白霧の間 秋陽が"白霧の間"に行ってからどれくらい経ったのかわからない。早く秋陽に会いたい。別に何があるわけでもないし、秋陽がいる"白霧の間"は賀茂家の霊場、そうそう危険なこともないと思う。 それなのに、どうしてか胸騒ぎがする。秋陽を早く見つけないといけない、そんな気がする。 『成明』 「なんだよ」 頭上から、晴明が話し掛けてくる。晴明の姿はうっすらとしか見えない。言ってみれば幽霊のようなもの、仕方ないといえばそうなんだけど。秋陽のいる"白霧の間"についてからずっと神妙な顔をしている…気がする。 『まずは賀茂家に行ってみるといい』 「賀茂家?」 『そうだ。そなた交流はあるのだろう?』 「……ああ」 一度だけ、行った事がある。はっきり言って悪い印象のが強いけど。 安倍 晴明の子孫とはいえ、ただの"土御門 成明"でしかないのに。賀茂家はそうは見てくれなかった。"晴明の子孫"であることの方が大きいらしい。賀茂家に弟子入りしている修験者たちがうろうろと俺の顔を見ようとしていた。その気配だけでうんざりさせられた。 『まずは賀茂家の動向を探れ。式神にやらせても良い』 晴明のアドバイスを聞きながら数体の式神を創造した。そして、それらをそれぞれの場所に放ち、俺の頭にはいくつかの映像が飛び込んでくる。俺の"目"になった式神たちはそれぞれの場所からその目に映るものを伝えてくれる。 『成明、ゆくぞ』 「今度はどこだ?」 『お前の家だ』 「はぁ?!秋陽はどうするんだよ!!」 『今は"白霧の間"だ、手を出せぬ』 「それはわかってるけど…!!」 上空に向かって叫ぶ姿は他人が見たら不信に思うだろう。でも、今はそんなことをかまってはいられない。秋陽を捕まえるにはどうしたら良いのか。それ以外に考えることなんてない。 『だから帰るのだ。おぬしには別に力を使ってもらう必要がある』 「…どういうことだ?」 『良いから早くしろ』 何時の間にか晴明の口調が高圧的になっている。どういうことなんだろうか。秋陽に危険はないって言ってたはずなのに、何を焦っているのだろう。あえて聞かずに、俺は晴明と自宅へ向かった。 自宅に着いてから、晴明は何も言わず黙り込んだままだ。俺は静かに目を閉じて式神の"目"を追っていた。一つが賀茂家で何か話を聞いている。どうやら、秋陽は家を出るときに"白霧の間"へ連れて行かれたようだ。 別に無理やり連れて行かれた感じではなかった。少しすると、別の式神の"目"が飛び込んできた。…怨霊が歩いている。武士の格好をした怨霊が歩いている。 「晴明、武士がいる…」 『武士?どこだ、そこは』 「ちょっと待て………"白霧の間"の近くだ!」 "白霧の間"に向かっているのか。何かに操られるように、ゆらゆらと武士が歩いている。どうして…?! 『成明、時間がない。式服に着替えろ』 「式服って…何言ってんだよ?!そんなもん着てどうするんだ?」 式服は、陰陽師が『儀式』 を行うときに着るもの。晴明はほとんど白の狩衣を着ていたのを習いに、式服も真白なもの。こんなときに何故式服を着ろと言い出す? 『いいから急げ。禊を忘れるな』 晴明はまたそのまま瞑目している。なにを言っても聞きそうにない。俺はおとなしく禊を済ませて、白の式服に見を包む。 「晴明、どうするんだ」 『"白霧の間"へゆくぞ』 すい、頭上を風に流されるように動く。俺は歩きなんだってのに、こいつは…。とにかく、急ぎなのはわかったから、晴明の後をついていった。 『成明、人型を造れ』 "白霧の間"の前に着いてすぐ、晴明は言う。 「人型?式神と同じでいいのか?」 『ああ、頼む』 俺は言われたとおりに懐から紙を出して、ナイフで人型に切る。人の形のようなものに息を吹き込むと式神が出来上がるのだ。…こんなもの、どうするつもりだ…? 『土の上に置け。そうしたら、反閇(へんばい)を踏むのだ』 「…なにをする気なのか、そろそろ言えよ」 『…おれがその人型に入る。紙の依坐(よりまし)ではあまり力は使えぬと思うが…こうして霊態のままでいるよりは良い筈だ』 「そ、そんなことできるのか?!」 『ふん、お前だけでは無理だ。だから教えていなかったのだが…なにやら悪い予感がする。やるぞ』 晴明に言われたとおり、反閇を踏む。この反閇は陰陽道において重要な術のひとつ。そう簡単には教えてもらえない。だからといって、反閇で憑依することができるなんて訊いたことない。 『………』 なにかぼそぼそと言っているのが聴こえる。成明の反閇にあわせて術を唱えている。成明は反閇を踏みながら呪(しゅ)をとなえる。すぅ、と頭上から晴明の気配が消えるのがわかる。それと同時に、地に置いていた形代(かたしろ)が動き出す。紙だったそれが、次第に大きくなり、厚みを増す。人間の顔、形を取り始める。 「こんなもんかよ」 「……晴明?」 「おぅ、成明、よくやったな」 式神とは形代に霊を宿すこと。そしてそれを使役する。…とはわかっているものの…まさか幽霊が紙に憑依して、なんて考えたこともなかった。 「地に足をつけられるというのは久しぶりだな。この体の重みに疲れそうだ」 「…うわぁぁ、ホントに安倍 晴明?!」 「…本当だ」 歴史上の人。成明の祖。 成明の頭上に浮遊しているもの。それしか知らない。 けれど、目の前に現れたのは紛れもなく、安倍晴明その人だった。史実に語られているのと同じ、肌は色白、薄く紅い唇、かすかな笑み、真っ白の狩衣。 「…うわぁぁぁぁ…」 「なんだ」 「いや、晴明ってこんな顔してたんだ…」 「おかしいか?」 「いや…像になってるのよりいい男だぞ」 「当然だ」 何が当然かはわからないけど、とりあえず晴明はかっこいい、と思う。とにかく驚きで唖然とした。 「おい、成明。呆けている余裕はないぞ。例の武士どもはもうすぐ現れる。その前に"白霧の間"に入る」 「入る、って…どうやって入るんだ?結界がはってあるんだろ?」 「結界を崩す。九字を切れ」 よくわからないけど、実体化した(紙に憑依した)晴明は、いつも以上に凄みを増している。頭上で叫びあってるのと同じ人物には変わりないが、清らかさが伝わる。その清らかさが凄みに変わる。 平安時代の人たちが晴明を恐れたのはこの凄絶な存在感のせいかもしれない。 「臨・兵・闘・者……」 九字を切る成明のとなりで、晴明が呪を唱える。唇に添えていた指を結界との境ぎりぎりにかざす。力がそこに凝縮するのがわかる。成明の言霊になった九字の呪もそこへ集中していく。 一瞬の閃光が走る。 「晴明!」 「…解けたか」 肩で息をしている。さすがに大呪だったらしく、肉体を持たない晴明にはきつかったのかもしれない。 「成明、行くぞ。おそらく少し進めば保憲どのがいるだろう」 そう言って晴明は歩き始めた。肩で息をしているくらいなのに、晴明の歩きは成明よりも早かった。平安時代の人の歩く速さなど知らない成明はいくらか驚いた。どちらかといえばゆっくりと歩いている印象が強かったようだ。 「成明、後ろから武士がくるぞ。急げ」 「あ、あぁ」 急いで"白霧の間"を走る。少し経つと、すぅ、と霊気が近づいてくる。 「保憲どの、大丈夫ですか」 『そなた…晴明か?』 「いかにも。結界破りをしてしまったので、保憲どのがこられるとは思うていましたが…ご無事でいらっしゃるか?」 『やはりおぬしの力か。すこし中は騒然としているぞ、賀茂家の結界を破るものなどいるのかと、な。もうすぐ奴らもくるであろう。…それにしても、成明がこのような力を持っていたとは…』 「成明一人では無理ですよ、保憲どの」 『…だろうな』 おれはバカにされてないか?と思いつつも、二人のやり取りを聞いている。確かにまだ陰陽術は体得しきっていないから言い返せない。 『で、成明、秋陽はこの奥だが…そなたを行かせるわけにはいかぬのだ。霊場に立ち入ればそなたの身も危ないだろう。秋陽に待っていろと伝えておくよう言われたのだ』 「そんな…!秋陽は…秋陽は無事なんだろうな?」 当然だ、と保憲が言う。それならば俺はどうしたらいいか、と成明は考え始めた。 「保憲どの、あまり時間がない。早急に祭事を終わらせるように秋陽に伝えてくだされ。怨霊がこちらに向かってきております」 『…平家武士か?』 「おそらく」 思い当たる節でもあるのか、保憲は「諾」 と一言いって奥へと入っていった。残された成明と晴明はその場でどうするか考え始める。 「成明、少し出口まで戻る。力をためておけ」 「…何をするんだ?」 「保憲どのと秋陽が戻る前に平家武士は来るだろう。とりあえずそやつらを蹴散らさねばならぬ」 その場から動き、"白霧の間"の元の結界そばまで戻る。力を全身に満たす。晴明の力を借りて、そこから五芒星の結界をはった。怨霊が白霧の間へ向かう前に、こちらに注意を向けておく必要がある。 静かに瞑目している晴明がいる。晴明がこうして人の形を取るためにどれだけ力を消費しているんだろう。少なくとも、簡単にできることではないはずだ。 せめて。 せめて、晴明の足手まといにならないように… |