13:最後の守護者 「へえ、扇に刃を仕込んでるのか。面白いことするじゃないか」 「それはどうも。言っとくけど、容赦しないわよ」 「じゃあ、俺も容赦するわけにはいかないよなあ」 にたりと笑った祐理は手を伸ばす。ゆっくりとした動作に見えるのに、その動きは早く、あっという間に風杜に近づいた。 「風杜!」 「退いてなさい!」 美月が声をあげると同時に風杜が叫ぶ。言われるまま美月はずるずるとベッドの端に行って小さくなっていた。風杜が祐理の剣を受け止める。祐理の手に握られた短刀が黒光りしていた。 何度目かの応酬のあと、風杜がひゅんと扇を振り上げてくるりと回る。風杜の長い髪がふわりと舞ったと同時に祐理が一歩下がった。 ぽたりと床にしみが出来る。祐理の肩から落ちた血が、床の上に落ちていく。 「この…………!」 「そう簡単に女に傷をつけられると思わないでくれるかしら」 そう言って風杜が間合いを詰める。横一線に扇を払うと風がふわりと巻き起こり、それから一瞬後に祐理の胸元がぱくりと裂けた。 祐理の顔が次第に赤くなっていく。影が人の形をとったのを目の当たりにして見たはずなのに、影とは到底思えない姿の祐理は血を流し、人のように足音を立てて飛び掛る。 けれどその攻撃も風杜に鮮やかに避けられた。 ふわりと音もなく着地する風杜の方が、人の動きには見えないとも言える。 「戒、早くしなさいっ!」 「わかってますよ」 風杜が叫ぶと同時に祐理に斬りかかる。そしてそれと同時に別の影がすばやく部屋の中に入り込み、美月の前に姿を現す。 窓から差し込んだ月の明かりが、銀色の髪を照らす。それを見た美月は息を呑む。 「美月、怪我はありませんか」 「…………」 「美月?」 どくん、と胸の奥で脈打つものがある。 美月は目を見開いていた。 ──これは、何。 再び、どくんと脈を打つ。それは次第に早くなっていく。 「美月?」 戒の声が遠い。これは何。 知ってる。これをわたしは、知っている。そうだ、あの時と同じ。水杜が呑まれたときと同じ。わたしは……助けたい。 「…………戒」 「美月、大丈夫ですか」 「……わたしは、平気」 「よか……っ!」 答えた美月を見て、今度は戒が息を呑んだ。 ──瞳が。 美月が、目醒めている。水杜のときと同じように、銀色の瞳をしている。立ち上る銀の光、月の光を背に受けて、それは以前よりも強い光に見えた。 「水杜は」 「あ、ああ……今は隣で眠らせています。おとなしくしているように言い聞かせました」 「火杜は」 「風杜の援護です」 「戒は水杜の部屋に結界を。風杜、火杜、外へ」 声を大きくして風杜と火杜を外へ促す。確かにこの部屋の中で戦うのは条件が悪い。戒は美月に言われるまま水杜の部屋に結界を張ったが、風杜と火杜ははっとして美月を見て瞠目した。 「早く」 美月が言うと、慌てて風杜が強い風を吹き起こす。大きく開いた窓を背にしていた祐理に火杜が飛び掛り窓から外へ叩き出した。火杜もまた太刀をあわせたまま外に飛び降り、それに追いかけるように風杜も外に出る。 「戒、水杜の結界に何かあったら知らせて。外に行きます」 「美月!」 戒が焦って美月を呼ぶと、くるりと振り返って幽かに微笑んだ。 「大丈夫、月が空にあるから。わたしは……守りたいの」 そういった彼女の瞳は銀色に輝いていた。けれどその言葉とその微笑みは、美月に違いない。水杜が呑まれたときのような酷薄な笑みは、そこにはなかった。 踵を返して美月は部屋から遠ざかる。その背中に怯えは見えない。背筋を伸ばして、凛としている。あれが美月であり、月姫か。酷薄さの似合わない美月の月姫である姿だろうか。 「……まさか、コレで目醒めるとは」 己の髪をつまみ上げ、戒がため息を吐いたことは、誰も気付かなかった。 宿の部屋から外に出た風杜と火杜が祐理と対峙している。いくら斬っても、血が流れていても、祐理の動きは鈍ることがない。それは影で作られたものだからかもしれないが、どう見てもその光景は不気味なものにしか映らない。 血を流しがなら、にたりと嗤う。 「へえ、月姫、起きたのか」 「祐理……影だけでそうまで生きていられるのは、誰の力?」 「さあ、何のことだろうなあ」 ぼたぼたと血を流しながら、短剣を片手に美月めがけて駆け寄ってくる。風杜が扇を飛ばして祐理の腕を斬り付ける。けれどそれにかまうことなく、祐理は美月から視線を外さずに近づいてくる。焦った火杜が間に入り、太刀で祐理の剣を弾き飛ばした。 「大丈夫か!」 「ありがとう、火杜」 銀色の瞳をしているから、美月が美月でないことを火杜は知っている。アレは月姫の姿だと。けれど、その銀色の瞳が細められて微笑んだのは、美月に見える。火杜は目を丸くして彼女を見ていた。 「火杜、少しの間でいいわ、あれの動きを止めてくれる?」 「あ、ああ。任せろ」 「風杜もね」 「ええ」 そう言うとくるりと美月が振り返る。美月の少し後ろに戒が居る。そしてその向こうには窓越しに水杜の姿があった。 「水杜、出てきたら戒にこってり叱ってもらうからそのつもりでね。戒、火杜と風杜が祐理の動きを止めたら、白幕を」 「承知しました」 水杜は窓の向こうで、窓枠につかまったまま立ち尽くしている。ぎり、と祐理を睨みつけるその視線は生半可なものではない。 本当は、身体がもっと動くならば彼が一番祐理に向かって斬りつけたいだろう。けれどそれを美月は許さない。水杜がまともに動ける状態ではないことを良く知っているのだ。そして月姫がそういうのだから、水杜には戒の結界を破って出て行くことは出来ない。 「行くわよ、火杜」 「おうよ!」 火杜と風杜が視線を合わせて同時に駆け出す。祐理はゆらりゆらりと揺れながら短剣で二人の攻撃を避けていく。身体に斬りつけられてもびくりともしない。 影ゆえか、痛みすらも感じないのか。 美月はじっと時を待つ。空を見上げると、金色の月が光り輝いていた。 「月の満ち欠け、時の揺らぎ……」 小さな声で美月が呟く。その声は火杜の太刀や風杜の扇が祐理の短剣とぶつかる音でかき消されている。ただ、その中で静かに美月が呟いている。片手をすっと空に向けて呟き続けている。 「……ほう、お一人で目醒められたか」 「お前……!」 「久しいな、水杜。遅くなった」 部屋に施された結界の中に、人影がふっと現れた。 水杜とあまり年齢の変わらない男は、片手に槍を持っている。背に流れる髪は濃色の茶褐色。瞳も同様だが、そちらはいくらか赤茶けていて、その双眸は厳格な雰囲気を漂わせている。 彼の持つ細い槍の先は鋭く、月の銀の光をはじいていた。しゃらん、と槍の柄に巻きついている鈴が音を鳴らし、その音に水杜ははっとする。 「……お前の鈴も鳴ったのか」 「今はじめてだが。それにしても、ずいぶんと歯車が狂っているようだ」 水杜の傷を一瞥してふっと鼻で笑う。外傷はそれほどないけれども、明らかに顔色が悪い。その視線にむっとした水杜が窓の外に視界を戻す。 窓の外では、火杜の炎が走り、風杜の風がかまいたちを起こしている。その中で戦うはずの水杜は、窓のこちら側でじっと立ち尽くしているだけだった。 「しばらくは我慢するといい。火杜たちがあの者を倒せば、私が治癒してやろう」 「たいした傷じゃない」 「そうは見えぬな。さすがに四蓬なだけあってそれだけで済んでいるようではあるが。本当は今すぐ飛び出してやつを殴りたいのだろうが、お前がここで出れば結界を結んだ者に影響が出る。だからこの場はあれに任せろ。律師が良いようにしてくれよう」 「……守。お前はどこにいたんだ」 さて、と守は話を逸らして視線を窓の外に向けていた。 守と呼ばれたその男は、四蓬の一人だ。土の守護者である男の名を守≠ニいい、四蓬の長たる存在だ。これで最後の四蓬が集まったことになる。 「自ら覚醒なさるとは、当代の姫はよほどの御仁ということか。異国から来た姫王にそういったことが出来るとは聞いたことはないが」 「ああ、聞いたこともない。月姫が着任せず降臨するということもな」 確かに、と守は苦く笑った。 月姫降臨の際、あの月の侍る闇に行けなかったのは事実。本来ならば、守が誰よりも先に月姫のそばに行き、月姫着任の契約をしなければいけないのにも関わらず、その月姫の声が、聞こえなかったのだ。 まさかこんなことになっているとは思わなかった。それが守が抱いた当然の感情だ。杜貴が来なかったら、と考えるとぞっとする。 「遅ればせながら、ここからは四蓬の守として役目を果たさせてもらうとしよう」 ひらりと守が窓の外に飛び降りる。戒の結界が結ばれているはずだが、守が動くのは一向に問題がないようだった。 突然の守の行動にあっと水杜が声を上げたが、振り返った守はちろりと睨んだ。 「おとなしくしていなさい。お前が飛び出そうとすればそれは律師にすべて返る。私が出られるのは私にかけた結界法ではないからだ。あの律師、相当の実力者だな」 物ではなく、水杜自身に結界を結んだ。それは並大抵の術者にできることではない。 そう言われた戒は一瞬を待っている。火杜と風杜が作り出す、祐理の隙を待っていた。 じっと戒が見つめた先には、容赦なく火花が飛び散っている。その中に、守は近づいていく。火杜と風杜が一向に振り向かないまま戦っているのを見ながら、守が声を上げた。 「火杜、炎だけでどうにかしようと思ってはいけない。風杜のつけた傷を焼いて血を飛ばしなさい。あの無数の傷から血を焼き尽くせば、あっという間に干からびる」 「守!」 その声に驚いた風杜と火杜が声を揃えてその人を振り返る。行方さえわからなかった、四蓬の長が、やっと姿を現した。 対して、守は特に微笑むでもなく、彼らに近づいて一閃、祐理に向かって斬り付ける。 「挨拶代わりに、受けていただこう」 ぽつりと囁くように呟かれたそれが、祐理への挑戦状だ。 |