5:二次会まがい






 とりあえず、噂好きなのだ、坂上佳代子という女性は。だからといって、失礼にもほどがある、とゆきは考えていた。ゆきの顔に表情はない。無表情になっているのには、もちろん理由があった。
 先ほど、ゆきが戻ってすぐに坂上も席に戻ってきたのだが、坂上はちらりとゆきを見てから、仲の良い同僚とこそこそと話はじめたのだ。坂上が話しかけた相手がちらりとゆきを見た。間違いなく、今の話題はゆきのことなのだろう。
 あからさまな態度というのは、より一層、苛立たせる。
 無表情よりも、少しばかり険しい顔をして、ゆきは酒を呑んでいた。
 歓迎されている新入社員は、同期の子と話している姿が目立つ。それも仕方ないだろう、坂上が同僚と話をしていると、上司までもが一緒になって話しはじめるのだから。今は同僚とこそこそと話をしている坂上だが、そのこそこそが無くなればまた元に戻って上司と大騒ぎ。新入社員が馴染む方法などありはしない。
 ゆきもまた、少しは話しかけてはみるのだけれども、ゆき自身、人見知りのせいもあり、話題を振るのが苦手でうまくいかない。坂上たちと馴染めないのは、自分のそういった部分のせいかとも思っていたゆきだが、原因はそれだけではない、とわかってから、より彼女たちに対する苛立ちが強くなっていた。

「ねえ、暁さん」
「はい?」

 突然、坂上が話しかけてきたりするから、ゆきの方が驚いた。仕事のことだってろくに話にもならない相手だ。誰かを介さなければ、ゆきに仕事を頼むことさえないような相手なのだ。驚くのも無理はなかった。
 しかも、坂上は笑顔を浮かべている。面白がっている、というのがありありとわかるような顔ではあったけれども。

「さっきの人、彼氏?」
「は?」
「さっき、入り口でお話してたでしょ?」
「ああ……知り合いですけど……」

 何事だ? と微妙に敬遠しつつも、ゆきが答えた。話題はどうやら、ゆきと龍二のことらしい。まあ、ゆきとて想定していなかったわけではない。第一、ゆきの顔を見ながらこそこそと話をしているのだから、想定しない方が難しい。
 そしてゆきは、そういう話題が、大嫌いだった。

「彼氏じゃないの?」
「違いますよ」
「そうなんだ」

 短くそれだけ話して、こそこそとまた坂上は同僚と話しはじめた。あからさまな内緒話を隣でやらないで欲しい、そう思うのはきっとゆきだけではないだろう。
 そして当然というかなんというか、それをとがめる人は誰もいない。仕事中に大音声で話をしているのをとがめる人さえ居ないのだから、飲み会でこそこそ話したりすることでとがめるはずがない。
 どうやら、坂上のおかしな興味を引いてしまったらしい、そう思ったゆきはため息をついた。知人と話をしていただけで、なんで噂話のネタにされなきゃならないんだ、と。
 当然のように、ゆきのテンションは下がっていく。もともと低かったのにも関わらず、容赦なく下げられていく。坂上が楽しそうにしているのと反比例して、ゆきはどんどん不機嫌になっていくのだ。
 結局、ものの三十分。
 戻ってきてからたかが三十分の間に、ゆきは中ジョッキに入ったウーロンハイを一杯半ほど飲み干した。トイレに席を立ったのは二度。そして、限界が来た。

「すみません、先に帰ります」

 ぼそりと隣に座っている同僚に言って、ゆきは席を立った。
 バッグを持って出て行くゆきに目を留める者は誰もいない。いや、いたのかもしれないが、声をかけてくる者はいない。なぜならば、それぞれが仲の良い人同士の話に花が咲いているからだ。相変わらず、新人さんは新人さん同士以外と話をしていないし、何のための歓迎会だ、と思わざるを得ない。
 まあ、中途入社のゆきも同じような状態で、しかも同期がいないから、余計に他の誰かと話すこともないのだが。
 盛大なため息をついて、バッグを片手にゆきはまたもトイレに行った。三十分の間に二度も行ったのは行ったのだが、やはり帰るまえに行っておく、というゆきの習慣は変わることがなかった。
 手洗いを済ませて、座敷席の横を通り抜け、店の外に出て行こうとする。

「ゆきちゃん」

 背後から聞こえた声にゆきが振り返ると、座敷席用に用意されているサンダルを引っ掛けた龍二が、ゆきに向かって歩いてきていた。

「真幸さん」
「あー、やっぱりもたなかった?」
「やっぱりってなんですか」

 そう言いながらも、困ったように龍二が笑うと、ゆきもまた苦く笑った。初対面で不機嫌をぶつけられた真幸にとって、会社の飲み会、というものがゆきにひどく苦痛を与えるものだというのは、多少なりとも理解していたのだ。
 そして、バッグを持って出口に向かおうとしている姿を見れば、一目瞭然。むしろそれ以外の答えなどどこにもない。

「何か言われた?」
「あー、まあ、別に」
「言われたでしょ。さっきオレ、ゆきちゃんが戻ったあとに、あの同僚の子にじっと見られたし」
「え」

 どこまで失礼な女だ、とゆきの表情は一変した。不機嫌丸出しである。

「すみません、気分悪かったですよね」
「いやいや、別にオレは見られただけだし、知らない相手だというのには変わり無いから。でも、そのことで何か言われたんでしょ?」
「いやまあ……たいしたことは言われてないですよ。ただ、そーいうのを見てこそこそ噂するようなのが嫌いなだけで。私が誰と話そうが関係ないっていうのに」

 坂上に何の関係がある。偶然同じ店にいた知人と話をして何が悪い。そう思うのは当然のことである。
 普段から仕事のことでさえもまともに話すことのない相手が、そういうことだけ話しかけてくる、そういう神経もまた、ゆきの嫌うところであった。
 しかも、ゆきの知人で、話をしていた相手だというだけで、その相手をじろじろと見ていく、など無神経にも程がある。

「ま、過ぎたことは仕方ない。オレは別に被害くってないし」
「でも、本当にすみませんでした」
「いいって、ゆきちゃんのせいじゃないでしょ。何かネタふっちゃったみたいで、こっちこそごめんね。オレが声かけなければそんなことにもならなかっただろうし」

 困ったように龍二が笑った。実際、龍二自身はそうやって『本来の姿』ではない状態を勝手に色々言われるのは慣れている。もちろん、いい気分はしないけれども、自分の職業柄、慣れざるを得なかった。
 そんなことは、ゆきが知っているはずもないので、それは言わなかったのだが、龍二が謝ったことで、少しばかりゆきが冷たい目線を投げてきた。

「何?」
「真幸さんは何も悪くないじゃないですか。ただ知り合いに会って、知り合いと話しただけなんですから。その真幸さんをじろじろ値踏みするように見てた坂上が気に入らないんですよ」
「ああ、坂上さんって言うんだ。別にいいよ、そんなの。たいしたことじゃないから。それより、帰るの?」
「はい。帰るって言ってきましたから」

 もう一秒だってあんな席にいたくなかったんで、とゆきが笑った。思わず龍二の笑みも引き攣る。その笑顔は、例の『不機嫌なんです、にっこり』の笑顔だったのだ。顔に出易いんだなあ、と少しばかり関心もしてしまうが、その笑みはやはり怖いものである。何もしてなくても怒られた気分になってしまうのは、きっと龍二だけではないだろう。
 気を取り直して、龍二がにこりとゆきに笑った。

「じゃあ、ちょっと寄ってかない?」
「は?」
「ちょっとだけ、ちょっとだけ。実はさっき、楠原も来たんだよ。呼べってうるさかったんだよね」

 打ち上げならぬ打ち入りで呑みに来ていた真幸は、楠原は同じ番組に出ていないから来ていない、と言っていたのだ。それなのに、今は楠原がいるという。ゆきが首を傾げると、龍二は苦く笑った。

「打ち入りっていっても、ほんとに声優仲間だけなんだよ。で、声優仲間って結構同じ現場に入ることが多い面子ってあってね。いつの間にかただの飲み会になってるってのがよくあるんだ。実際、何人か仕事があるって帰ったりして入れ替わって、今は来た時の半分は面子が変わってる。しかも二人ぐらい多くなってるしね」

 へえ、とゆきは関心していた。声優といっても沢山の人がいるだろう、仲が良いんだなあ、と。一つの会社の、一つの部署の中だって、そう仲良くなれることなんてあまりないのに。

「楠原に、ゆきちゃんがいたよって言ったら、何でこっちに呼ばないの! って怒られたよ」
「そうは言っても、お互い仕事の飲み会ですしね」
「そうそう。だから、会社の飲み会が終わったなら、おいでよ。せめて楠原に顔見せだけでもさ」
「でも……」

 たしかにゆきは会社の飲み会から抜け出したから終わったのだ。けれど、真幸の飲み会は面子が変わっているとは言っても、やはり仲間内の飲み会である。それに飛び入りするのは、さすがに気が引ける。
 しかもゆきは人見知りをするのだ。たとえ真幸が信用していなくても。話題を振るのは苦手だし、知らない人と話すことは得意ではない。
 だから、ごめんなさいと謝ろうとしたゆきだったが、それは言葉になりきれなかった。

「あ、ゆきちゃん発見!」

 発見されてしまったら、挨拶ぐらいは当然するものだろう。

「あ、楠原さん……」
「久しぶりー! 元気だった?」
「え、ええ、まあ。楠原さんは……元気そうですね」

 もちろん! と親指を立てられても、どうにも返答しようがない。というよりも、ゆきは思わず苦笑いしてしまった。相変わらずのハイテンションに。

「って、なんでこんなところで立ち話してんの? はい、行くよー、戻るよー」
「え、ちょ」
「クッシー、強引だなあ」

 ゆきの背後に回って、楠原がぐいぐいと押してくる。戸惑っているゆきを見ながらも、真幸は苦笑いをしてついてくるだけだ。止めようとは一切していない。
 どこに連れて行かれる? 聞く必要はないだろう、彼らのいる座敷席だ。

「楠原さん、私帰るところだったんですっ」
「え、もう帰るの? まだ時間早いし、せっかく会えたんだしね!」
「いやでもあのっ」
「こーなったらクッシーは止められないと思うけどなあ」
「止めてくださいよ!」

 訴えるようにゆきが言うと、龍二はにこりと笑って「無理」といった。その笑顔はとんでもなく爽やかだ。爽やかな笑顔こそ、裏があるらしい。ゆきが変に作り笑いをすると、かなり目が怖いことになっているのと同じようなものだ。
 そして当然、座席のある場所がそう遠いはずもなく。あっという間に座敷席の前までひっぱられてしまった。それでも当然、ゆきはごねる。当たり前だろう、その場にいるだろう人々は、ゆきの全く知らない人たち。真幸たちだってろくに知らないも同然なのに、全く知らない人たちの中にいきなり入るなど、到底無理なことである。

「楠原さんっ」
「えー、ダメ?」
「ダメですよ!」
「でもほら、前に呑みに行ったのも結構前だしさあ。ね、マサ」
「ね、クッシー」
「そこで同意しないでくださいっ」

 龍二は完全に楽しんでいるような顔になっている。それに少しばかりゆきはイラついた。楠原に対しては、いやだと言っているのに、しつこい、と。そして龍二に対しては、いやだと何度も言っているし、わかってるくせになんで止めない、と。
 彼らが好意で言ってくれているのはありがたい。けれども、やはり仲間うちの飲み会に、見知らぬ人間が入り込むのは無茶というものである。
 それがゆきの持論ではあったが、それはあっけなく龍二によって排除された。

「最初は誰だって知らない人なんだから。友達を紹介したって、別におかしなことはないでしょ?」
「そうそう!」

 会ってまだ三度目の知人に対して、友達とさらりと言ってしまう龍二に思わずあっけにとられてしまって、ゆきは言葉が出てこなかった。
 そのとき、座敷席のふすまが、すっと開く。

「あれ、真幸さん、楠原さん、何してんですか?」
「あ」

 ふすまの向こうから現れたのは、少しぽっちゃりした青年。少し目が釣りあがっているけれど、少年ぽさを感じさせる雰囲気がある。きょとんと目を丸くして首を傾げているその様子は、相当若いのではないかと思わせた。

「あー、甲野くーん」
「何ナンパしてんですか、楠原さん!」
「え、違うよ!!」
「甲野くん、結構マジでしょ」

 違うの!? と彼が言うと、龍二は思いっきり笑い出した。楠原は違うから! と必死で弁明している。

「ゆきちゃん、こちらは甲野くん。俺たちのお仲間ー。年は……二十九だっけ?」
「二十八ですっ」
「え!」

 驚いたゆきが思わず声をあげると、甲野がきょとんと目を丸くしてゆきを見た。慌ててゆきは両手で口を塞いで、小さくすみません、と呟いて俯いた。

「ゆきちゃん、もしかしてまたものすごく若く見たでしょ」
「う……ハイ」
「ま、確かに年下といえば年下だけどねー。甲野くん、トイレ?」
「いえ、二人とも戻ってこないから見に行けって池畑さんに」
「おお、そりゃ悪かった。んじゃ、呑みなおし呑みなおし!」
「っていうか、楠原さん、彼女ですか?」
「違いますっ!」

 甲野が何気なく聞くと、思いっきり首を横に振って否定したのは、ゆきだった。龍二は思い切り笑っている。もちろん、否定された甲野は驚いて目を丸くし、楠原は唇を尖らせた。
 そこまで否定しなくても! と楠原が言うものの、だって違うじゃないですか、とさらりとゆきに言い返されている。

「オレとクッシーのお友達。偶然飲みに来てたらしいんだけど、もう帰るところだっていうから捕まえて来ちゃった。一緒してもいいよね?」
「僕はかまいませんよー」
「んじゃ、戻ってみんなに紹介しよう。ほら、ゆきちゃん、観念して行ってみよう!」
「無理! 無理ですって!!」

 大ジョブ大ジョブ、と楠原が笑って靴を脱いであがっていく。サンダルを引っ掛けただけの龍二は、行こう、とゆきに笑いかけた。それでも、やはりなかなか思い切れないものである。

「ゆきちゃん、大丈夫だよ。オレいるし、ヤな気分の飲み会だったんでしょ? せっかくだから、気を取り直して飲もうよ」

 ね、と龍二が言うのを見て、ゆきはうぅ、と唸り声をあげた。初対面のご挨拶、というのはゆきがものすごく苦手なものである。気を取り直すどころか、緊張感は増すばかりだ。けれど、こうして龍二が気を遣ってくれているのに、固辞するのもいい加減申し訳ない気分にもなってきていた。
 もう一度唸ったあと、ゆきは渋々といった様子ではあるが、靴を脱いで座敷に上がった。すでに楠原と甲野は席に戻っているらしく、その場に残っているのは龍二とゆきだけである。

「……少ししたら帰りますけど」
「いいよ。無理はしなくてもいいから」
「……今すでに無理してる気が」
「きこえなーい」
「真幸さん……」

 こっち、と案内されて、座敷席の廊下を渡る。それほど奥に行くこともなく辿り着いた個室には、六人ほど座っていた。
 一番奥にはなぜか楠原が座っている。そしてその隣からはすでに見知らぬ人。入り口近くには甲野が座っていた。

「おそいよー、マサさん」
「悪い悪い。クッシー、みんなに?」
「うん、参加者増えるよって」

 確かに間違ってはいない。楠原の発言は間違ってはいないのだが。
 もう少し、こう、知人が来るとかそういうことを、伝えておいてくれると嬉しいのだが、とゆきが思ってしまうのも無理はなかった。
 楠原を除く五人の目が、らんらんとしてゆきを見ている。

「えーっと、ゆきちゃん、クッシーの右横が池畑さん。で、そのとなりが増田さん。で、クッシーの左隣が吉川さんに、滝口さん、で、甲野くん。みんな同業者だよ。そしてオレ、真幸です」
「マサ、ずりい! 俺の紹介なかったのに!!」
「はいはい、一番奥にいるのがクッシーね」
「楠原でっす!」
「うるさい、クッシー。で、マサくん、その子は?」

 さらりと楠原をいなして、龍二に聞いてきたのは、楠原の右横にいる池畑だ。それなりに年齢がいっているように見えるが、少し肌が浅黒い。スポーツマンなのかな、などとゆきは考えていた。

「こちらは、オレとクッシーのお友達で、暁ゆきちゃん。OLさんです」
「おぉ、OLさん! なに、マサさん、ナンパしてきちゃったの?」
「オレかよ!」

 龍二に突っ込みを入れたのは池畑の隣にいる増田という女性は元気のよさそうな印象を与える人だ。髪はセミロング、あごがほっそりとしている。そして目が少し小さめではあるが、にこにことずっと笑っていた。
 そして楠原の左隣にいる吉川、と紹介された男性は、目元が穏やかな人だった。池畑よりも幾分か若いだろうが、龍二たちよりも少し年上だろうと思える。黒目がちの少し大きな目が、楽しそうに笑っていた。
 その隣の滝口という女性は黒髪が長くて、ちょっと知的な印象が見え隠れする。体型的に細めで、おそらく身長も小さいだろう、という彼女もまた、にこにこと笑っていた。

「だって、楠原くんが言ってたよ、マサがナンパしたんだーって」
「楠原! お前何言ってんだよ!」
「だって俺がゆきちゃんと会った時は、もうマサとは知り合いだったじゃーん」

 けらけらと笑いながら、楠原がグラスに残っていたお酒を飲み干した。

「暁さん? はじめまして、池畑です」
「あ、はじめまして……」
「増田ですー」
「吉川です、よろしく」
「滝口です。よろしくね」
「改めて、甲野です」
「はじめまして、暁ゆきです。えーっと、真幸さんと、楠原さんの知人させてもらってます」

 ぺこりとゆきが頭を下げると、一斉にみんながきょとんと目を丸くする。
 ただ、彼らとは違い、龍二はくっと笑い出した。楠原は免疫があっても、やはり目を丸くしている。

「知人させてもらってます、って何かおかしくない?」

 龍二が言うと、あれ? とゆきが首を傾げた。けれどその一瞬後、でもそーだし、と一人納得している。その様子を見て、龍二はあはは、と笑い出した。それをきっかけに、楠原や池畑たちも笑い出す。

「え……私、なんか変なこと言いましたっけ?」
「いや、ゆきちゃんらしいことしか言ってないよ、多分」
「……なんかそれ、気になる……」

 むぅ、と頬を膨らませたゆきを見て、また彼らは笑い出した。
 何が面白いのかわからないゆきは、きょとんと目を丸くし、首を傾げて一同を見渡していた。

「……あれえ?」

 笑われるようなこと、言った覚えはないんだけどなあ。そんなことを思いながら。





   BACK * MENU * NEXT