11:探すべき道






 これまであった経緯を、戒はすべて水杜に伝える。風杜が現れた時のことも、美月がしたことも、美月が言ったことも。それは、水杜が覚えていないとしても、知っていなくてはいけないことだ。だから戒は包み隠さず、すべてを水杜に告げた。その間、火杜はじっと黙っていた。

「……美月が、月姫に?」
「ええ、間違いなくそうでしょうね。あの銀の瞳は月姫のものに間違いありません。銀というのは禁色ではありませんが、月姫を象徴する色でもありますし……よほどの人物でないと、銀色を持った人間はそうは生まれないと聞いています。月姫というのは生まれながらに月姫ではありませんから、もとは普通の色をしているはずですし」

 そうか、と水杜は小さく呟いた。その水杜の様子を戒はじっと見ている。彼の中に、揺らぐものや思うものが何かありはしないかと、注意しながら。
 火杜はもくもくと歩き続ける。戒が水杜に告げることを止めるべきかどうか迷いはした。したが、水杜は四蓬だ。だから知らなくてはいけない。今の状況や、推測で測れることすべてを。そう思えたために、彼はじっと黙って戒と水杜の言葉に耳を傾けたまま足を進めていた。

「まだ美月が本当の意味で月姫として目覚めたとは思えません。美月が目を覚ましたときには銀の瞳は黒──いえ、いくらか濃茶色ではありますけど、もとの瞳の色に戻っていましたし、彼女もまたあなたをどこか海で探し出したものだと思っていますから。ある意味、あなたと同様の状態ですね」

 けれど、彼女は確実に月姫だった。あの姿は月姫以外の何者でもない、と戒は続ける。
 誰も美月が月姫であることを疑ったりはしていない。してはいないけれども、突然起きたあまりの出来事に誰もが呆然としてしまったのは事実だ。
 そしてそれは、話を聞いただけの水杜も同様に。

「……水杜≠助けるために、か」
「おそらくは、そうでしょうね。そして、海神が言っていたのは失われし影に気をつけろ、というものでした。あの海で、何か覚えていることはありませんか」

 彼の記憶にあるのは、波に攫われたところまで。先ほど水杜が言ったのだから、それはわかっているが彼の中になんらかのものが残ってはいないか、戒は確かめたかった。攫われたのが水杜≠ナはなく海里≠セとしても、彼は四蓬で水の守護者。水の伝えてくるものが何かあったかもしれないし、彼が海里≠セとするなら何かが残されているかもしれない。
 少なくとも、神の言った失われし影≠ニいうものには注意をしなくてはいけない現状。そう言われて彼ら全員が思い当たるのは唯一つ。

「……祐理」

 ぽつりと言った水杜の言葉を聞いて、火杜は険しい顔をする。そして戒は、やはりそう思いますかと聞いた。
 祐理といえば、峯鳴の洞窟で、南都で彼らを襲ってきた人物。そして先立っては影だけが一人歩きをして何者かを連れて襲ってきた者。彼の影は南都の先の町で火杜に焼き尽くされた。だから失われし影≠ニ言われて思いつくのはやはり祐理だ。

「失われし影、といわれて思いつくというのもあるが……あいつと同じ匂いがした。波が襲ってきたときにだ」
「……そうですか」
「あいつはまだ生きている。影は無くなったかもしれないが、まだいる。だが……あいつはもう、真実祐理ではないのかもしれない」

 水杜がゆっくりと語った言葉に、戒はそうですか、と再び呟いた。
 もう祐理ではない。
 それが意図するものを、戒は正確に読み取った。つまり、祐理という人格はすでにない、ということ。祐理は何かに己を奪われ、何者かに使われている、ということだろう。

「あの声は、祐理だ。怨嗟の声が混ざり合ってわかりにくいが、海に呑まれたときに嗤う声があった。その声は、確かに祐理のもの。あいつには何度か襲われたからな、聞き間違えることはない。だが……」

 水杜が言葉を濁した。
 あの嗤い声が言っていた言葉が、胸の奥にわだかまっている。海里、と何度も何度も叫んでいた怨嗟の声、それが誰のことなのかはさっぱりわからないが、沈めろと、海里を沈めろ、と何度も言っていた。まるで怨嗟を誘導するかのように。
 そして、飲み込む。
 水杜めがけて立ちはだかった波は確実に水杜だけを狙っていた。あの場にいた火杜や戒から見たら高い津波が襲い掛かってきたのだから全員を狙っていたようにも見えるかもしれないが、水杜は確信している。あれは、自分を狙ってきたのだと。
 怨嗟を強めるために誘導する祐理の声、そして水杜を狙って襲い掛かった波。

「祐理の目的はわからないが……月姫だけを狙っているわけではないのかもしれない。あの波は俺を狙ってきた。もしかしたら……」
「我々が狙われる可能性もある、ということですね」

 月姫を守る四蓬。それは月姫を狙うものにとっては邪魔な存在に他ならない。今回は水杜であり海里≠ナあったが、次は火杜か、戒か、風杜か。推測はつけられないが、可能性は否定できない。
 水杜だけではなく、過去を失っている者は他に二人ほど集っている。戒は過去を失ってはいないから、さすがに別人と言われて襲われることはない。同じような手は使えないはずだ。
 ──いや、同じだろうと違うものだろうと、そう易々とやられるわけにはいかない。四蓬という月姫の守護者が己すら守れなくてどうする。

「なあ……美月が完全に覚醒したら……あんな風になるのか?」

 火杜がぽつりと呟いた。
 水杜を取り戻すことが出来たのは他のだれでもない、美月のおかげだ。美月が一時なりとも覚醒したおかげだというのはわかっている。
 けれど、どこか腑に落ちない。月姫となったら、あの美月は別人のようになってしまった。もしも覚醒するということが、自分たちのように美月という人格を失うものだとしたら……そう思うと、どこか心苦しくもなる。

「それはわかりませんよ。なんといっても、一時的な、しかも突発的な覚醒だったようですし。それに、これまでの月姫も色々な人がいます。先代はたおやかな女性だったと聞きますが、その前は武人であったとも聞きます。美月がどんな月姫かはいまだ解かりませんけれど」
「そう……だな。オレたち四蓬は疎まれてきたけど、あいつはそういうわけじゃないだろうし……大丈夫だよな」
「…………ああ」

 戒は苦く笑い、水杜はただ小さく呟いた。
 疎まれて生まれた四蓬、そして異能と言われつつも才能を認められた律師。けれどそれの頂上に立つ姫王というのは、どういうものなのか。
 彼らにもわからないことは、まだ多くあった。

 風杜の風を辿りながら、彼らも宿の中に入る。すると、入り口近くで美月が座っているとなりに、風杜が腕を組んで仁王立ちをしていた。それを見た戒たちは首を傾げて美月たちのもとに近づく。
 それに気付いた風杜が、あっと声をあげてぎりっと彼らを睨みつけた。

「ずいぶんと遅い到着ね」
「……すまん」
「水杜のせいじゃなくて、火杜のせいでしょ、この場合。あんたは歩いてないんだから」
「オレかよ!」
「文句あるの?」

 じろりと睨まれて思わず押されてしまった火杜はうっとうなって黙り込む。それを見た風杜がふん、とそっぽを向いて戒に訊ねた。

「お金とか全部あんたたちが持ってるんでしょ。早く宿借りてきてちょうだい」
「ああ、そうでしたね。……って、風杜は持っていないんですか?」
「持ってるわよ、少しぐらいはね。でも部屋ひとつじゃすまないでしょ」
「……たしかに」

 風杜が増えたのだから、これからは部屋を分けることが出来る。基本的に風杜を美月から離さずにいようと考えたのは他の誰もが同じだ。とは言えども、風杜一人で大丈夫なのか、と気になるところも無くは無いが。
 美月はぼんやりと椅子に座ってそれぞれの様子を見つめている。火杜に背負われた水杜は着いてすぐに火杜から降ろされ、美月の隣の椅子に座っている。
 まだ彼の顔はだいぶ青白い。波に飲み込まれたのだからしかたないか、と思った美月は、大丈夫かと水杜に訊ねた。

「平気だ。お前の方こそ大丈夫か、倒れたと聞いたが」
「わたしは……平気。それより何も出来なくて……ごめんなさい」

 月姫だといわれて守ってもらっているのは良くわかっている。けれど、水杜が窮地の時、助けることも出来なかった上に探し当てることも出来なかった。それどころか自分までもが倒れて戒や風杜、火杜たちに大変な迷惑をかけたのではないだろうか。
 そう思うと、自分が情けなくて仕方が無いのだ。

「お前のせいじゃない。俺たちが油断していたせいだ」
「でも」
「もう一度言う。お前のせいじゃない。俺たちは俺たちのしたいようにしている。だからお前が気にする必要はどこにもない」

 その言葉はとてつもなくそっけなく聞こえる。けれど、美月が見上げた水杜の横顔は本心だと語っていた。凛とした瞳がまっすぐ前を見ている。気を使って言っているわけでもなければ責めている色もない。それを見て、美月はほっと息をついた。

「それでも、わたしにも原因はあると思うし」
「そう思うならおとなしく守られてろ。それが俺たちが望むことだ」
「……うん」

 それが、四蓬の務めなのだから。

 町に闇が訪れ始めている。輝いていた太陽は静かに傾いて空に月を浮かべ始めた。その月は金色に輝いてただじっと町を見下ろしている。じっと見下ろしながら、町に光を与えている。
 ──影が、目立つように。



◆ ◆ ◆ ◆




「……この町にですか?」

 驚いた声を戒があげた。部屋の中には美月と戒、そして風杜がいる。隣の部屋では水杜が眠っていて、今はとりあえず火杜が看病をしている。
 火杜に頼むのは微妙かと思えたが、美月が戒に話があると言い出したので美月の部屋に訪れたのだ。今は水杜も眠っているし、火杜が一緒にいても問題は無いだろう。……というよりも、火杜が水杜についたまま眠っているんじゃないかという心配の方がある。せめて水杜に寄りかかって眠ったりしなければいいのだが、などと考えていたとき、部屋に入って美月が言った言葉に戒は目を丸くした。
 ここに残って、祐理をおびき出す、と美月が言い出したのだ。
 先ほど宿に入ってすぐ、美月は戒たちから聞かされた。あの襲い来る怨嗟をけしかけ、波をより強く高くしていたのは祐理によるものではないかと推測している、と。
 怨嗟の声が響いていたのは美月も覚えている。けれどそれ以降のことはあまり覚えていないのだ。だからそれが祐理だとなぜ思えたのか、美月は不思議がった。
 だが、水杜が知っている。水杜がその全身で知っている。あのおぞましい感覚を。
 あれはこれからも何らかの形で付きまとうだろう、そう言った戒に、美月が突然ここに残ると言い出したのだ。
 美月がそう言いだしたのは水杜の体調のせいもある。だが、それよりもにここに美月たちが居ることを祐理はすでに知っているだろうから、というのが美月の意見だ。

「どうせ逃げても追ってくる。これまでも襲ってきたのだから、多分目的を果たすまでは追ってくるんじゃないかと思う。だから……わたしがここに残れば、きっとまた祐理がくると思うんだ。あの人がどうして水杜を襲ったのかはよくわからないし、何にも出来ないけど……それぐらいなら出来るかな、って」
「美月ってホントに頑固ね。ずっとやめたほうが良いって言ってはいるんだけど」

 お手上げ、と風杜が苦く笑った。さすがの風杜にも相手が月姫では暴言を吐くわけにもいかないし、まして月姫本人がそれを望むのならば止めることは出来ないだろう。
 たとえ相手が覚醒していなくても四蓬には逆らうことはできないのだ。相手が月姫であることを己が知っているのだから。

「まさか風杜、了承したわけではないですよね」
「そんなはずないでしょ。私一人で決められることじゃないから、みんなと相談しようって言ったのよ」
「まあ、しっかり止めなかったのは気になりますが、勝手に決めなかっただけ良いでしょう。それで美月、先ほどのご意見ですが」

 舌打ちでもしそうなほどに不機嫌な顔をした戒がくるりと美月に向き直る。美月はこくりと頷いた。

「却下させていただきます。あなたを囮にする理由はどこにもありません。さらにあなたに危害が加わるかもしれないという前提で、私たちが動くことはできません」
「でも……!」

 なお言おうとする美月を制するように戒はすっと右手を上げた。戒の不機嫌そうな顔は変わっていない。月姫を守るための四蓬と律師がなぜ月姫を囮になどできようか。その思いは美月にはいまだ届いてはいないようで、それが戒の癇に障る。

「いずれにしても、囮は必要ありません。私と火杜、水杜三人の見解として、我々の所在が明らかになり確実になれば誰もが囮になれます。何も美月だけを目立たせる必要はないんですよ」
「……どういうこと?」
「誰が狙われてもおかしくはない、ということです。月姫を害するとは四蓬を害することも含まれている、という意味ですね。四蓬も律師も選ぶのは月姫とは限りませんが、月姫の持ち物である私たちを排除すればそれだけ月姫の身辺が手薄になる。つまり月姫を陥落させやすい、ということです」

 そんな、と美月は呟いた。戒は不機嫌な表情を崩そうともしない。ただでさえすでに水杜が狙われた。つまりそれは四蓬を害するつもりもあるという意思とみなせるだろう。
 それでいて、海里という名を使ってまでもの攻撃。水杜にはその名に思い当たることがないようだったのが唯一の救いだ。もしも思い出すとしたら、それは四蓬として目覚めていないことになってしまう。一度四蓬に着任した者が、なんらかの形でその任務から離れたとしたらどうなるのか。それは戒にもわからなかった。
 戒は苦い顔をしていた。自分は律師、美月たちを導く頭脳を持たなければいけないというのに──なんて無力なのだ、と。





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