16:見える仕事






 龍二との観劇からほぼ一週間。金曜日の昼に、ちやからメールが届いた。夜、ゆきのところに行くというメールだ。金曜日のうちに来るとは珍しい、と思ったけれども、別に異論はないので、了解の旨をちやに返信していた。
 そして、夜。
 ゆきはちやよりも仕事が終わるのが早い。家に帰って、食事をどうしようかと考えていると、携帯電話が鳴り響いた。ちやからだ。

「もしもし?」
『あ、ゆき? これから行くけど、ご飯どうした?』
「まだ食べてないよ。ちやは?」
『いま上がったところだからまだ。こんな日に残業になるなんてついてないっ! すぐに向かうけど、ご飯何か買って行こうか?』
「あ、軽く買い物はしてあるから、つまみぐらいは作れるからいいよ」
『了解。ちょっとかかるけど、待ってて!』

 そう言って、ちやとの電話を切り、ゆきはキッチンに立った。ちやが来るまでには一時間弱。それまでに簡単に準備でもしておこう、と思ったのだ。
 なにやら、ちやが『面白いもの』を手に入れたということなのだ。昼間、そのメールが来たときに何かと聞いたのだが、それは見てのお楽しみ、ということで詳しいことはゆきにはわからない。
 ちやの言う『面白いもの』。
 どんなものか想像もつかないゆきは、とりあえずつまみの用意をして、シャワーを浴び、ちやが来るのを待っていた。



 電話からおよそ一時間。ちやが現れ、缶チューハイをかつん、と合わせて、夕食が始まった。

「で、面白いものってなに?」
「あ、えっとね」

 ごそごそとちやがバッグを漁り始める。取り出してきたのは、白いパッケージのトールケース。DVDかな、と思ったゆきがそれをよく見ると、どうやらそれはゲームソフトだったらしい。

「なにこれ?」
「うちでちょっと作業があったらしくて、サンプルがあってね。で、今日、会社の倉庫掃除してたら出てきたの。好きなもの持って帰っていいって言われてもねえ、あんまり欲しいものとかなくてさ。で、たまたま見つけたのが、これ」
「……ふうん?」

 珍しいこともあるもんだ、とゆきは思った。ゆきはそれほどゲームに興味はない。ちやも同様。ただ、ゆきの家にはゲーム機がある。過去に付き合っていた人に置いていかれたゲーム機だ。もうしばらく稼動していない。
 ちやがそれのために今日、ゆきのところに来たことは、いくらゆきでも簡単にわかる。けれども、あまりゲームに興味のないちやがそれをもってくること自体、珍しいことで。

「何その興味なさそうな声! 裏側ちゃんと見てみなよ」
「裏?」
「そ。ぜったいゆきも興味持つから」

 ちやがにんまりと笑う。そのパッケージに書かれたタイトルを見ると、どうしても『オタク』なイメージを抱いてしまうようなタイトルだった。ゆきもちやもそういう人たちに嫌悪を抱くことはあまりないけれども、自分が持つとなると話は別だ。固定観念のように植え付けられたイメージというのは、なかなか離れるものではない。
 ──などと考えてられるのは、すこしの間だった。

「ま、真幸さん!?」
「ピンポーン」

 パッケージの裏を見て、ゆきが目を丸くする。描かれたキャラクター、ゲームのあらすじ、それから、キャスティング。
 このゲームはそれも売りなのだろう。声優の名前がしっかりと書かれている。曰く、『豪華声優陣、勢ぞろい!』だそうだ。そのキャスティングにある名前の人たちが本当に豪華なのかどうかは、ゆきにもちやにもわからない。
 が、少なくともそこにある名前のおかげで、興味がふくりと膨れ上がっていく。

「たまたまこのパッケージ見てさ、ちょっとタイトル的に持ってくるのは恥ずかしかったから、捨てられる直前にこっそり持ってきちゃった」
「だ、大丈夫なの?」
「平気平気。ほかにもいろいろ持って帰ってる人もいたし、これも持って帰っていいやつの中に入ってたのだから大丈夫」
「それにしても……真幸さんと、瀬田さんと……甲野さんに吉川さんまで……」
「え、ゆき、そんなに知ってる人いるの?」

 キャスティングを見て驚いているゆきのつぶやきを聞いていると、ちやが聞いたことのない名前までもが出てきていた。
 甲野と吉川は、ゆきが強制的に参加させられた打ち入りの飲み会で会った人である。吉川はその後観劇で再度会ったけれども、甲野はあれ以来だ。まあ、それほどあの酒の席でも話しはしなかったし、うっすらと名前を覚えている程度だ。

「じゃ、やっぱりアタリだね〜。それだけ知ってる人がいれば、ゲームはよくわからなくても楽しめるんじゃない、きっと」
「そ、そうかな」
「っていうか、聞いてみたいとは思うでしょ?」
「それはまあ、確かに」

 ゆきとちやが顔を合わせてにやりと笑う。お互いに意見が一致したということで、早速ゆきはテレビにコードをつないで、ゲーム機の電源を入れた。ディスクを入れると、顔のきれいな男の子たちが何人も出てくる。恋愛シミュレーション、というジャンルのゲームらしいから、この男の子たちが攻略対象なのだろう。
 うわあ……と微妙な声をあげながら、ゆきとちやはテレビを見ている。どれが龍二のキャラクターなのか、どの人が瀬田のキャラクターなのか、その辺りもよくわかっていない。
 とりあえず出てきたら解説書でも見ればなんとかなるだろう、ととりあえずスタートボタンを押した。

『……会えたな』

 少し低めの、やさしい声が、そうつぶやく。メインキャラクターの声だろうか、それが誰の声なのかまではよくわからない。その後、オープニングアニメが映し出された。

「す、すごいね」
「ね……このオープニングとか、ちやのところでやったの?」
「そうみたい」
「ほえー……」
「ほらほら、せめて一声ぐらい聞いてみようよ!」
「う、うん」

 何をどうすればいいのかわからないが、とりあえずゆきがコントローラを握り、とりあえず出てくるストーリーを読み、ゲームを進めていく。

「な、なにこれ」
「さあ……えっとなになに、一週間の予定を立てる……らしいよ」

 解説書を見ながら、ちやがゆきに説明をし、ゆきは適当にこれだ! とボタンを押すと、等身の小さなキャラクターがぴこぴこと動く。と、画面が切り替わり、オープニングにも出てきた男の子が、ぱっと画面にうつる。アニメのようにその絵は動くことはないが、瞬きをし、口がぱくぱくと動いている。

「うわ、こまか……っていうか、絵的には結構この人がかっこいいかも」
「そうだねえ……私はこっちのが好みかな」

 ゆきとちやがパッケージの表を見てキャラクターを指差しながら話している。ちやが解説書を見て、それが誰の声なのかを探っていた。

「んーとね……ゆきが絵で良いって言った人はー、竹塚巧ってひとだって。知ってる?」
「知らない」
「そか。んで、私がいいなって言ったキャラが吉川さんって人だって。ゆきが知ってる人だよね?」
「うん、たぶんね」
「どんな人?」
「えーっと、やさしい感じの声でー……」

【何をしている】

 ゆきとちやが話している間に、先ほど大写しになったキャラクターとは別のキャラクターが話し始めている。突然聞こえた低い声に、はっとしてゆきとちやがテレビを見る。と、それはちやが絵で良いといったキャラクター、つまり、吉川の声だった。

「…………うわ、かっこいい声」
「うっそぉ……」
「へ?」
「べ、別人だよ、これ! 吉川さんってこんな低いドスの効いた感じじゃなかったもん!」

 ひどく冷酷にも聞こえる、低い声。それは、人の良い、穏やかな印象のある吉川とは正反対にも思えるような、そんな声だ。ちやにとってはかなりの衝撃である。舞台で見たときにも、もっと高かったし、普通に話している声は本当にもっとやさしい雰囲気だったのだ。
 が、画面の中のキャラクターは、無常にも言葉を続ける。

【…………生徒に手を出す趣味はない】

 ゆきは唖然としている。これではまるで、悪役ではないか。あの良い人然とした吉川が、思いっきり悪い人のような声で話しつづける。教師役なのに、悪役に聞こえるのはなぜ。

「かっこいいじゃん」
「……でもでも、ほんとに別人みたいな声なん……」

【あれ、きみ……】
〔?〕
【ああ、ごめん】
〔あの……?〕
【なんでもない、気にしないで】

「……今のって」
「え?」

 ゆきがちやに振り返る。今しゃべっていたのは、また別のキャラクターだ。穏やかな雰囲気をした、好青年という感じだろうか。髪の色が濃い目の茶色で、瞳が優しそうなキャラである。

「真幸さんじゃない?」
「え、そうだった? ちょっと待って……あ、ほんとだ。すごいゆき、声聞いてわかるんだ」
「や、たまたま……吉川さんみたいに別人じゃなかったし」

 吉川の別人度に、ゆきは相当ショックを受けたらしい。好青年の名前は【葦原 雄一】というらしい。龍二の演じるキャラクターだ。だが、彼はメインキャラではあっても、二番手のキャラクターらしい。
 メインキャラクターの中でのメインは、絵でゆきがいいと言っていた男の子だ。そして解説書の三番手に書かれているのが、瀬田玲のキャラクター。ほんわりとしたかわいい雰囲気の男の子のイラストが描かれている。
 ちなみに吉川が演じているキャラクターは、メインキャラクターではないらしい。攻略はできるようではあるけれども。

「これ、瀬田さんキャラだって」
「ずいぶんとかわいい感じの子だね」
「だねえ。どんななんだろ?」

 ゲーム自体に面白さを感じるよりも、彼女たちは演じている声の持ち主たちに興味を示している。まあ、知っている人がいるのだから、それも当然といえば当然だろう。そんな中、ゆきの携帯電話が音を出す。

「び、びっくりしたっ」
「ごめんごめん」

 驚くちやに軽く謝って、ゆきが携帯電話を手にとる。ディスプレイに出た文字は【真幸龍二】。

「ま、真幸さんからだっ」
「ふうん」

 はやく電話に出なよ、とでも言いたいのか、ちやはそっけない返事をする。今ここでテレビ画面から龍二の声を聞いていたゆきはなにやら緊張していた。といってもそのまま放置することはできない。携帯の受話ボタンを押して、電話に出た。

「も、もしもし?」
『もしもーし、こんばんは、真幸ですー』
「こんばんは」

 電話で話しながら、ゆきは部屋を離れた。電話しているのを聞かれるのは、なんとなく恥ずかしい。それでいて、テレビからは龍二の出ているゲームの音がしているのだ。もしちやがゲームを進めて、龍二の声がテレビから聞こえてきたら、それはそれは驚くだろう。
 と、思った瞬間、狙って無くてもやってくれるのがちやである。

【ごめん、遅くなって】

「ぎゃあっ」
「ご、ごめんっ!」
『は?』

 慌ててゆきが携帯の下の部分を抑え、部屋を出る。ちやがごめんねー、と叫んでいた。が、ゆきの顔はすでに真っ赤である。ちやのヤツ、なんてことを!
 ものすごいタイミングで、よりにもよって龍二のキャラクターにしゃべらせた。もちろん、ちやだって不可抗力だ。たまたま押すつもりもなかったのにコントローラーのボタンを押してしまって、しゃべりだしたのが龍二だったのだから。

『ど、どうしたの? 大丈夫?』
「ごごごごめんなさい、大丈夫です。今、耳いたかったんじゃないですか?」
『や、こっちは平気だけど……すごい声出してたけど』
「いいい今、ちょっとちやが来てて、驚かされたんです」
『あ、そうなんだ。いつも仲良しだねえ』

 あははーと乾いた笑みで、ゆきはごまかしていた。さすがにテレビの音まではっきりとは聞こえなかったようで、ほっとしている。それが聞こえていたなら、龍二はなんと言うだろう? それもちょっと聞いてみたいような気がするが。

「と、ところで、今日はお仕事は終わったんですか?」
『うん、今日はもう終わって帰ってきたところ。ゆきちゃんは明日休みだよね』
「はい。真幸さんは?」
『オレは明日は三本……結構微妙なスケジュール』
「あらら……お疲れ様ですー」

 今日何があった? などとまるで恋人同士の会話のようだ。そんなことをふと思いながら、ゆきは龍二の電話に答えていた。それはまるで、他人事のように。が、そんな思考は一瞬だけで消え去り、ゆきはふつうに電話で話をしている。
 これといって用事があったわけではないらしく、ただ他愛のない話をして、電話を切り、ゆきは部屋に戻った。戻ると、ちやがちまちまと缶チューハイを飲んでいた。くつろぎまくっている。

「おかえりー」
「ん、ごめんね。っていうか、さっきびっくりしたよー」
「あはは、ごめんごめん。っていうかさ、いつのまにそういう感じに?」
「は?」

 ちやがにやりと笑ってゆきに聞く。そういう感じとはなんだろう、とゆきは素直に首を傾げていた。
 先日の観劇からの一週間、それなりにメールが来ていたりもしているので、ゆきには龍二からの電話は別にものめずらしく感じるものでもなかった。そのせいか、ちやのニヤニヤ笑いには、ゆきは何も思いつくことがないのだ。

「何か約束でもしてたって感じじゃないよねえ」
「うん、約束なんて何もしてないけど」
「ふぅん。まあ、がんばれ、ゆき」
「なにを?」
「さあ?」

 にんまりとちやが笑う。が、ゆきには何を言っているのか理解できず、首をかしげるばかりだ。どうにもゆきは自分のことにはひどく鈍い。それを知っているちやはくすくすと笑うばかりで、答えは何も教えてはくれなかった。

「つぎは瀬田さん出してよ、瀬田さん」
「あ、うん……って、進めてなかったの?」
「進めないよ、勝手に」

 ゆきが戻ってくるのを待っていたのか、ちやはつまみを食べつつ、自分の携帯をいじっていたらしい。料理は減っているけれども、テレビ画面は変化なし。というか次の一週間の予定を立てろという指示がでている。それぐらい進めてくれてたって別にいいのに、とはゆきも言わなかった。ちやはちやなりにゆきに気を使ったのだから。
 ちやに言われて、とりあえずこれだ! とまた適当なボタンを押してゲームを進める。もう、これが正しいのか正しくないのかなどわかりはしない。ただ、目的のキャラクターが出てきさえすればそれでいい、彼女たちのゲームのやり方は、おそらくゲーマーからしたら『なめるな!』と怒られることだろう。
 が、彼女たちにそれをたしなめるひとはいない。のんびりと、『いろいろな意味で』ゲームを楽しんでいた。



 そしてそれからしばらくして。
 やさしい笑顔のかわいらしい少年が画面に映し出された。

「こ、これが瀬田さんのキャラ……?」
「めさめさ純真そうな少年なんだけど……!」

 あの早口言葉で意地悪く笑っていた彼が、本当にこの少年を演じているのか? そう思うと、彼らは本当に役者なんだなあ、としみじみ思っていた二人であった。





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