始まり
「成明、来るぞ」
「あ、ああ」
賀茂家の結界の中で、安倍家の結界を張る。それは本来危険極まりないことだ。だが、それもまた、賀茂家を守ることになる。成明に迷うことなど何もない。向かってくる平家武士は間違いなく"白霧の間"の祭壇まで行くだろう。
そこには秋陽がいる。秋陽に危険が及ばないよう、ここで食い止める。…のはわかるんだけど。
「ちょっと待て、晴明!もしかして肉弾戦するのか?!」
「なんだそれは。いいから倒せ。憑依されるなよ」
晴明と背中合わせに立つ。 後ろに晴明がいる、それが成明にとってとても力強く感じられた。憑依しているだけでも、晴明の力の強さはわかる。頭上に浮いている時とはたいした違いだ。
「ところで晴明」
「なんだ」
背中合わせに立っている二人が対峙しているのは平家武士。ゆっくりと群れをなして近づいてくる。なかなかにしておどろおどろしい風景だ。
「どうして平家武士がここを襲うんだ?」
「……さぁな、あとで保憲どのにでも聞いてみろ」
言い終わる前に、怨霊が集まってくる。晴明と目で合図をしながら、少しずつ離れる。怨霊とケンカなんてサイキック小説みたいなことする日が来るなんてーー!と思わず嘆きたくもなってしまう、現代人。
どうしたらいいのか、と晴明を少し見ると、何か呪を唱えている。術を使っているらしいが、それが何の術なのかはわからない。わかったからといって成明ができるのかと言われたらそれも謎だが。
「成明、結界内に縛せ」
「わ、わかった」
怨霊が結界に足を踏み入れてきたのを確認して動きを停めさせる。晴明はずっと呪を唱えている。かすかに険しそうな顔を見せてなお唱え続ける。成明は縛鎖を解かれないように印を強く結ぶ。
少しすると、結界内で縛された怨霊たちがうめき出す。いまだ、と晴明に言われ、調伏法を行う。調伏の印を結び、術を唱える。縛されていた怨霊はしゅう、と空中に消えていった。
「…これで、いいだろう…」
「晴明!大丈夫か?」
「ふん、たいしたことでは…ない、と言いたい所だが…少々、暴れすぎたか…」
そう言うと、晴明は地面に座り込む、と同時に、晴明はひゅう、と紙になってしまった。
「晴明?!」
『ふぅ、人型は疲れるな』
これまでと同じように、晴明の声が頭上から聴こえる。いくらか疲れたような声をしてはいるが…
「晴明、大丈夫か?」
『あぁ、肉体を持ったのは1000年ぶりだからな、さすがに疲れたが・・・それにしても、あまりに空気が薄くてその方が苦しかったぞ。よく生きていられるなおぬし』
はぁ、と深呼吸をして(霊に深呼吸なんて関係あるのか?)晴明はすぅ、と目を細めた。
「どうした?」
『秋陽だ』
え?と振り返ると、秋陽が走ってくるのが見えた。ぶんぶんと大きく手を振って走っている。もちろん、頭上には保憲があくびをしながら飛んでいた。
「何余裕ぶちかましてるんだ、保憲の奴…」
『全くだ』
悪口を叩いては見たものの、やはり秋陽が戻ったことの方が成明には重要で。駆け寄ってくる秋陽の方へと成明も走っていく。晴明は呆れ顔をしてその姿を見送ってはいたが。
「秋陽、大丈夫か?」
「うん、ごめんね、心配かけたみたいで。もう、保憲さんってば待ち合わせ場所で成明に伝えてって言ったのに…」
少し怒って保憲を見上げるが、保憲は知らんぷりをして晴明と話しはじめた。
『保憲どの、お疲れのようですな』
『晴明ほどではないがな。平家武士はどうした?』
『成明と二人がかりで調伏しましたが…またいつ現れることやら。何ゆえこのようになったのか、ご説明はいただけますかな?』
『それは…秋陽に聞け。説明などは面倒でたまらぬよ』
空中にふわふわ浮いている霊同士の会話、というのも妙に違和感を感じるが。いや、同類だからこそ話すのかもしれないけど…と成明は二人を見ていた。
「え、晴明さんが調伏したの?」
『あぁ、成明だけではとてもではないが無理だ。秋陽が籠っている間に、何とかせねばならなかったしな。そなたは大丈夫か?』
「うん、何にもないよ」
何処も怪我などはしていない秋陽の元気な様子を見て成明は安心していた。が、突然この"白霧の間"という霊場に入らなければならなかったのも理由があるはず、と晴明は話を聞こうと、移動を提案したきた。
もちろん成明も秋陽もこれ以上この場にいる必要もないため、そのままそこを離れた。
□ □ □ □
行き先は成明の住んでいるアパートだった。何故この場所になったかというと、ここがいちばん安全であったからだ。外で会話するには頭上の二人と話すと不審人物になってしまうし、かといって賀茂家に行けばおそらく霊場の結界破りで何を言われるかわからない。
成明の実家、土御門家はそれほど離れてはいないのだが、成明は今は一人暮らしをしている。その方が晴明にとってもいいらしい。
「それで、秋陽、何があったんだよ?」
マグカップを片手に、椅子に座ってぐるぐると回っている。秋陽は床に座り話し始める。
「あのね、夢を見たんだ。大きな災害の夢。地震と、火事と…場所はどこかわからなかった。私はいつも占いとかで先見をするんだけど、夢って、結構重要なものだからね、一応気にはしていたんだ。空が黒く覆われていて…保憲さんに言ったら、昔の京のようだ、って言うから…」
「京のよう、って?」
『怨霊が跋扈していた時代、そしてそれが日常に普通に起こり、われら陰陽師の務めが最も栄えていた時代。現代では既に幽霊という類ですら信用されていないがな。地の揺らぎ、大火災
――晴明、羅城門のことに近くはないか?怨霊、黒い空、そして平家武士…』
晴明は何も言わず俯いた。たしかに、日本にはそういう時代があった。今では物語のように語られている時代。それは現代人ではあるが、成明、秋陽にとって身近な話でもあった。貴族は何かあれば陰陽師を呼び、加持祈祷を行わせた。もちろん怨霊というのもいたし、それの影響だったことも多々ある。が、現代の医療の範囲に入るものも多々あった。
その頃のような貴族とかそういうものはないが、自分の祖である人の時代。陰陽師の家を継ぐ力を持っている二人にとって、それは物語ではなかった。
『何かが、起きる−ということですか』
『おそらくな。そのため、賀茂家は秋陽を"白霧の間"に連れて行った』
晴明と保憲はいつになく真剣な顔をしている。が、その空気を癒すように、秋陽は話し掛けた。
「ところで、晴明さんと調伏したって言ってたけど…晴明さん、そのかっこで調伏できるんだ。すごいねぇ」
やんわりとしたその口調に、一気に緊張感が解ける。それは秋陽の良いところでもあった。のんきなところは保憲に似ている、と晴明が笑っていた。
『秋陽、いくらおれでもこのまま調伏術を使うなど恐ろしくてできぬよ』
「え、そうなの?」
『調伏術は意外と気をつかうものでな、この姿のままでやっていたら己すら守れぬよ』
くすりと晴明が笑っていた。
確かに術をまともに使うには結構な気力がいる。自分の中にある力を出さなければならない。肉体とはその力を出すときに支えともなるから、それがない晴明にとっては消してくれと言わんばかりの行為だろう。
しかも調伏術などといったら霊にはたまったものではない。勝手に浄化されてしまうのだから。いつも成明が調伏を行うときには、晴明は身の回りに結界を張っている。自分の身の回りだけの結界であればそれほど負担は高くないようだ。
「人型の式に憑依したんだよ、こいつ」
「そうなの?!うわぁ、私も生身の晴明さん、見たかったなぁ〜」
「これがまた結構いい男でさ。あの絵とか像とかあるだろ、あれってぜってぇ嘘!!別人だったぜ、ホントに」
「そんなことまで出来るんだ。ねぇ、保憲さんも出来るの?」
『そのような面倒くさいことはせぬ』
ばっさりと言ってのけられ、秋陽は少し残念そうにした。
『まぁ、そのうち何か必要であればまたすることもあるだろうさ。肉体を持つというのは力を使う上では必要なこともあるが、それはそれで結構疲れるのだ』
『消耗も激しい、そういった面倒なことは晴明に任せるさ』
くすくすと笑いが広がる。成明もまたその中で楽しく過ごしている。それはなんら今までと変化のない時間。何かが始まろうとしているのは晴明と保憲にはわかっている。
もちろん成明と秋陽にも。
だが、杞憂してもなにも始まらない、というのはわかっていた。とりあえずは、秋陽の奪還、それで良しとしよう。
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