10:早口言葉






 龍二、楠原、玲。その向かい側にゆき、そしてちや。居酒屋で通された席は、六人ぐらいが座れるようにセッティングされた場所だったうえ、女性二人ということで、いくらかゆきたちの方がゆとりのある座席だ。

「とりあえず、お疲れカンパーイ!」
「なんだよ、『お疲れカンパイ』って」
「ひとくくりなんだ」

 楠原が言うのを聞いて、龍二が苦く笑い、玲が笑いながら突っ込みを入れる。ゆきとちやはくすくすと笑っていた。
 いーじゃん、細かいことは気にしない! と言って楠原がビールジョッキを掲げる。それにあわせて、同じく龍二もビールのジョッキ、玲は下戸なのでウーロン茶が入ったグラス、そしてゆきとちやはカクテルのグラスを掲げた。かちん、とグラスを合わせて、お疲れ様です、と笑いあう。
 何のことはない、普通の宴会のハジマリだ。

「ゆきちゃんと一條さんは今日休みだったんだよね。ごめんねー、マサが呼び出ししちゃって」
「オレのせいか」
「違うの?」
「まあ、半分はそうか。残り半分はクッシーのせいだけど」
「俺のせいか」
「そうだよ」
「断言された!」

 泣き付くように楠原が言うと、まあまあ、とゆきとちやが宥めていた。それに乗ったのは自分たちなのだから、別に龍二たちのせいだなどとは思ってはいない。まあ、あの電話のあった日に関しては、ゆきも驚きはしたけれども。

「それにしてもマサ、今日ずいぶん早かったんだな」
「まあね、リテイク少なかったから」
「予定なら、僕たちももう少し早かったんだけどね?」

 楠原の言葉に龍二が応えると、くすくすと笑いながら玲が答える。その玲の言葉に、龍二が首を傾げた。どういうこと? と。

「実はね、楠原くんが……」
「ああああ! 瀬田さんっ、それは言わない約束……」
「してないよね」
「うっ」
「何、もしかして、クッシーのリテイクで遅れた?」
「ううっ」
「ねえ、暁さんと、一條さん。『隣の客はよく柿食う客だ』って三回続けて言える?」

 突然、玲がにこりと笑ってゆきとちやに聞いてくる。いわゆる『早口言葉』だ。
 言われたゆきとちやはきょとんと一瞬目を丸くし、ゆきはぶんぶんと首を横に振り、ちやは小さくそれを言いはじめた。が、やはりいえるものではなく、ところどころごにょごよと怪しい言葉になっている。

「ほら、やっぱり難しいんだって!」
「楠原くん、今日の録りで早口言葉オンパレードだったんだよ。それでちょっと苦労してきたんだ」
「大変だったんだよ、マジで! 一応別録りさせてはくれたんだけどさ、やればやるほど、自分で何言ってるかわかんなくなってきてさあ」
「ああ、あるある、そういうの」

 龍二が同意すると、だろ!? と楠原も盛り上がっていく。ちなみにこの場でも普通に早口言葉が出来ないゆきとちやは、『うわあ』という顔をしているが。

「ということで、真幸くん、言ってみようか」
「え!? マジで?」
「マジで」

 にやり、と玲が笑うと、龍二は苦笑いを浮かべている。それはその話題だけかと思っていたのに、なぜこんなことに。龍二は「あー、あー」と言いながら口を動かしている。いわゆる口のウォーミングアップというところだろうか。

「いくよ」
「せーのっ」
「隣の客はよく柿食う客だ、隣の客はよく柿食う客だ、隣の客はよく柿食う客だ!」
「おぉ〜」
「やるね、マサ」
「プロだからね!」

 一気に早口で言いきった龍二は、勝ち誇ったように笑った。ちなみに、仕事でそれがひっかかりまくった楠原は、ちくしょー、と叫んでいた。

「すごいね」
「うん」

 こそこそと、ゆきとちやも感嘆の声をあげている。彼らが『話す』ことのプロフェッショナルと知ってはいても、やはりすごい。

「と、まあそんな感じだったから、遅くなっちゃったんだよね」
「なるほど。でも今は一回だったからまだいいけど、連発したら死ぬなー」
「死ぬって、マジで! 大変だったんだから!!」
「でもまあ、プロなんだから、やらなくちゃ仕方ない」
「うっ……瀬田さん、キツイ……」

 そんなことないよ、と玲がにっこりと笑った。その笑顔に、思わず楠原は引き攣っていた。ゆきとちやはくすくす笑いながら彼らのやりとりを見ている。仲がいいんだなあ、などと思いながら。

「そこで傍観してるふたりにも言ってもらいましょうか」
「いいね」
「うわ、楠原くん、意地悪」
「俺だけですか!」

 楠原が言い出したことに、龍二がにやりと笑い、玲が意地悪く笑った。対するゆきととちやは「傍観? ふたり?」と首を傾げている。

「はい、じゃー、ゆきちゃんから言ってみよう。そうだなあちょっと簡単なヤツで……『赤巻紙、青巻紙、黄巻紙』でどう?」
「は!? え、いや、ムリですよ!!」
「大丈夫大丈夫、別に録音してるわけじゃないし」
「ファイト、ゆき」
「ちやまで!」
「がんばれー」

 楠原曰く簡単なヤツ、といわれても、プロのいう簡単と素人の簡単は絶対に違うと思う! そんなことを思いながら、ゆきは困った顔をしていた。ただでさえ、何かを説明しようとするとどもりやすいのである。早口言葉なんて苦手に決まっていた。
 第一、楠原が来るのが遅れた原因の話をしていただけであって、別に早口言葉大会ではないのだ。なぜこんなことに。

「え、えーっと……あ、あか……あ?」
「いきなりか!」

 思わず最初からどもってしまったゆきに、ちやが思いっきりツッコミを入れた。ゆきはあっはっはー、と笑ってごまかしている。

「だからムリだって言ったのに……」
「ま、気楽に気楽に」
「あかまきがみ、あおまきがみ、きまま……? キーッ!」

 先ほどの龍二には比べ物にならないほど丁寧に言っていったが、あっという間に撃沈。少し顔を赤らめながらも、キレたような叫びを上げて、またしてもちやの笑いを誘った。が、一方楠原は、そんなとちったゆきを見て、嬉しそうに笑った。

「おめでとう、ゆきちゃん。これで俺と同じだ!」
「一緒にしちゃだめだろ、クッシー。一応プロなんだから」
「うっ」
「じゃ、つぎ一條さんね」
「え、わ、私もっ!?」
「当然っ。えーっとそうだな、一條さんはー……」
「東京特許許可局」
「ええ!? 玲くん、それきつっ」

 何を言ってもらおうかな、と楠原が考えていると、突然さらりと玲が難関を言い出した。それに驚いた龍二が思わずツッコミをいれる。たとえ一回きりだとしても、その一回さえも難しい言葉である。

「瀬田さん、鬼だ……」
「さすが玲くん……頑張って、一條さん」
「ええぇぇ……ムリですよ、一回だっていえませんよ……」
「じゃ、二回でいいよ」
「『で』の意味がわかんねー!」

 楠原がげらげらと笑っている。ちやにとっては笑い事ではない。

「ゆきー……」
「ファイト!」
「うわ、見放されたーっ」
「さ、いってみよう」

 にっこりと玲が笑う。誰も助けようがない。いわばお遊びなのだから、ムリに止める必要も無いことといえば無いことなのだし。

「あーえーっと。東京特許きょきゃきょ……もうダメじゃん!」
「あはははは! やっぱ言えないよねー!」
「ゆき笑いすぎ!」

 ああもう、とちやが頬を膨らませる。ゆきは大爆笑だ。自分だっていえなかったのに。まあ、そんなものである、飲み会のお遊びなんて。



 早口大会も終わり、楽しく呑みながら(とはいえども玲はずっとジュースであるが)宴会は繰り広げられていた。店の中もほぼ満席なのだろう、人のざわめきはあちこちで響いている。
 そしてもちろん、ゆきたちの席でも、和やかな会話は続けられていた。仕事の話、テレビの話、芸能人の話、などなどなど。なかなか、仕事も違うし、まだほとんど互いのことを知らないために、何を話して良いのか掴みきれないところもある。
 とはいえども、お互いにそうなのだから、それほど困った、と思う事もなく会話は進められていた。

「ゆきちゃんの会社って、飲み会多いよね」
「そうでもないですよ?」
「そう? だって最初もこの前も会社の飲み会だったよね」
「それはまあ……ほら、時期が時期ですから……それを言ったら、ちやの方が多いですよ」

 春という季節は、送別会や歓迎会が増えるものである。人によっては、仲の良い部署からのお誘いもあったりして、自分のところだけには留まらないため、連日飲み会、というのもよくある光景だ。
 そしてゆきが不機嫌になりやすい時期でもあった。残念ながら。

「え、うち? うちはまあ……でも私とかはそんな行かないし、うちの部署は特に行かないほうだと思うけど……でも、会社の飲み会、って感じのはほとんどないよ」

 一方、ちやが勤める会社では、新人は結構随時入ってきているが、一部はあまり入れ替わりもないのでそういう飲み会はほとんどない。それに、時間帯が結構まばらなため、なかなか揃って飲み会、というのは少ないのだ。

「多分、この中で一番飲み会とかが多いのって、真幸くんと楠原くんだと思うよ」
「そうなんですか?」
「えー、そうかなあ? 俺、そんな年中呑みにいってないですよ」
「年中とは言わないけど、確かにオレかクッシーか、って感じではあるかなあ。玲くんは行かないしねぇ」
「うん、だって呑まないし。うち帰る」
「いっつもこんなだもん。今日、玲くんが来てくれたのって、すっごいレアなんだよ。ゆきちゃんも一條さんもめっちゃラッキーなんだよ」

 そういうものなんだ、とゆきとちやは関心しながら聞いていた。

「来てくれてありがとうございます」
「いやいや、今日はなんとなく。たまにはね。まあ、来たらいきなり昨日の人がいたからびっくりしたけど」

 楠原がお礼を言うと、玲がそういってちやを見た。ちやは確かに、などと言って笑っている。

「暁さんのことは、来るときに楠原くんから聞いてたんだけどね」
「え、そうなの? ちなみになんて」
「真幸くんがナンパしたかわいい子って」
「オイ、クッシー!」
「あはは、だってホントじゃん!」

 前回、偶然会った場所での飲み会もそうだが、なにやら酷く誤解されていた。楠原にはゆきは龍二がナンパした相手、ということで勝手に固定されているらしい。龍二としては、ナンパなどしたつもりはないし、そういうのはどちらかというと苦手である。
 合コンだって嫌がるのにナンパが出来るはずもない。

「それで、ゆきちゃん、本当のところは?」
「へ?」
「だから、マサにナンパされたの?」
「えーっと…………されましたっけ?」
「してない! してないから!!」
「だそうです」

 ゆきはにこりと笑って、龍二の言い分を伝えた。ゆきとしても、最初はちょっとだけ『新手のナンパか?』などと思ったりはしたものの、ただの偶然が重なっただけ、というのは重々知っている。

「えー、本当? ね、一條さん、何か聞いてない?」
「えっと……私は何も。真幸さんとはすごい何度も偶然が重なったのは聞いてますけど……」
「というか、最初に呑みに行こうと誘われたのは楠原さんだった気が……」
「アレ、そうだっけ?」
「そうだよ」

 ゆきに言われて、首を傾げた楠原は、龍二に聞く。忘れるなよ、と言いたそうな顔で、龍二は楠原に答えた。
 ゆきが会社帰りの時に、龍二がまたも偶然会って、その時に話をしていたら楠原が誘ったのだ。それは紛れも無い事実であり、そうなるとどちらかといえばナンパしたのは楠原の方である。龍二は顔見知りと話をしていただけなのだから。

「そっかそっか、そうかもしれない」
「かもって、ずいぶん怪しい記憶だなあ」
「ま、まあいいじゃん! ところで一條さん!」
「は?」
「メールアドレス教えてくれますか、ってマサが!」
「またオレかよ!」
「なんだかどこかで見た気がしますねえ」

 くすくすとゆきが笑っている。
 この光景は、紛れもなく、最初にゆきが龍二と楠原と呑みに行ったときと同じ光景。あのときも楠原が言って、龍二が知りたがっていると言ったのだ。とはいえど、それを知っているのは龍二とゆき、そして楠原だけである。玲とちやは首を傾げていた。

「何、楠原くん、前もそんなこと言ってたの?」
「そうなんですよ、私のときも。ね、真幸さん」
「そうなんだよー。いっつもなんでもオレのせいにしやがって」
「なんだよー」
「なんだよじゃないよ」

 まったく、と困ったように龍二が笑う。
 ちやは別にいいですけど、と言って携帯電話を取り出した。

「……ゆき」
「何?」
「はい、あとよろしく」
「は? あんた自分の携帯でしょ!」
「だって替えたばっかりなんだもん」

 ん、とちやはゆきに携帯を渡す。口を尖らせて文句を言いながら、ゆきはちやの携帯電話を弄っていた。

「じゃ、真幸さんに送りますよ」
「はいはい」

 ゆきは自分の携帯を見ながら、龍二のアドレスにメールを送る。

「オッケー、ありがと」
「いえいえ。あの、瀬田さんは?」
「あ、いいの? じゃ、僕も教えてもらおうかな」
「じゃ、アドレス教えてもらえます? 一度ちやの携帯からメールするんで」

 ちょっと待ってね、と玲が携帯電話を出して、アドレスを表示させて、ゆきに見せる。ちやは隣から覗き込むように、ゆきがやっていることを見ていた。

「一條さん、自分の携帯なのに……」
「あはは、替えたの、この間の休みのときなんですよ。これと同じメーカーの前の機種、ゆきが使ってるから、ゆきがやった方が早いと思って」
「なんでもさらけ出してる感じだねぇ」
「ええもう、バッチリ」
「なんで勝ち誇ってんの、ちや」
「よくわかんない」

 そうこう話している間に、ゆきは玲にちやのアドレスを教え、ゆき自身のアドレスも教えた。龍二も楠原も知っているのに、断る理由もない。
 そしてぱたん、とゆきが携帯を閉じると、アレ!? と楠原が声をあげた。

「俺にはっ!?」
「だって、楠原さん、真幸さんに教えてっていったじゃないですか」
「えぇぇぇ!」
「……なんかコレも見たことのあるような……」

 ゆきと楠原のやりとりを見て、龍二が笑っていた。それもまた、ゆきのアドレスを教えてもらおうと思ったときの楠原のやりとりである。またしても再現するとは、さすがゆきちゃん、などと半ば感心していた。
 俺にも教えてくださいー、と楠原が言うのをくすくす笑いつつ、ゆきがちやのアドレスを教えた。

「ありがとー」
「いえいえ。ありがと、ゆき」
「まったく、今回だけだよ」
「そうそう無いから、こんなの」
「確かに」
「それでですね!」
「は!?」

 うんうん、とゆきとちやが顔をあわせて頷いていると、突然アドレスの保管が終わったのか、楠原がずい、とまた大きな声で叫びだす。なんとなく、次はコレかな、という想像が出来たのか、ゆきと龍二はくすりと笑った。

「何ふたりで目配せして笑ってるの?」
「え、いやいやいやいや」
「なんとなーく、これも見たことのある光景かなーなんて思って」

 玲が不思議そうな顔をして聞くと、龍二とゆきが笑いながら答える。きっとこのあとにつづく言葉はこうだ。絶対。

「ちやちゃんって呼んでいいですかって、マサが!」
「やっぱり!!」
「やっぱりそうか!!」

 盛大に龍二とゆきが笑いだすと、うるさいなっ、と楠原もまた笑いながら答えていた。どうやらそれも、ゆきのときと同じらしい。
 とはいえども、そんなことはちやも玲もやはり知らないので、きょとんと目を丸くするばかりだ。

「ちや、瀬田さんとおんなじ顔になってる」
「え、だって」
「ねえ」
「クッシー、ゆきちゃんとはじめて呑んだときも、おんなじようなこと言ったんだよ。まあ、呼び方までオレになってはなかったけどね」

 なんでもかんでもオレのせいか、と龍二は苦く笑ったけれども、それはそれでちょっと面白かったからまあいいか、などと思ってしまっている。そこが龍二と楠原の仲が続いている理由かもしれない。

「だって、ゆきちゃんなのに、一條さんじゃ寂しいじゃん!!」
「いやべつに寂しくはないですけど」
「えええ! 寂しいよ、むしろ俺が寂しいよ!!」
「楠原さん、呼びたがってるの真幸さんじゃなかったんですか」

 思わず楠原の言葉にゆきがツッコミを入れると、えええ! とまた大きな声で叫びだす。すると、玲が今度は冷たく

「うるさいよ」
「す、すみません……でもでもでも!」
「別に何でもいいですよ、よっぽどヘンな呼び方されなければ」
「やった! マサ、俺やったよ!!」
「はいはい、よくやったよくやった。『ちやちゃん、ありがとう』」
「『ごめんね、ちやちゃん』。楠原くん、うるさくて」

 ここぞといわんばかりに、楠原に先行して龍二と玲がにこりと笑って『ちやちゃん』と呼んでいる。明らかに楠原をからかう方向だ。
 とはいえども。
 ゆきはまあ、すでに経験したとはいえども、さすがに知り合ってさほども経っていない相手に「ちやちゃん」などと呼ばれては、ちやも思わず赤面してしまっていた。しかも声に演技の色を混ぜられたら、恥ずかしがるなというのがムリ。

「(ゆきぃ……)」
「(なに?)」
「(なんか、あのふたり声甘い……)」
「(あはは……)」

 そんなことをこそこそとゆきとちやが話していると、一方で楠原が「ずるいっ!」と叫んでいた。





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