5:現実 程なくして辿り着いた町も夜の闇に包まれている。それほど歩かなくても町に辿り着けるのは、ここが琥山の近くだからだと火杜が言っていた。楽しげに町のことや仁本での常識のようなものを火杜が教えてくれる。それを聞いている美月は、といえば自分の持つ想像力などを駆使して火杜の言葉をイメージしている。それでも限りはあるのだが。 「さて、宿がうまくとれると良いけど」 ぽつりと火杜が言った言葉に水杜は頷き、美月は首を傾げる。 確かにすでに夜遅い。だがそれほどに宿は混雑してしまうものだろうかと美月は怪訝に思っていた。だが、その理由は数分後にすぐ理解できることになる。 町の中は暗闇だった。峯鳴の南都では町にある家や店の前に明かりが灯してあった。もちろんすべての家ではないし、すでに店はほとんど開いていなかったが、それでもいくつかの店は閉店していても明かりだけは灯していた。だが、ここではそれとは全く逆だ。家であれ店であれ、ほとんどのところから明かりがなくなっている。 「……なんでこんなに暗いの?」 首を傾げて美月が訊ねる。別に暗いのが怖いと思ったわけではない。夜は暗いものだ、と納得は出来る。けれど、人が住んでいるのにこうまでも町を暗くしておくことは無いのではないだろうか。 「時間が遅いせい、というのもあるが……あまり他所の人間を好まない町なんだ、ここは」 「……好まない? 旅館でも?」 旅館という場所は旅をする人に宿を貸す場所、そんなところで他所人を好まない、っていういのはおかしいのではないだろうか。そう思うのは当然なことだ。他所の人を好まないのなら泊まりに来る客も好まない、ということ。なら旅館など経営する必要もないだろうにと思うのは当然だろう。 「店とかそういうのは関係ないんだ。ただ、他所の人を立ち入らせたくないってこと。まあ、宿ぐらいは提供してやるから詮索するな、って感じかな」 そういう体制は火杜にも気に入らないらしい。言葉は軽いものの、表情はむっつりとしている。 「とりあえず俺が行って来る。火杜と美月はそこで待ってろ」 「へいへい」 水杜に言われたとおりに火杜と美月は宿の前で立ち止まっている。看板にはまたも舷楼宿≠ニ書かれていた。看板はおそらく鮮やかな色をしている。朱塗りの板に金の文字、昼間であれば相当目立つだろう。他所の人たちを好まないのならここまで目立たせる必要があるのだろうか、と思えるほどだ。 「ねえ、火杜?」 「ん?」 「この看板、なんて読むの?」 「げんろうしゅく、だな。この辺りの宿にはみんなそう書いてある。宿屋のことだよ」 なんで宿屋じゃだめなんだろう。旅館とか。そんなことを美月は思ったが、それがこの世界での慣わしならどうこう言っても仕方ない。そうこうしているうちに、宿の入り口から水杜が声を掛け、無事に宿の確保が出来たと告げた。 宿屋の中は峯鳴の南都での宿とそう変わりは無い。ベッドとテーブルだけの質素な部屋だった。 「うへ、もしかしてこの部屋で三人?」 「当然だ」 「え! そ、そうなの?」 さすがに男が一人増えたのだから、部屋はふたつになるだろうと思っていた。 先ほどの宿とは違い、ベッドとテーブルがあるだけでほぼいっぱいだ。エキストラベッドなんて置けるようなスペースがあるようには思えない。だから美月は自然と部屋はふたつあるものだと思っていた。 「お前を一人にするわけにはいかない。風杜が来るまでは我慢してもらうしかない」 「あの、風杜って?」 「風杜も四蓬だよ。風の守人。これがまた強気な女でね……」 「女性もいるんだ……」 一人だけな、と火杜が苦く笑った。どうやら火杜はその彼女が苦手らしい。 ベッドにどっかりと座った水杜と、その向かい合わせのベッドに座った火杜。そしてまたしてもドアの前で立ったままの美月。どうすれば良いものかと視線をめぐらせてから椅子に座った。視線は彼らよりも少し高くなるが、ずっと立っているわけにもいかないし、また水杜に何か言われるかもしれないと思って自分から動いた。 「それで、これからどうするのか、水杜は知ってんの?」 「そこだが……今ここには四蓬も揃わず、律師も居ない。月姫が覚醒していない以上、城にも入れない。ということは、四蓬が揃うまでどうすることも出来ない、と言うことだ」 水杜の眉間には深い皺が刻まれている。月城と言われる月姫の城。それは琥山地底にあるというにも関わらず、その琥山の近くの町では襲撃されたのだ。警戒しないわけにはいかない。 ちらりと水杜が美月を見る。 祐理に襲われたときの美月の怯えようは尋常ではなかった。そしてあの祐理のどんよりとした瞳。夜盗などをやっている時点で輝く瞳など持ってはいないだろうが、あの濁った瞳には何かあると思えた。 火杜はベッドに寝転がっているが、美月は何がなんだかわからないまま彼らについてきているためどうすることも出来ない。だが、ただ一つだけ、聞きたい事があった。 ──帰れるのか。 夢の中にでもいるような気がするが、どうやら現実らしいと納得はした。けれども、ここは美月が知る場所ではないのも現実だ。 自分が居たあの場所へ戻る事が出来るのだろうか。それを思うと美月の心は沈みこむ。訊ねたいが、訊ねられない。月姫、と言われた。自分がそれであるとは納得できない。だが、自分を月姫と言う彼らに向けて、帰りたいという言葉が出なかった。出してはいけないような気がした。 「火杜、なぜお前は美月が来たときに居なかった」 「ああ、それ? オレも水杜に聞きたかったんだ。どうやって月姫が降りたの知ったんだ?」 「……どうやって? 声があっただろう、四蓬任命の時に言われたとおり」 「それが無かったんだよな。何か水杜のとこに行けって杜貴に言われて探してた。水杜に近づいていったら、月姫の声が聞こえたんだ」 火杜の言葉に、水杜はまた眉間に皺を寄せた。どういうことか。月姫降臨の時には本来、月城に月姫が現れ、四蓬も召集されるはず。それは誰が連絡を取るわけでもなく、月姫降臨の声が聞こえてくるものなのだ。だが、それがあったのは水杜のみ。しかも月姫は月城には降りられなかった。 何かが、動いている。 それが何かまでは全くわからないが、何かが動いて、狂わせている、と水杜は感じた。寝転がったままの火杜は水杜の方に顔を向け、にやりと笑う。 「月城の噂が事実、ってことじゃない?」 「簡単に言うな。あんなのはただの風聞だ」 「でも、月姫が現れた声を聞き取れない四蓬なんて、聞いたことないぜ。それに、なんたって四蓬がまだ集まっていない。律師なんてどこの誰だかも知らないんだぜ?」 確かに、と水杜はうなる。月姫に近く従うものは四蓬と律師。そのふたつはかならず月姫降臨の時には傍にいるはずだと水杜も聞かされている。降臨の兆しがあれば、それは四蓬と律師に確実に伝わるからだ。だが、それがないと火杜は言い、現実に四蓬のうち二人しかここにいない。律師に至っては……存在すらも謎の状態である。 「せめて律師がいれば違うんだろうけどな。まずは仲間探しするしかないんじゃないか?」 「……そうだな」 「あのっ!」 水杜と火杜で話がまとまろうとしたそのとき、美月は声をあげた。はっきり言って先ほどまでの二人の会話は美月にはさっぱりわからない。だが、それよりも知りたいことがあった。聞いてはいけない気がしていたが、それでも聞かずにはいられなかった、という様子だ。 身を乗り出して美月は彼らに向き直る。二人がこちらを向いたのを見てこくんと息を呑んだ。 「……わたしは、帰れるの?」 その言葉に帰ってきたのは、沈黙だった。 ◆ ◆ ◆ ◆ 部屋の中の明かりは消され、月光だけが部屋を照らしている。暗闇に浮かぶ人の影は窓の外を眺めていた。 椅子の上で小さく座り、月を見上げる。 どこにいても変わりないその月の姿が、妙に悲しかった。 自分のいた場所から見た月も、この場所で見る月も、どちらも美しく空に輝いている。けれどそれは、今の彼女にとって孤独を誘うだけの輝きだった。 ──寂しさを感じさせるだけの輝きだった。 ◆ ◆ ◆ ◆ 町の中は砂埃が浮かび、空気が茶色に見える。渇いた町、という印象が強い。 「早いな」 「あ……おはようございます」 「ああ。……寝ていないのか」 眠そうな目をした水杜がベッドから起き上がり細く目を開いて美月を見る。狭めた視界に移った美月の表情は明らかに疲れを見せていた。何かを応えるでもなく、水杜の言葉にかすかに美月が笑った。 急激に起きた変化に、美月がついていけない。そんな状況だというのは水杜にも容易にわかる。だが、この変化は起こるべくして起きたもの、水杜がどうこうすることも出来ない。だからどう言葉をかけてやることも出来ない。……たとえ、気休めの言葉だろうとしても。 「火杜、まだ寝てるのか。いい加減起きろ」 床で毛布に包まって眠っている火杜が小さくうなって身体を起こす。それでもまだ目が覚めていないのだろう、目を閉じて座ったまま眠っている。その光景はなんと平和なことだろう。けれども、そこにいる三人は知っている。今は、穏やかな時を過ごせる状態ではないということを。 「あの……」 「何だ」 「これから……どうするんですか?」 「……昨日言ったとおりだ。仲間を探さなければならない。出来れば今日はここに落ち着いて情報を集めたいところだが……」 突然言葉を切って、水杜はベッドから立ち上がる。 部屋の窓を大きく開いて、水杜は腕を上げた。するとそれまで何も無かった場所から、水杜の腕に白い鳥が止まった。 「……杜貴」 ぽつりと美月は呟いた。黒の世界の中でふっと消えた白い鳥。そういえばあの鳥は水杜と話をしていた。火杜もまた杜貴に言われて水杜を探したといっていた。ならば、この杜貴は他の仲間という人たちを知らないのだろうか。そう思った美月は杜貴を見る。白い羽に白い尾、その尾の中には緑が混じっていて鮮やかな印象を与える。 「杜貴には他の仲間の居場所を探させている。貴鳥という鳥なのだが、それぞれの姫王に一羽だけが存在する。杜貴が仲間を見つけてくれば、それの場所に行けなくもないのだが……今は何も伝えてこない」 「……そうなんだ」 「律師か守が見つかれば、お前の希望がどうにかなるかもしれない。今はどうとも言えないが」 「……はい」 水杜の腕に止まった杜貴は、あの黒の世界でもしていたように羽をふわりと広げた。何かを伝えるかのように、ふわり、ふわりと羽を動かす。幻想的な白い羽は優雅にはためいていた。その姿を美月はぼんやりと見ている。すると背後から、とんとん、とドアをノックする音が聞こえた。立ち上がった美月を制して、水杜がドアに向かう。杜貴はふわりと火杜の方へ飛んでドアから見えない位置に姿を隠した。 「……誰だ」 「こちらに水杜という方がいると聞いて来たのですが」 ドアの向こう側から聞こえるのは、さわやかそうな男性の声。夕べ現れた祐理ではないことは確かだ。警戒するように水杜はドアに近づいて一度だけ振り返る。 くい、とあごを動かして、美月に何かを訴えている。それを隠れていろ、という合図に受け取った美月はすぐに立ち上がりドアの死角に入り込んだ。それを見た水杜はわずかにドアを開く。 ドアの向こう側に立っていた青年は水杜とそう身長も変わらない。その青年は銀に近い色をした髪の色、そして細いふちの眼鏡の奥の瞳は青褐色をしている。美月にとっては当然だが、この仁本においてもその色は珍しいものだ。きつい表情をした水杜はじろりと彼を睨みつける。けれど彼はそれに動じることはまったくなく、ドアを開けてくれたことに対して礼を述べた。 「ありがとうございます。廊下から名を呼ぶのは失礼かと思ったのですが、これしか方法が無かったもので」 「……何の用だ?」 「ああ、あなたが水杜さんですね。私は戒と言います。月姫の律師にあたる者です」 にこりと微笑んだその笑顔に、毒は含まれていなかった。 |