、真言を唱えるのには間違い、仕舞いには霊の前から逃げ出そうともした。成明にとって、目に映るのは日常でも、それらが向かってくることは予定外もいいところだった。土御門家の跡継ぎといわれ、当主として奉り上げられていても、実際のところの動きは父である和成がしていた。そのせいもあり、成明は経験に乏しいのだ。
 だが、なまじ力が強いだけに下手をすると大変なことになる恐れもあり、晴明としては若干なりともはらはらしたものだった。

『懐かしいなぁ、お前がまともに調伏術を使い始めたころはひどいものだったが…』
「………」
『人は成長するものだとわかってはいても、お前が成長するとは到底思えぬくらいだったものだからなぁ…』

 調伏術を唱えている間は、ほかのことに気を逸らしてはいけない。それは基本中の基本である。とは言っても、調伏中に話し掛けてくるのは大抵は怨霊のうめき声のみ。だからこそ集中できて当然なのだが、ここには囁き声がよく頭上から降ってくる。ぶちん、と音が聞こえるのではないかといえるくらい、成明は晴明をぎろりとにらみあげた。

「うるっさいっ!!晴明、人が術を使おうとしてるときに頭の上でごちゃごちゃごちゃごちゃ…!!」
『来るぞ、成明』
「げっ!!!」

 目前に迫る怨霊集団。明らかにここ数日増えたその怨霊の数に、成明は辟易していた。もともと陰陽師になるのはいやだと言っていただけに、こう連日襲われていたのでは嫌気が増すというものだ。

◇ ◇ ◇ ◇


「……疲れた」
『まぁ、あれだけのものを一度に調伏すれば疲れもするだろうな。ほれ、そろそろ行くぞ』
「は?行くってどこに?」

 久々の学校からの帰り道に現れた武者集団に囲まれていた成明は、それらを消し去ってぺたっと道端に座り込んでいる。そこは人通りも少ないからこそそんなこともできるのだが、もしこんなところを和成に見つかったら大事だ。けれど成明はそこまで頭が回ることもなく、その場にへたっていた。
 その成明をせかすように、晴明は頭上から『早くしろ』
と言う。なんのことかわからず、成明はきょとん、と晴明を見上げていた。

『晴明神社へ行くぞ』
「は?今からか!?」
『今からだ』
「だ、だってもう薄暗くなってきたし…」
『それがどうした、陰陽師は夜に動くものだぞ、成明よ』

 かすかな影の存在でありながらも、にやりと笑ったその表情までもが成明には見える。見えるからこそ、さらに腹をたててしまうのだが。

「昔はそうかもしれないけど、現代の陰陽師はそんなことはナイッ!!」
『そうか、ならば言い替えよう。陰陽師に昼も夜も関係ない』

 しれっとそんなことを言う晴明を見上げたまま、成明は口をあんぐりと開いた。人間は昼間活動し、夜休む。それは普通の生活習慣であり、成明にとっても通常の生活習慣だった。それを力いっぱい否定するような言葉を晴明は言ってのける。
 確かに安倍晴明と言えば、平安時代の稀代の陰陽師といわれて、その当時は夜によく活動していたと言われている。だがそれは『安倍晴明』のことであり、「土御門成明」には知らないことである。成明は普通の生活を望んでいたし、これまでもそうしてきた。
 ……つもりなのである、本人は。

「…晴明、俺、そのうち倒れるかも…」
『なに、心配することはない、そのときはこの晴明が和成のことを呼びに行くくらいはしてやるさ』
「そういう問題かーっ!!」

 叫びつつも結局は立ち上がり、晴明神社へと足を運ぶ。晴明はすい、と気楽そうに浮遊しているが、実際のところ表情は幾ばくか険しくなっている。自分が祀られていることに対して、何の感慨も持ってはいないが、それでも、呪詛をかけられるとなると話は別なのだ。成明が晴明神社に呪詛つきの投書にわずかに苛立ったのと同様に、晴明もまた、それに対して苛立ちを感じているのだろう。
いや、晴明の場合は楽しんでいるのかもしれないが。





 薄暗がりの広がる晴明神社。そこかしこに明かりは灯っているものの、やはり夜の神社はいささかおどろおどろしい気分がするものである。
  だがそこは陰陽師の二人である。暗闇を怖がっていては何もできないのは百も承知、それどころか成明は幼少時代から暗闇を怖がることはなかった。それもまた、晴明の血を色濃く継いでいるからなのかもしれない。

「晴明、どうしてここに来たんだ?」
『"逢魔が刻"にはここに来るようにしている。今日はいくらか遅くなってしまったがな』
「それ…"逢魔が刻に舞い降りてくる"ものを探してるってことか?」
『それ以外に何がある。降るものがどんなものかはわからぬが、それを知る必要はあるだろう。
それが何に危害を及ぼすつもりで降ってくるのかはわからぬが、まぁ、そう良いものではなさそうだしな』

 何のこともないように言いつつも、ふわりと空高く飛び上がり、晴明は見渡す。特に何の異変もない。 それでも、晴明には何か感じることがあるのかもしれない。そう思って成明は晴明を時折見上げつつ、境内を歩いた。
 境内はひっそりとしている。さすがに晴明を祀っているだけあって逢魔が刻の参拝者はぐんと減るのだろうか、などと成明は思っていた。実態のない陰陽師。それでも成明には叶わない力を有していると思われる。成明自身の力は相当なものであったとしても、その祖たる晴明には及ばない、ということか。

「…なんか聞こえないか?」

 ふと成明の耳にかすかな声が聞こえた。呟くような小さな声。人影は見当たらないのに聞こえてくる声。

「…晴明」
『呪歌だな』
「呪歌?」
『蘇生真言を呪歌に変えている…』
「て、ちょっと待てよ晴明、もしかして…!」
『近くにいるぞ』

 それだけを言ってすぃ、と晴明は高く浮遊した。あたりを見回すようにしている晴明を見て、成明は近くをきょろきょろと見る。やはり人影はない。
 どこかに、誰かがいるはずなのに、声だけは聞こえるのに、姿が見えない。

「いたか?」
『見つからぬ。結界を張っている兆しもない』

 晴明の表情は厳しかった。成明は晴明のその表情を見てさらに気を引き締めたが、やはり実態はつかめない。辺りに人影はまったくないのにもかかわらず、呪歌だけが聞こえてくる。
 その歌声は透き通った声で、小さな子供のような声にも聞こえる。すでに暗くなっているこの時間帯に神社内に子供が1人でいるとも思えなかった。

『……成明、来るぞ』

 ひときわ低い声で晴明が言った。その言葉を合図に成明は気を整え、これから現れる「何か」に対して身構える。もちろん、この呪歌とともに現れるものならば、良いものであるわけがない。

『……まさか』
「な…んだよ、この気………?」

 物体があるわけではないのに重力を感じる程の瘴気。空気中に禍々しさが目に見えるのではないかと言うほどの強い気。成明や晴明のような力のあるものだけならばまだしも、下手をすればこの瘴気は一般人の目にも映るのではないかと思わせるほどのものだった。
 その瘴気の根本― 何らかの霊によるものだと思われるが、その本体の姿がつかめない。強すぎる瘴気がそれを覆い隠しているかのようだった。

『………この瘴気は濃すぎる。成明、和成のところに式を送り、総出で清めの儀を行うよう伝えろ』
「これ、何なんだよ」
『まだわからぬ。だが早くやらねば関係のない者が瘴気に当てられるぞ』

 晴明の言葉が終わるか終わらないかのうちに成明は式を使いに出した。
 陰鬱とした気が晴明神社を包み込む。
 成明には漠然とした重い何かが、胸の奥に潜んでいた。
 それの正体は、本人ですら知ることができずにいたが―――




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