1:正面衝突!






 テンション高めは別に嫌いではない。けれど、やっぱりノリ切れないという場合はあるもので。誰だってそういうときにはイラついたり、憂鬱だったりするものである。
 社会人暦○年。とはいっても、どれほど長く働いていようといまいと、肌に合わないというのは変えようがないのかもしれない。会社には会社のカラーがある。働いている人には働いている人のカラーがある。
 そして、それに染まれない、というよりもイヤだとしか感じられない女が、ここにひとり。

「暁さん、飲んでるー?」
「あー、はいー」

 陽気に語りかけてきてくれるのは、会社では二言三言ぐらいしか話したことがない人物。そして語りかけられているのは、暁 ゆき、年齢にして三十歳。今日は会社の人の送別会ということで、とある店で飲み会に参加していた。
 ゆきは別に送別会だとか飲み会というものは特に嫌いではない。けれど、会社の飲み会というといつも憂鬱になっているのだ。理由はただひとつ。

『面倒くさい』。

 そう思わせてしまう何かが、彼女が勤めている会社にはあるのだ。何が面倒なのかと聞かれたら、おそらく彼女は「早く帰りたい」とだけ言うだろう。きっと理由など明確に答えはしないのだ。なぜなら、彼女の中に理由はないから。あるのはただ、「面倒だ」というそれだけ。
 かといって、それを前面に出していやそうな顔で送別会に参加されても、送られる側は気分の良いものではない、ということは彼女も重々わかっている。
 だからそれなりに愛想を振りまき、にこにこと酒を飲んでいるのだ。彼女は決して酒は嫌いではない。むしろ大好きだ。会費に払った元は食事よりも酒でとるタイプであった。

「暁さん、結構呑むんだねー。強そうだもんなー」
「そんなことないですよー」

 へら、と笑いつつも腹の中では『うるせーな、ほっとけよ』という気分満載である。実際のところ、酒は嫌いではない。まあ、弱くもないだろうとゆきもわかっている。だが、このあと電車に乗って家に帰るのだから、ほどほどにしようと考えるのは当然である。
 一緒に呑んでいる相手が、会社の人間ではなく、親しい人物であればそんなことは微塵も考えなかったりもするのだが。
 グラスを置いたゆきがそっと立ち上がる。宴もたけなわ、彼女たちの席はサラリーマンの大賑わい。要はうるさい。

「……はあ」

 とってつけたような愛想が中途半端に見えて、気分が悪かった。
 ゆきはあまり会社の人と関わることが少なかった。別に彼女が意図的にそうしているわけではないのだが、どうもあの会社はゆきを苦手に思ってる人が多いようだった。
 会社にいるときは仕事のことでもろくに話をしない相手もいる。向こうが避けているだけだから、べつに相手にもしていないが。
 ゆき自身、他人との付き合いが得意という性質ではないので、「シカトしたけりゃ勝手にしてろ」と思うのである。まあ、仕事に支障をきたすことがあったりもするので、そういう場合はふざけんなよ、こんちくしょう、と思ったりもするのだが。
 息抜きを兼ねて手洗いに立ったゆきは、自分たちの席から一番遠いトイレへ向かって歩いている。店内はけっこう混んでいるらしく、ざわざわとした空気がたちこめていた。うるさいとは思うけれども、それはさほど気にならない。
 それよりも、席を離れたあとにも響いてくる、自分の飲み会場所からの女性の声が何よりもうるさい、と眉間に皺を寄せている。

「坂上さんか……声でけーよ」

 ぼそりと呟きながらゆきは席からどんどん遠ざかる。



◇ ◆ ◇ ◆



 いわゆる『打ち上げ』というヤツである。彼の仕事が終わってからはだいぶ経つが、一応はその番組の終わりということもあり、今日、とある番組のスタッフが打ち上げの席に集ってきていた。
 すでに賑やかな店内、きっと普通の会社員たちの飲み会でも入っていたのだろう、と思わせる喧騒が店内に響いていた。

「うわ、うっせ」
「ま、しょーがないよ。金曜日だし、貸切じゃないし」
「まあね」

 彼──真幸 龍二は眉間にわずかに皺を寄せて、きょろりと店内を見回した。奥にあるだろう座敷の方から、賑やかな声が飛んできている。一緒に来た同僚、楠原も少し困ったように肩をすくめていた。

「もう始まってるんだろうなー」
「そりゃもう、一時間は過ぎてるからな」
「まあ、参加できないかと思ってたし、仕方ないか」
「そうそう、来られただけラッキー……って、うわ、あっちもうるさい」
「って、俺たちの座敷じゃん。そりゃしょーがないよ、声でかいの揃ってるから」

 それもそうだ、と龍二は頷いた。
 会社員も多数いるが、彼らが行く席には個人業が複数いる。声が大きいとは限らないが、声が通っている者が多いのは当然だろう。なんといったって、それが彼らのウリなのだから。

「楠原、先行ってて。オレちょっとトイレ行ってくる」
「おー」

 ひらひらと手を振って、楠原が座敷の部屋に入っていった。龍二はそのまま座敷を通り過ぎたが、その瞬間、ひときわ声が大きく響いたのにおもわず背を竦めた。
 楠原が来たことで「おつかれー」の大連発だ。きっとこの後確実に乾杯だな、と龍二は微かに笑った。

 手洗いを済ませた龍二がトイレから出ようと扉を開けると、がんっと盛大な音が鳴り響いた。嫌な感触が龍二の手に残る。ひやり、と龍二の背に汗が落ちていた。
 やった。ぶつけた。多分人がいた。
 トイレ前はとても狭い通路だ。それなのにドアは通路側に押すように開くものだった。あぶねーなあ、などと入るときに思ったのだが、出る時には油断していたようだ。慌てて龍二は扉を薄く開いて外を見る。女性が一人。うずくまっていた。

「うわっ、大丈夫ですかっ!?」

 さらにもう少しだけ開いて、女性にドアがぶつからないように隙間から龍二がトイレから出てきた。

「……ったぁ」
「す、すみません、ぶつかっちゃいました?」
「…………?」

 龍二が手を差し伸べると、女性はきょとん、と目を丸くして彼を見上げた。薄暗い店内でよくは見えないが、色素が薄めの黒い瞳、に長い髪。とりあえず、龍二の彼女への第一印象は「顔ちっせー」ということは、後に龍二が暴露した話だ。逆に彼女は「いい声」だったそうだが、それもまた後日談である。

「あ、手、ちゃんと洗ってますから大丈夫ですよ」
「……は?」
「じゃなくて! 大ジョブでした?」
「ああ……はい、平気です。すみません、私もぼーっと歩いてたから」
「でもさすがにドアの体当たりは痛かったでしょ」

 そういうと彼女が首を傾げた。何のこと? とでも言いたそうな顔だ。

「あの、こっちのドア開いた瞬間に通ったみたいで」
「ああ……なるほど。っていうかこのドア、邪魔ですよね」
「…………そう、ですね」

 忌々しげに彼女がドアを睨みつける。というか憎いのはドアか、と龍二は少しばかり唖然とした。普通ならば不注意にドアを開いた相手を怒るものではないのだろうか、というか自分ならきっとそうするだろう、と龍二は思っていたのだ。

「怪我とかしませんでした?」
「え、あ、別に。明日になったら青あざでも出来てるとおもうけど」
「すみません」
「いいですよ、私も避けられなかったんですし。じゃ」

 ぺこりと頭を下げて彼女は龍二の前を通り過ぎていく。龍二は唖然として彼女の背を見送った。

「なんか、ずいぶんとさっぱりした子だったなあ」

 まあ、この店内のどこかで飲んでいるのだろう、というのは龍二にもわかったが、あまり楽しんで呑んでいるわけではなさそうだ。なんたって、顔が楽しそうじゃなかった。そう思った龍二は、会社員さんは大変だねぇ、とひとり呟いていた。
 龍二が『打ち上げ』の席に入ると、彼の想像通り「おつかれー!」の大合唱、そして乾杯までも合唱だ。何の集団だ、これは、と龍二は苦く笑っていた。けれど、その場にいる面々の顔をちらりと眺め見ると、どれもこれも楽しそうである。
 一部ではまだ仕事は残っているのだろうが、大半がこの番組の仕事が終わったことで、気分は晴れやかなのだろう。一年の連続番組なんて、制作側は死にそうだとよく聞く話でもあった。

「お疲れ、真幸くん」
「あ、お疲れさまです」

 近場に座っている同業者の面々もにこやかに龍二を迎えた。
 その場にいる人たちの笑顔を見て、龍二はふと先ほどの女性の顔を思い出した。なんとなく、龍二の気分が沈んだ。


◆ ◇ ◆ ◇



 すでに二度目。送別会が始まってから、たった二時間程度しか時間は過ぎていない。別に酒を呑みすぎたわけでもないのだが、ゆきはそそくさと席を立つ。
 普段話さない人でも、こういう飲み会ともなれば話をしたりするものだ、とゆきは思う。それは多分普通だと、彼女のコレまでの社会経験で物語っていた。けれどどうやら、ゆきがいる会社ではそれも違うようで。
 まだそれほど今の会社は長くないゆきだが、会社の飲み会に参加したのはこれが二回目だ。
 同じ会社の女性たちは、相当仲が良いらしく、地元の友達や彼氏の話題で仕事中でも賑やかに騒いでいる。それは飲み会の場でもたいして変わらず、あまり飲み会に参加したこともないゆきのような新参者は、あっという間に置いてけぼりだ。
 新参者といえば、大抵いろいろ話しかけたり、話しかけられたりするのだが、それもほとんどない。ずっといた仲間同士ばかりが仲良くしゃべる飲み会。気分の悪さは最高潮だった。
 早く終わらないかな、と思いつつも、元を取るだけ酒を呑み続けていた。そうすると当然トイレも近くなるものである。
 ──というのは通常の認識で、ゆきは普通に逃げ出すためだけにトイレに来ていた。あの場がうるさくて、気分が悪くて、機嫌はどんどん悪くなっていく一方だった。だからといって、誰に文句を言えるわけでもないのだからどうにもならない。

「あーもー……帰りたい」

 小さく呟きながらゆきがトイレに向かうと、途中でひときわ賑やかな座敷の席があった。その横を通りすがったゆきは、どこも賑やかだな、と遠い目をしている。
 ゆきは飲み会が嫌いなわけではない。その場の雰囲気は嫌いではないのだ。けれど、会社の飲み会はやはり面倒だ。雰囲気も悪いから余計に居心地が悪い。
 そんなことを思っていると、少し低めで、ちょっと早口な良い声が響く。

「オイこら、トイレぐらい行かせろよ!」
「マサがこれを一気にぐいっと飲み干したら良いぞー」
「おま、こんなもん一気に飲んだら明日仕事にならねーだろうがっ! はーなーせーっ!」

 そう言いながら、座敷の障子がするりと開く。障子の向こうには、男に足をつかまれた男が楽しそうに笑っていた。ぱちっと目があったゆきと男が、同時に「あ」と口を開けた。つい一時間ほど前にトイレの前でぶつかった相手である。
 とはいえども、ゆきがぶつかったのはトイレのドアだが。

「あ、ども」
「え、あ、ども」

 おもわず龍二がぺこりと頭を下げると、ゆきもまた同じように頭を下げた。ゆきはそのまま慌ててトイレへ行ってしまう。楠原に足をつかまれた龍二は、そのままゆきを見送った。

「何、マサ知り合い?」
「さっきちょっとぶつかっただけ」
「ふーん。で、コレ飲む気になった?」
「なるか!!」

 ぐいっと足を出して、楠原を剥がし、龍二もまたトイレに行った。今度は誰かにぶつけないようにしないと……と思いながらドアを開いた。
 ゆっくりと龍二がドアを開いてトイレから出る。今度は衝撃もなかったので龍二はほっと息をついた。座敷に戻るときに、ふと振り返ると、後ろにはさっきの彼女が後ろを歩いていた。

「…………?」

 後ろを歩く女性は、龍二よりもだいぶ背が小さい。龍二もそれほど大きくはないが、まあ成人男性の標準程度である。だが、彼女は標準よりもちょっと小さめかな、と思えた。その彼女は、つまらなそうな顔をして後ろを歩いていた。
 会社の飲み会かな、つまらない飲み会なのかな、などと龍二はふと考える。普通の会社員という仕事は龍二はしたことが無かったので(とはいえども、バイトぐらいは経験している。いきなりこの仕事1本では食べてはいけない)、どういうものというはっきりとした感覚はわからないのだが、嫌な飲み会というのが無いとまでは言わない。気の乗らない飲み会に狩り出されたなら、おそらく自分でも嫌な顔をしているだろう、と思えた。

「……大丈夫ですか?」
「へ?」
「あ、いえ、何か調子悪いのかと」
「いえ、別に」

 どことなく気になって、思わず声をかけてしまったのだが、あんまりにもあっさりとした返事に龍二はそれ以上何も言えなくなってしまった。
 まあ、見知らぬ人間にいきなり声を掛けたられたのだから、警戒するのは当然か、ととりあえず納得してみせたが。

「悪いのは調子じゃなくて機嫌ですから」

 にこりと笑って、ゆきは龍二を追い抜いてすたすたと歩いて行ってしまう。龍二はまたも唖然とした。この数時間で何度唖然としただろう。

「……オレ、何かやったっけ?」

 もちろん、責められるようなことをした覚えは……ドアをぶつけたこと以外には思いつかない。


 なんなんだろう。
 ゆきは首を傾げていた。
 一時間ほど前に男子トイレのドアにぶつけられた相手に、いきなり調子悪いのかと聞かれた。別にそんなことはないのだが、というよりそれより、見ず知らずの人間がいきなり何を言いだすのかと驚いていた。
 絶対に見覚えがない人だとおもうのだが、少しばかり自信がない。どこかで会ったことのある人だっただろうか? そう思って色々記憶を手繰り寄せるが、やっぱり思い当たる人はいなかった。
 初対面の相手に『調子悪い?』と聞くなんて、新手のナンパだろうか、とゆきは思ったのだが、思わずそれを思ってケッと心の中で笑ってしまう。

(まだ若く見られるのかなー)

 年齢を知れば、ナンパしてくるなんてありえないだろうに、とゆきは心の中で笑っていた。

「ねえねえ、さっきトイレ行ったときにさあ」

 同じ会社に勤める坂上という女性が口火を切った。

「途中の座席のところがすっごくうるさくてさー」
「ああ、どっかの会社が歓迎会とかやってるんじゃない?」
「そうなのかな。すごい声大きくて、うるさかったんだよねー」

 坂上と別の女子が話ているのを聞いて、ゆきはまた心の中で笑った。うるさいのはお前だよ、と。
 まあ、飲み会の席というのは騒ぐ場所でもあるから、それは別にかまわないのだが。坂上の声は特に甲高くてうるさく感じるのだ。ゆきにとって、一番印象が悪い女だからかもしれないが。

「高瀬さん、すみません、私そろそろ……」
「え、暁さん、もう帰っちゃうの?」
「すみません」
「そっか、気をつけてね」

 幹事の高瀬と送別される岡野に挨拶をして、ゆきはバッグを抱えて席を外した。そもそも、すでに予定されていた飲み会の呑み放題二時間コースは過ぎている。いつまでもだらだらとしているのはよくあることだが、わざわざ付き合う必要もない。
 面白くも無い飲み会にいつまでも参加しているなど時間の無駄だ、とゆきはとっとと退席した。
 座敷から出て、靴を履くとゆきはほっと息をつく。帰る前にトイレ。それは彼女の常識である。別に化粧直しをするわけではない。というか彼女は化粧など一ミリもしていなかった。
 ドアをぶつけた人がいるだろう、賑やかな座敷の横を通り過ぎて、ゆきはトイレに入る。今度は会わなかった、とほっとしてゆきはトイレを出た。トイレに来るたびに会う人なんて何かヤダ、と思いつつ、ゆきは心の中で笑っていた。
 が、今度は、トイレではなかったらしい。

「あ」

 今度はトイレではなく、店の出口だった。ゆきは目を丸くし、相手も目を丸くしている。大きなバッグを肩に掛けているところをみると、彼も帰るところらしい。最初にゆきが会ったときにも、彼は大きなバッグを持っていた。来たばかりかと思えたのだが、もう帰るらしい。

「どうも」
「……どうも」

 ぺこりと頭を下げる龍二につられて、ゆきもぺこりと頭を下げた。初対面の相手、しかも別に同じ飲み会にいたわけでもない相手だというのに、なぜご挨拶。そんな気もしたが、無視をするわけにもいくまい。会釈をしてゆきは龍二の前を通り過ぎて、店を出ようとすると、後ろから突然盛大に大きな声が聞こえてきた。

「マサー、ちょっと待って、わすれもーん!」
「え、何?」

 ばたばたとサンダルを履いて走ってきたのは楠原だ。ゆきは呼び止められたわけではないのだが、驚いて思わず振り返ってしまった。

「あれ? さっきの……マサ、そーいうこと?」
「何が。で、忘れ物って何」
「あ、これ。花束」
「え、それオレもって帰るの?」
「お前が渡されたのに他の誰が持って帰るんだよ。主役への労いだろー」

 大きな花束を龍二に渡そうとすると、楠原は龍二の手をすり抜けてゆきに渡した。ゆきは何事かと目を丸くしている。

「花束はやっぱりヤロウが持つより女の子が持つほうが良いデショ。じゃーな、マサ。来週スタジオで」
「おう」
「彼女もまたねー」
「は!?」

 にかっと笑って楠原が戻っていく。残されたのは、唖然とした龍二と、花束を持って同じく唖然としたゆきである。

「あ、ごめん、いきなりこんなの渡されて」
「いえ、別に……っていうか、早く。くさい」
「は?」

 ゆきは眉間に皺を寄せている。とにかく花の甘い匂いと緑っぽい香りが充満しているのがいやなのだ。ゆきは甘い匂いも嫌いだし、草木の香りを『緑っぽい匂い』と嫌っている。
 だが、そんなことは当然、龍二が知るはずもない。きょとん、と目を丸くして、次の瞬間に笑いだした。

「……なんですか」
「いや、くさいって……ぷぷっ」
「嫌いなんですよ、甘い匂い」
「なるほど……くくっ」

 むっとした顔をしたゆきはばさりと花束を龍二に押し付け、店を出て行った。そもそも、何の関わりもない人間だというのに、なぜ笑われなくちゃいけないんだ、とゆきはむかむかしていた。
 ただでさえたいして意味のない飲み会に出ていて不機嫌だったのだが、今のバカにされたような笑いでさらに不機嫌になっていた。
 しかも、彼の友人らしき人物に彼女扱いまでされている。なんなんだ今日は、厄日か。

「ちょっと待って」
「何か?」
「あ、えっと、ごめんなさい、なんか色々」
「別に」

 後ろから追ってくるから一応振り返っては見たが、ゆきの不機嫌は治ってはいない。ぷいっと顔を逸らして、また一人で駅に向かって歩き始めていた。
 残された龍二はくっくっと笑っている。とんでもなくそっけないような印象が強い。けれど、何か面白い子だなあ、という印象だった。
 かといって、偶然会っただけである。打ち上げに来て、偶然ドアをぶつけてしまって、偶然、トイレに行くときに会って、偶然、帰り際に会って、偶然、楠原に彼女に間違えられた。
 まあ、二度と会うこともないんだろうけど、と龍二は彼女の後姿を見送っていた。





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