アジサイ



「あぁぁ、うっとおしいなぁ…」

 毎日の雨で湿度がひどく高い。学校に行こうとしている成明はため息ばかり吐いている。それを見下ろしている晴明はそのため息を聞いてため息をつく。

『お前がうっとおしい』
「なんだと、晴明」

 ぎろり、と成明は上空を睨み付けるが、晴明はびくともしない。

『お前のため息がうっとおしいと言っておる。言っておくが成明、梅雨の季節に雨が降ると言うのは天の恵みぞ。この時代ではそんなことを思う者もいないだろうがな、陰陽師のおぬしはそれを忘れるな』
「うるさいな、別に俺は陰陽師じゃねえよ。というか、どうしてお前いるんだよっ!!」

 いつもは晴明は姿を消している。何かあるときだけ成明に姿が見えるようにしているのだ。その晴明がなぜ姿を見せているのか、それを聞いておく必要がある。何気に辛口の晴明はこういった話をしていて怨霊が現れそうだと言うことを伝え逃すのだ。それは反論している成明にも非はあるのだが。

『おれは姿をあらわしてはおらぬ。おぬし、気づいていないのか?』
「何がだよ」
『おれは日ごろと変わっておらぬ。秋陽が来ても今は姿は見えまい。成明がおれの姿が見えると言うのは、おぬしの力が強くなったということだ』
「はぁ?」
『もともとこの術を使っていても成明には見えるはずだ。それだけの力がおぬしには備わっている。今まで、おぬしが目を塞いでいただけのこと。まぁ、力が強くなったおかげで塞ぎたくても塞げなくなったのであろうよ』

 にやり、といった表情で晴明が笑う。先日の平家武士との戦いで成明の力があがった、ということだ。
 平家武士との戦い、そのとき晴明は式神に己の息吹を吹き込み、実体化した。晴明の強い力の干渉を受けたせいだと晴明は言う。己の子孫に憑依している祖。憑依、と言うといくらか語弊がある気もするが、それはあえて触れないで置こう。

「じゃ、じゃぁ…もしかして、怨霊のすがたとかって…」
『ほとんど見えるだろうな、ほれ、後ろにいるぞ』
「げぇっ!!」

 振り返ってみると晴明の言うように怨霊が立っている。成明に攻撃を仕掛けてくる様子はない。

「おまえ、わかってるなら早く言えっていってんだろぉっ!!」
『いつも言うておろうが。"もう少し回りをみろ"と』

 薄い唇がにやりと笑う。にやりという表現がこれほど似合うのもどうかというくらいに。それくらい意地悪い笑顔を見せる。

『それは怨霊ではないな…』
「なに、なんだって?!」

 成明は戦闘体制に入りつつ晴明に声をかける。ジーンズのポケットから呪符が出される。

『待て、成明』
「なんだよっ!!」
『落ち着きのないやつだな…。気を読め。それは怨霊か?』
「はぁ?!」

 晴明に言われたとおり気を読む。手で四角を作り、写真をとるような振りをして四角の中から霊をのぞく。

「…式神?」
『そうだ。誰の放ったものだ…?』
『成明さま』

 突如、その霊から女性の声が聞こえる。やさしげなその声は、その女性が話している声だった。

「えっ、えっ、俺っ?!」
『ほかに誰がいる』

 はぁ、と晴明がため息をつくと、成明はうるさいな、と晴明を見あげる。女性の霊はすぅ、と成明に近寄り、言葉をつむぎはじめる。

『あるじが成明さまに渡せと…』

 そう言って女性は手紙を出す。成明はそれを受け取り、開く。見えたのはすべらかな文字。草書体に近い文字で成明にはさっぱりわからない。

『どうした成明』
「読めねぇよ、こんな手紙。保憲のやつか?」

 手紙を晴明に見せようと少し掲げる。と晴明はすぅ、と成明に近づき、その手紙を見る。

『紛れもなく保憲どのからだ。というよりもこれはおれ宛だ』

 さらさらと手紙を読み、晴明はわかった、と言う。それを聞いて成明は手紙をたたむ。

『文使いどの、保憲どのに"承知いたしまいした"と伝えてくれるか?』
『あい』

 そう返事をすると、その女性は消えた。その光景は常人なら卒倒するところだが、成明にとっては見慣れた光景。晴明がいるようになってから多くのことを見るようになった。
 それもまた迷惑なはなしだ、と成明は思っているが。

『成明、秋陽の家に行くぞ』
「はぁ?!何だよ、何か書いてあったのか?」
『保憲どのが呼んでいるのだ。なにやら大切な話があると言うことでな』
「なんだよ、それ。今日は秋陽、学校のはずだぜ?」
『秋陽は学校を休んでいるのであろう。そうでなくば家に呼び出したりせぬはずだ』

 行くぞ、といってすぅ、と晴明は歩き…もとい、飛び始めた。成明は何がなんだかわからない、と言った顔をしているが、そのまま秋陽の家に向かう。
 本当は成明は秋陽の家に行くことを嫌がっていた。賀茂家と土御門家の確執はいまだ続いている。安倍家と賀茂家が仲悪かろうがなんだろうがかまわないのだが、成明は恋人に会うにも大変なのだ。何しろ、賀茂家に一方的に嫌われているのだから。

『ふふん、怖気づいたか』
「何がだよ」
『賀茂家に行くのがそんなに厭か?』
「ったりまえだろ、またあの変な目で見られるんだからな」
『慣れろよ、成明。おれもかなりひどいものではあったが、やがて慣れるものよ。それにそなたは何もしておらぬのだから気にする必要などない』

 そうは言われても、と成明はため息をつく。その姿を見て、晴明はくすりと上空でほほえんだ。

「何笑ってんだよ」
『笑ってなどいない』
「ふん、まあいいけどな」

 明らかに不機嫌そうな顔で成明は歩き出した。晴明はそれを見てまた微笑んだ。

《まさか、お前がな…》

 心なしか晴明が成明を懐かしそうに眺めると、それに気づいたかのように成明は上を見た。強くなった成明の力は、晴明の変化さえも感知するようだ。

「なんだよ」
『何も言っておらん』
「あっそ」

 成明はまた前を見て歩き出す。すぐ上から晴明は成明を見ていた。

《おれは死んでからもあの男を守らねばならぬのか…。まったく、厄介な身の上よ。》

 先日平家武士が襲ってきたのにはそれなりに理由はある。晴明はそれに気づいている。まだ成明には伝えていない。
 それには理由があった。保憲はそれを伝えようとしているのだ。今日はそのために呼び出された。

《まったく、いつの世も人は人に負けるのだな…。》

 本当にやっかいなことだ、などと思いながら晴明は成明について秋陽の家に向かう。地上では雨の降り続く中、アジサイが咲き誇っていた。薄く紫がかったその色は晴明が好んでいた色。
 懐かしそうに、その紫陽花を見つめている。





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