『奇跡』を呼ぶモノ わたくしが勤めておりますセレツィオ家には、とても美しく聡明で愛らしいお嬢様がいらっしゃいます。そのお方の名はフィーネ・セレツィオ。セレツィオ家当主、ルーク・セレツィオ様の第二子でございます。 フィーネ様は生まれたときから白皙の美貌を纏ったお子様だったそうで、その美貌は年々輝きを増し、現在、十六歳というお年頃でございます。 「リュウ」 「お嬢様、いかがなされましたか?」 「……わたし、もうすぐ十七歳だわ」 「さようでございますね」 美しさは年々増しているといわれているフィーネ様ではありますが、一部ではよからぬ噂もあるのです。美しさを増し続けているからこそ、言われているのでしょう。 『フィーネ・セレツィオは悪魔の子供』、と。 それだけ、フィーネ様の美しさは普通の人間のものとは思えないものだったのです。人間の目から見て、それは脅威でもあるほどの美しさ。それが真実であるということは、わたくしが証明いたしましょう。けれど、わたくしは少しばかり言葉を変えさせていただきましょう。 『フィーネ・セレツィオは悪魔の子ではなく、天地に魅入られた子だ』と。 いえいえ、わたくしは天や地ではございません。ですからわたくしが魅入ったのではありませんよ。けれども、わたくしは存じております。フィーネ様は、悪魔から求愛され、天使から求婚されているのです。 清らかな美しさを持つ天使に、妖しい美しさを持つ悪魔に、彼女は愛されているのです。 天使にさえも愛される娘が、悪魔の子であるはずがないでしょう? けれどそれは、誰も知らない。フィーネ様と、わたくし以外は。 「十七……いやな年ね。わたしが、人間でいられなくなる……」 「そのようなことはございませんよ。フィーネ様が望まなければ、天地に奪わせたりはいたしません」 「リュウが助けてくれるの?」 「ええ、わたくしはフィーネ様に仕える者ですから。わたくしが全身全霊をかけてお守りいたしますよ」 わたくしは、フィーネ様の幸福のために存在するのです。ですから、フィーネ様が望まないのであれば、天にも地にも、フィーネ様を連れていかせやしません。まあ、一介の人間風情が何を、と天地に怒られそうですけれど、それはわたくしの気概と思っていただきましょう。まあ、わたくしから見れば、たかが天地が何を言う、というところですが……それを知るのはフィーネ様だけですから、それはあえて置いておきます。 それだけ、わたくしはフィーネ様を大切にしているのだということで納得していただきましょう。 「ねえ、リュウ」 「なんでしょう?」 「わたしは、生まれたときから十七までと決められていたの?」 「わたくしは詳しいことは存じませんが……旦那様と奥様からお伺いしているのは、お嬢様が幼い頃に、天地に呼ばれたことがあるとか。旦那様と奥様がお嬢様を天地からお守りした際、十七まで待っていると告げられたそうです。それまでに、天地の紋章、どちらかを決めておくよう……と。ですから、生まれたときではなく、それよりもう少しあとに……天地に魅入られたのでしょうね」 「……嬉しくないわ」 それも当然でございましょう。お嬢様の知らないところで、お嬢様の一生を語られてしまったのですから。しかも相手は、天地です。お嬢様が抗ってどうなるものでもございません。 「わたし、普通に生まれればよかったのに。普通の娘でいたかったわ」 「……お嬢様。それは、わたくしの前だけの発言にしてくださいませ。旦那様と奥様がお聞きになられたら大変嘆くでしょうし、他人に聞かれれば妬まれますから」 「わかっているわ。わたしだって、自分の立場ぐらいはわかっているのよ。でも──こんな、なにも知らずに一生を終えるなんて、つまらない。こんな一生なら、生まれてくるだけ無駄というものよ、リュウ」 「無駄なお命などございませんよ。少なくとも、わたくしはお嬢様がセレツィオ家にお生まれ下さって嬉しく思っておりますから」 「リュウが? 喜んでくれるの?」 「ええ。お嬢様がセレツィオ家にお生まれになりませんでしたら、わたくしはお嬢様のお世話をさせていただくことはなかったのですからね」 そう、フィーネがこのセレツィオ家に生まれさえしなければ、この家はすでに亡き貴族となっていたのですから。 「……リュウが喜んでくれているなら、少しは報われるわね。ところで、リュウ」 「はい」 「お父様とお母様は、わたしを天地どちらに差し出すか決めたのかしら」 「わたくしは存じておりませんが……お嬢様にご希望がございますか?」 「希望なんて無いわ。わたしがいたいのはここだもの。天には死んだら行くわよ。地には……そうね、悪いことをして死んだら行くわ。それがわたしの希望」 「さようでございますね」 「でも……そうね、わたしがいる場所に、リュウがいてくれるなら、どこでもかまわない」 「……お嬢様」 なんと嬉しいお言葉でしょう。そんなことを言っていただける執事はなんて幸せなことでしょう。このリュウという身の真実を知っていながら、フィーネはそんなことを言ってくださる。 「ずいぶん浮かれてるじゃねえか、執事の分際で」 「これはこれは……ダイロスさまではございませんか」 「よう、フィーネ。久しぶりだな」 「ダイロス様が先日お見えになったのは、二日ほど前だと思いますけれど。ダイロス様はもうお年なのかしら?」 さすがです、フィーネ。笑顔で地の悪魔に向かってそんなことをいきなり言えるお嬢様は、世界広しと言えどもフィーネ以外にはいないでしょう。ええ、ダイロスはもういい加減相当な年ではございます。いつまで経っても遊び呆けて、やっと嫁を見つけたと言い出したと思ったら、人間の娘を嫁にしようというお馬鹿な悪魔でございます。しかも生まれてさほど経たない赤子を見て娘を嫁にしようなどと考えるのですから、どれだけ阿呆かと思いましたけれど……まあ、相手がフィーネならさもありなん。フィーネほどの娘は、人間であることすら罪ともいえますから。 「フィーネ、オレが言いたいのは、二日も会えずにいたのが寂しいという意味なんだがな」 「あら、そうでしたの。わたしは二日しかダイロス様に会わずにいられなくて寂しいですわ」 「相変わらず口の減らない女だ。おい、執事」 「はい」 「フィーネに変わったところはないだろうな。フィーネに傷一つつけてみろ、お前の命、無いものと思えよ」 「それはそれは。わたくしとしても、フィーネ様には傷一つつけたくはございませんからご心配はご無用でございます。ダイロス様に言われずとも、フィーネ様はこのリュウが大切にお守りいたしますから」 おそらくこの中で一番減らず口なのはダイロスなのですけれどね。今はまあ……控えておきましょう。 「フンッ、まあ良いだろう。で、アークは来てねえだろうな」 「先日、ダイロス様がお見えになったとき以来、お越しになられておりませんが」 ならいい、とダイロスが笑ったと同時に、ふわりと辺りにぬるい風が吹きぬけました。このぬるい風の持ち主と言えば、たった一人しかありません。もうひとりの厄介者が現れたのです。 「フィーネ様、数日ぶりでございます」 「……アーク様までお見えになられたのですね」 「ええ、しばらくおさびしい想いをされたでしょう? 今日はやっとこちらに来ることが出来ました。おや、ダイロス、あなたもいらっしゃっていたのですか」 「……てめえ、オレの邪魔をするんじゃねえっていつも言ってるだろうが」 「お邪魔などとんでもない。フィーネ様はわたくしの婚約者ですから、よからぬ者が近づかないよう、お守りしているだけです」 「そのよからぬ者がオレだとか言うんじゃねえだろうな」 「ダイロス、それは身の程を知らぬにもほどがありますよ」 どっちの意味とも取れるその言葉。天使がこうも毒を吐くとは最初はフィーネも驚いていらっしゃいました。天使とは慈愛の使いだと信じて疑わない人間にとって、アークの言葉は夢のように悪意に満ちていましたから。 「アーク様はどのようなご用件でお越しになられましたの?」 「それはもちろん、いとしのフィーネ様に会うためです。なにやらこの二日、地上に降りようとしてもなんらかの力が働いてフィーネ様に近づくことができなかったのです。その間に、ダイロスに悪さなどされませんでしたか?」 そう言いながら、アークがぺたぺたとフィーネに触れて変化がないか確かめています。ああ、フィーネの表情がとても苦痛に歪んでいますね。これはそろそろお助けした方がよろしいでしょうか。 「アーク様、そのようにお触れになるのは、失礼だと思われますが」 「執事、あなたにはわたしのフィーネ様への愛がわからないのですか?」 「存じておりますけれども、フィーネ様はあまりべたべたと触れられるのはお好きではございませんので。フィーネ様のご気分を害するためになさっているのでなければ、そろそろおやめいただけますか」 それぐらい自分で気づいたらどうかと思えますけれどね。 アークは申し訳ないとフィーネに謝り、その手を離してくださったので、とりあえずフィーネの逆鱗に触れることはありませんでした。いえ別に、フィーネがお怒りになっても、その怒りの矛先はわたくしではないからかまわないのですよ? ですが、やはりフィーネ自身がお疲れになるではありませんか。たかが天使のアークのために、フィーネを疲れさせるなど許されませんし。 「おい、アーク」 「はい?」 「お前、ここの邸に近づけなかったとか言っていたな?」 「ええ、この二日ほど、地上にまでは来られても、このお邸には近づけなかったのです。まあ、地上に降りるのもちょっと苦労しましたしね」 「……お前もか。オレもそうだったんだ。ここに来ようとすると、何かに邪魔された」 「おや……それは不思議ですね。てっきりダイロスが何かしたのかと思っていましたが。今日は無事に入ることが出来たので、フィーネ様のところに来られましたけれども……」 そう言ってお二人は不思議そうな顔をしています。本当にお馬鹿なお二人ですね。彼らが近づけなかった『何か』に働いていた力を考えれば、すぐにわかりそうなものですけれど。 ああ、お馬鹿だからこそ、フィーネを嫁にするなどと言い出したのでしょうけれどもね。 「アーク様、ダイロス様、わたし、そろそろ休みたいのですけれども」 「ああ、フィーネ様をお疲れさせるわけにはいきませんね。また明日にでも伺うことにしましょう。ほんの少ししかお傍にいられずに申し訳ございません。でもフィーネ様が十七になった暁には、必ずやお迎えに上がりますから」 「聞き捨てならねえな、アーク。十七になったら、オレがフィーネを貰うんだ。お前の出る幕じゃねえ」 喧々囂々とまた二人の争いが始まる。これが始まるといつも長いんですよね。フィーネはもうすっかり知らん顔していますけれど、発端がフィーネである以上、しばらくすると、お二人は同じことを言うのです。どちらにするのだ、と。 その問いに関する答えを、フィーネはお持ちではありません。なぜなら、彼女はいずれも望んでいないことですから。それに今はまだ十七になっておりませんし、旦那様や奥様のご意見もございます。……といっても、悪魔に子供を差し出す親はいないかもしれませんけれどね。 「リュウ」 「はい」 「うるさいわ。もう出て行ってもらうように、言ってくれるかしら」 「承知いたしました」 そう言って、フィーネは瞳を閉じる。これから何が起ころうとも、その瞳には写さないということで。フィーネは耳も閉じていらっしゃる。これから何をしようともその耳に入ることはないということで。 閉ざしたフィーネは、静かに、眠っているようだ。 「……アーク様、ダイロス様、そろそろお引取りになられるとおっしゃっておりましたが」 「まだ決着がついてねえんだよ!」 「そうです、ダイロスを引き下がらせなさい、執事!」 「わたくしにはそれをする理由がございません。フィーネ様がお二人にお引取りねがっております」 「ああ!?」 「フィーネ様が!?」 「ええ。ですから……『在るべき場所に還れ、愚か者よ』」 ふらり、とアークとダイロスがわたくしから離れ、後退りする。そのまま、何を言うこともなく、アークは空へ、ダイロスは地へと帰っていった。まるで、消えるかのようにも見えるその光景は、人間の目には映らないと言われていますが……真実はどうなのでしょうね? 少なくとも、フィーネの目には映っていませんけれど。だって、目を閉ざしておられますから。 「フィーネ様、お二人ともお帰りになられましたよ」 「ねえ、リュウ」 「なんでございましょう?」 嵐が去った後、何事もなかったように、フィーネ様はわたくしに訊ねてくる。その瞳はきらきらと輝いていて、おそらくこの瞳を天地が向けられたなら、天は天を蹴り、地は天に昇っていくことでしょう。 「リュウは楽しいの? わざわざ人間なんかに跪いたりして」 「ええ、楽しいですよ。人間の悪し様がとてもよく見えますからね。跪いた者は、相手の愚かさを知ることが出来ます。そして跪かれた者は、己の愚かさをさらしていることに気づけない。アークとダイロスを見ていればわかるでしょう? わたくしが執事であるから、天地の愚かさを容易に晒す。面白いものです」 「……おかしな人ね。跪かれるべき者であるくせに」 「跪かれても見えるものは少ないのですよ、お嬢様。それでも……フィーネ様には、その愚かさが見えずに困っております」 「見えたら、連れて行くくせに」 「ええ、その時は、全てを。ですから、それまでお嬢様に奇跡をさしあげる、とお約束しましたでしょう?」 わたくしがフィーネ様にさしあげるのは、執事としての勤めではございません。わたくしは、わたくしにしかできない奇跡を、フィーネ様に捧げているのです。それが、このセレツィオ家で勤めるわたくしとの約束でございましたから。 どんな奇跡か? それは、お教えできませんね。だって、奇跡ですから。何が起こるのか知ってしまったら、それは奇跡ではございませんでしょう? |