18:癒しのとき 何をするにしても、久々というのは緊張を誘うものである。けれど、時には緊張を誘うよりも『勢い』というものもあるもので。 多分、このときのオレは、ものすごく『勢い』だけがあったんだと思うんだよね。 まあ、悪いことではない、と思うけど。 「お疲れ様でしたー」 「おつかれー」 それぞれに挨拶を交わし、それぞれの仕事に戻っていく。片づけをするスタッフもいれば、コーヒーを飲みながら今日の出来を話しているスタッフもいるし、一緒になって話しているキャストもいる。 そのうちの一人が龍二で、そのうちの一人が玲だ。 「おつかれ、真幸くん」 「おつかれー。よく考えたら、玲くんと対談ってものすごく久しぶりじゃない?」 「うん、よく考えなくてもそうだね」 「……ごめん、今さっき気づいた」 龍二が苦く笑うと、玲はそーなんだ、とさらりと返事をする。玲にとっては対談が久々でもなんでも良かったらしい。少しだけ龍二は寂しい気持ちになったが、玲は気づいていたんだと思うと、寂しさよりも少しばかり申し訳ない気分にもなった。 業界の中でかなり人気の高い二人ではあるが、共演というのはそれほど多くないのだ。同じ番組に出ていても、片方が『抜き録り』と言われる、一緒に収録しない方法を取られることも多いために、こうして現場で一緒になるというのは結構数少なかった。 今回はこの二人の対談形式のトークがCDに入るために、抜き録りという手法がとられなかったので、同じ現場に入ることにはなったのだが。 「真幸くん、こんなとこでぼーっとしてていいの?」 「ぼーっとって……別にぼーっとはしてないけど……」 「せっかく早く収録終わったのに。このあとまだ仕事あるの?」 「あ、今日は終わり……え、うそ」 「え?」 龍二が突然驚いた顔をしているので、玲が目を丸くする。片づけをしながら話をしていたのだが、龍二がバッグから携帯を取り出した瞬間のことだ。なにか悪い知らせでもあったのだろうか、と玲が気にしていると、龍二はうわあ、とつぶやきながら笑みを見せている。 悪い知らせではないようだ、とほっとした玲はそ知らぬフリをしてテーブルに乗っている差し入れのクッキーに手を伸ばした。 「玲くん、どうしようっ」 「何が?」 「メールが来たっ」 「ふうん」 「ゆきちゃんからメールが!!」 「……そんなに驚くことなの?」 メールでそれなりにやり取りしてるんじゃなかったっけ、と玲が首を傾げたけれども、龍二にとっては大ニュースなのである。『お返事』以外でゆきからメールが来たのはまだ二度目。出会ってから数ヶ月、驚くべきことである。 が、当然ゆきからメールがくるのがレアであることなど、玲は知らない。むしろそれがレアかどうかなどより、龍二の驚き喜んでいるその顔の方が、玲にとっては驚きである。 いつも笑顔で愛想のいい龍二ではあるけれども、ここまで喜んだ顔をしているのはあまり見たことがないなあ、などと玲は考えていた。 「だってゆきちゃんからだもん! うわー、びっくりしたー!!」 「はいはい、驚いてないで、少し前に来たんじゃないの? せっかく早く収録終わったんだから、電話でもしてみたら」 「うん、そうしてみる」 今日の最後の収録が玲くんとの対談でよかったー! などとうれしそうに声をあげている龍二を見て、玲が苦く笑っている。別に玲だって、龍二が連絡取れるように早く仕事を終わらせようとしていたわけではない。龍二だってそういうことを考えて仕事をしているようには見えなかった。なんだかんだいっても、仕事はきっちり。龍二も玲もそれはわきまえている。そして結果が出た、それだけのことだ。 それでも、玲のおかげといわんばかりの龍二の言葉は、玲も思わず微笑んでしまう。それが龍二の良いところだ。 「じゃ、お先に失礼しまーす」 「お疲れー」 「お疲れさま、真幸くん」 「玲くん、あとでメールするからっ」 「別にいいよ。がんばって」 「うん」 にっこりと笑って帰っていく龍二を見て、またしても玲は苦く笑う。いつもの龍二ならば『何をがんばるんだよー』などと言ってきそうなものなのだが、普通に頷いて帰っていったのだ。 「何を頑張るんだか」 くすくすと笑いながら、玲も自分の荷物を片付け、スタジオをあとにした。 『件名:こんにちは。 本文:お久しぶりです、お元気ですか? 最近はだいぶお忙しいのでしょうか。 だいぶ蒸し暑くなってきましたね。夏ももうすぐって感じでしょうか。 暑くなると、移動とか大変そうですね。日焼けもしそうですし。 私も通勤の途中の日焼けが気になる時期になってきました。いやですね……。 真幸さんはやっぱり今日もお仕事ですか? いつも忙しそうですけど、くれぐれも体調にはお気をつけください。 それでは、また。 暁』 たった数行のメールを打つのに、一時間かけたゆきは、その後自宅でのんびり過ごしていた。龍二から返信が来ないのを気にかけてはいたけれども、龍二が仕事中かもしれないからなあ、などと思い、部屋でごろごろしていたのである。まあ、ごろごろと過ごす休日というのは、ある意味いつもどおりであるけれども。 「んー……?」 何やら遠くで音がする。 いつのまにかうとうとしていたらしいゆきが、何かの音が聞こえるなあ、とぼんやりと目を開けた。 聞こえてくるのは、ぶーんぶーんという低い音と、何かの音楽。けれど決して大きくはない音だ。 「……携帯か!」 はっとしたゆきは慌ててパソコンデスクの上の携帯電話を手にした。サブディスプレイに出た文字は『真幸龍二』。龍二からのメールか、と思いつつそれを開く間も、なぜか音楽が鳴り響いている。 「え、あれ?」 いつもどおりメールを見るようにボタンを押すと、画面が白くなり、なぜか秒数が刻まれている。一瞬首を傾げたあと、はっとして携帯電話を耳に押し当てた。 「も、もしもし?」 『もしもし、真幸ですけどー』 「こ、こんばんはっ」 メールかと思ってボタンを押していたが、どうやら電話だったらしく、メール受信のつもりで押したボタンは受話ボタンと化していたらしい。 『久しぶりですー。元気?』 「あ、はい、元気ですよ。真幸さんこそお元気でした?」 『うーん、一応元気……というか、なんとかこなしてた、って感じかも』 「?」 『っていうかもしかして寝てた? ちょっと時間遅かったかな』 「いえ、ちょっとうたたねしちゃったみたいで。ぜんぜん起きてる時間ですよ、大丈夫です」 時計を見てみると、まだ夜の十時過ぎ。ゆきが寝る時間帯では決して無い。うたたねならば、よくある時間帯でもあるが。 とはいっても、龍二がそんなことを知るはずもない。寝てるところを邪魔してしまったなら申し訳ないな、と龍二が思っていたのだが、ゆきのその発言に少しだけほっとしていた。まあ、寝ているところを起こしてしまったことには変わりないけれども。 『なんか久しぶりだねー』 「そうですねぇ。今日はもう終わったんですか?」 『今日の仕事は終わったー。日付変わる前に終わったのは久しぶりだよ』 「そ、そんなだったんですか……って、あれ、今帰宅途中ですか?」 『そう。ゆきちゃんからのメール見たの、さっきだったんだよね。返事出せなくてごめんね』 帰ってからではこれから三十分以上は余裕でかかる。だから龍二は帰るよりもゆきに電話をすることを選んだのだ。 「そんな、たいしたこと書いてないですし、気にしないでください。というか、せっかく早く終わったのに、お電話くださってすみません」 『何言ってるの、せっかく早く終わったんだもん、ゆきちゃんに電話しないともったいないじゃん! なかなか連絡取る時間がなくてさー、ごめんねー』 「え、いえ、そんな……」 なにやら龍二はテンションが高かった。龍二自身はまったく気づいていないだろう。けれども、出てくる言葉はどこかゆきの緊張を誘うものだった。龍二が無意識かどうかはゆきには決してわからない。逆にゆきが緊張しているかどうかも龍二は決してわからない。 そんなお互いの知らないところで、なにやらふわふわと感情が動いていた。 『ゆきちゃん、明日も休み?』 「え、あ、はい、そうですけど」 『そっかー、いいなー、オレも休み欲しいー』 「明日もみっちりですか?」 『ううん、明日は少し朝がゆっくりなんだ。お昼ぐらいからだからちょっとだけお休み?』 「それって休みって言わないと思いますけど……真幸さん、丸一日のお休みとか、あります?」 『……聞かないで』 「……そうですか」 どこまで大変な仕事なのだろう、それはゆきには想像しか出来ないけれども、決してやさしいものではないことだけはわかる。 けれど、ゆきはその瞬間にふと思い出した。前に会った時に、龍二が言っていたこと。 ──大変といったら大変だけど、楽しいよ。 思わず、ゆきの顔にふわりと笑みが浮かぶ。きっと今も、忙しい、大変だ、といって目の下にくまでも作ってるのかもしれないけれど、彼は笑っているのだろう。 「真幸さん」 『うん?』 「楽しいですか?」 『うん? そうだね、忙しいけど、忙しいのも楽しいよ』 「やっぱり」 くすくすとゆきが笑っているのが電話越しにでも聞こえたのだろう。なに? と龍二が聞いてくる。ゆきはいいえ、と笑っていた。龍二が好きでやっているから、と言ったあのときの表情が、思い浮かぶ。 あの時の、ゆきがうらやましいと思えたあの笑顔が。 『なにー。気になるなあ』 「いえいえ、多分、真幸さん楽しいんだろうなあって思っただけですよ」 『そう? 楽しそうに聞こえた? でもそれは多分、今日の仕事が早く終わってゆきちゃんと電話できたからだなー。今日も昼間の移動のときとか、結構ぐだぐだ気分だったもん』 「わ、私は関係ない気がしますけど……まあ、気分転換の一環になったならそれはそれで良かったです」 『いやいや、ゆきちゃんに癒されたよー。それにゆきちゃんからメール貰っちゃったしね! 忙しかったのがかえってラッキーだったみたい。あー、これでゆきちゃんと会えたらもっとラッキーなのになあ』 さらりと龍二はそんなことを言っている。そんな発言に思わずゆきは唖然として言葉を失ってしまっていたが、龍二はそれでも電話の向こうで楽しそうに話していた。 少しテンションが上がっているせいか、龍二の声はとても楽しそうで、その龍二の声を聞きながら話をしているゆきもまた、テンションがいくらか高くなってきていた。が、ふとゆきは思い出した。 「あれ、真幸さん、今まだ外なんですよね?」 『え? あ、うん』 「すみません、長話しちゃって……。もしかして、これからまた帰って台本読んだりしなくちゃいけなかったんじゃなかったですか?」 『え、あ、そんな時間だった? うわ、ごめんね、気付かなくて』 「いえ、私はうちにいるし、暇だから全然平気ですけど……真幸さんこそ、お疲れなのにすみません」 『オレはゆきちゃんと話ししたかったし、平気だよ。あーでも確かにまだ宿題あるしなあ。帰らないとかー。つまんないな、ゆきちゃんとせっかく話できたのに』 「あ、あの、でもほら、私はいつでも結構暇してますから、いつでも」 『本当?』 「ええ」 電話で話せたのは、ゆきとしても楽しかったし、悪い気はしないのだ。けれど、龍二は明日も仕事なのだし、と考えると、いつまでものんびりしているわけにもいかないだろう。 『じゃあ、明日一緒にお昼でも行こうか』 「へ?」 忙しい日々を送っているのだから、せっかく早く終わった今日はゆっくり休んで、そんな気持ちでいたゆきだったのだが、突然の言葉に驚いた声を出す。 ゆきが手元にあった時計をごとんっと落としたのは、龍二は気付かなかったようだけれども。 『明日、昼からスタジオ入りだから少し早くなっちゃうんだけど、ゆきちゃんが良かったら、一緒にお昼食べようよ。ランチデートなんてどう?』 「ででででーと……ですか?」 『そんな嫌そうな……ちょっとショック』 「え、あ、いえ、そうじゃなくて、ちょっとびっくりしちゃっただけで! でも、お昼って、その、昼間、時間空いてるんですか?」 『13時スタジオ入りだからー、そうだなあ、10時に待ち合わせとかどう? 少しのんびり散歩したりとか、買い物したりとかして、お昼食べて。ね、出てこない?』 龍二はそんなことを考えながら少しワクワクしていた。明日の昼、どの辺りで待ち合わせようかな、どこを歩こうかな、などと考えながら。 そんなワクワク気分の龍二とは裏腹に、ゆきはやたらと冷や汗をかいている。 ──えっと、どういうことだろう? 翌日、忙しいわけでもないし、別に10時の待ち合わせという時間帯に問題はない。ないけれども、そうではなくて、龍二の言った『デート』というセリフになにやら違和感があった。 いや、違和感ではなく、緊張感が最優先かもしれない。 『もしかして、明日は忙しい?』 「あ、いえ、そういうわけじゃ……」 『ホント!? じゃ、行こうよ。久しぶりにゆきちゃんの顔見たいし』 「えと、わ、私の顔見ても何も良いことはないと思いますけど……」 『いやきっと良いことあるって! うん、そうしようそうしよう。どうしようか、明日のスタジオは赤坂だから……その付近でもいい?』 「えと、よくはわからないですけど……駅なら大丈夫……だと思います」 『じゃあ、駅でー……』 いつのまにやら龍二の中では決定してしまったらしく、さくさくと待ち合わせ場所を決めていく。その駅の出口の番号を聞いて、少しまた他愛ない話をしてから、電話を切った。 龍二は、ほっとした顔をして電話を切り、ちょっとだけ嬉しい顔をして帰路につく。明日は良いことあるかなあ、そんなことを思いながら。 そして家に帰って、シャワーを浴びながらふと色々思い返した。今日の収録のこと、対談のこと、玲にメールを送ると言っておいたこと、そして、明日の約束のこと。 「……なんか、ものすごいテンションで誘っちゃったかもしれない……うわ、ウザがられたらどうしよう。明日ちゃんと謝らなきゃ……」 決して、明日の約束をなしにしようという思考はないけれど。 一方、ゆきは。 電話を切ってすぐ、携帯電話を握り締めたまま呆然としていた。 「どどどどどどーしよう……!」 会うことが嫌だとか、誘われ方が嫌だとか、龍二が心配していたようなことは何一つない。けれども、ゆきの緊張を誘うことが一つあったのだ。 会う名目が『ランチデート』。 その呼び名だけで、とんでもなくうろたえていた。 「で、で、デートって……!!」 |