気配
風の吹き抜ける土御門家。門の前では、なにやら騒がしいことになっている。が、今日もまた、彼の頭上に浮遊している男は、悠然と様子を見ている。
「見てねぇで手伝えってば!!」
『何故おれがそのようなことをせねばならぬ』
「何故じゃねぇよ、そこにいるんだから手伝えよ!」
『面倒くさいからお断りだ』
畜生、と成明は舌打ちをする。頭上から見ている彼は、その様子を見つつ薄い笑みを浮かべていた。
本来、この土御門家に怨霊が入ってくることはできない。陰陽家のこの敷地内は当然のように結界が張られているからだ。それ故に、成明は帰宅時に襲撃されることが多々ある。今日もまた、自宅へとかえってきた成明は、門前で怨霊と対峙している。
『ほれ、あんまりのんびりしていると、時間がなくなるぞ』
「のんびりなんかしてねぇっての!!」
別に怨霊退治に時間制限などはない。だが、今日は急がなければいけないのだ。
成明の父――もちろん晴明の子孫にあたる――に呼び出されているからだ。何故父親が自分を呼んだのかはわからない。ただ、父親が自分を呼ぶときは大抵が陰陽師としての仕事があるときだと成明は思っている。だから本当ならばバックレてしまいところでもあったが、流石にそうもいかないらしい。平安から続くこの家はこの時代においても"父親"とは最高権力者なのだ。時代の流れから反しているとは思わなくもないが、成明自身、幼い頃からそのように育てられているので、自然と身の内に染み付いている。父親は"恐怖"の対象なのだ。
「だぁっ!もう、キリがねぇ!!」
『まだまだ未熟だな』
「うっ…うるさいっっ!!」
頭上でにやにやと笑っている晴明を一瞥して、成明は眼前の敵と対峙した。
「晴明、飛ばされんなよ!!」
『おれを誰だと思うておる』
「浮遊霊!!」
ひとことだけ言って、成明は印を結ぶ。真言を唱え、静かに瞑目する。怨霊が叫びを上げて向かってくるが、間に合うことはない。
「"縛鎖"」
成明の呪で、怨霊の動きはぴたりと止まった。突然動けなくなったことにより、叫びがより一層高くなる。
「"調伏"!」
怨霊の叫びとともに、姿が歪んでいく。人には見えない、その姿。時にははっきりとした人間の姿の者もいるが、ほとんどは人であったものとは思えない姿形になっている。ぱん、と手を打ち、顔の前であわせ、成明は瞑目する。
『終わったか』
「つ…疲れた」
『あれしきのことで疲れるとは情けないな。それでもこの晴明の子孫か?』
「そんなもん関係あるか!!」
『それよりもおぬし、さっきはこのおれを"浮遊霊"などと言うたな?』
「違うのかよ」
『違う、せめて守護霊とでも言って欲しいものだな』
「守護してねぇだろうが!!……ってやべぇ、時間がっっ!!」
腕時計を見ると父に言われた時間の3分前。時間を守らなければ、父親からきついお説教が待っているのだ。そのお説教はおそらく延々と3時間は続くだろう。
…もちろん、短く見積もって。
「行くぞ、晴明!」
『おれは別に関係ないのだが…』
「うるさい、いいから早くこいっ!」
ぶつぶつと言いながら晴明はすぃ、と成明の頭上を流れていく。いつもは姿が見えることがないはずの晴明だったが、いつのまにかいつでもその姿が見えている。それは以前の平家武士と戦ったことで、成明自身の能力が目覚めはじめたせいだった。成明自身は、あまり嬉しいことではないようだったが。
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「すみません、遅くなりました」
「成明か。時間は守れと、幼いころから言っているが…忘れたのか」
ひゅぅ、と背中が寒くなるような冷たい声で、父は答える。その言葉に、成明は恐縮する。
「そんなことはないです。ただ、ちょっと門の前で怨霊に出くわしたので…」
「知っている。だが、もう少し早くこちらに向かえば間に合ったということではないのか。時間を守るということは他人との約束の上で最低限のマナーだと思うが?」
「…すみません」
「まぁいい。ところで、お前、先日何があった」
「え?」
突然の父の言葉に、成明はきょとんとした。何のことだかわからず、目を丸くしている成明に、父は静かに言葉を続けた。
「賀茂家から、連絡があった。この前、賀茂家の霊場に立ち入ったそうだな」
「いや、あれは……」
「何をしたのか、と聞いている」
弁明を聞くのではなく、何をしたのかと、冷たい視線が注がれる。成明はどこから説明をすれば良いのかわからなかった。最初は、秋陽のためでしかない。秋陽が"白霧の間"にいるということで向かった。そしてそのあと、平家武士が襲ってくるのを防ぐため、結界を張って、それから平家武士を調伏…なんてこと言っても、信用してもらえるのかどうかも怪しいものだ。
「秋陽さんのためにか?」
口篭っている成明を見て、先に父親が口を開いた。秋陽との交際自体は、この土御門家では許されている。もちろん、父も含めて。賀茂家よりは寛大、というかおおらかなのか。それとも晴明の血筋ゆえ、その辺はあまり気にかけない体質なのか。
「…父さん?」
「お前と秋陽さんのことは何も言わん。お前が秋陽さんのことを好いていても文句を言うつもりはない。だが、他家の霊場に踏み入ったことは問題があるとは思わないか」
「…はい」
「もちろん、何の理由もなくお前がそんなことをしたとは思ってはいない。だがな、成明。霊場というのは、その場そのものが霊気が高く、清らかな場なのだ。他者が立ち入ることが出来ないのは、お前も知っているだろう?」
『…はぁ、そろそろやめておけ、和成』
「晴明?」
突然口を開いた晴明を見上げる。父との会話の間に、晴明が入ってくるのはこれが初めてだった。驚きに、成明は見合げ、声を上げた。父には見えないはずの晴明の姿を見る。
「…誰の声だ」
「や、あの……」
焦った成明はどう弁明したらいいのかわからない。が、晴明は自分の頭上からすぃ、と成明の隣に座った。
『このおれの姿が見えぬのか、和成。これでも見えるようにしてやっているのだがな』
いくらか怒気を含んでいるようにも聞こえる。表情はあまり変わらないが、まっすぐに父を見ている晴明を、成明はあんぐりと見ていた。
『和成、お前仮にも土御門流の師範なのだろう?このおれの顕現すら見ることも出来ぬのか』
「こ、これは…晴明公!?」
『やっと見えたかよ』
「せ、晴明…?」
「な、成明!晴明公に向かって呼び捨てなどと…!!」
『別にかまわぬさ。おれはそんなことに口やかましい人間ではないぞ』
「お前は浮遊霊だろ」
「成明っっ!!!」
成明にとってはいつもと同じ会話なのだが、父にとってはそんなことは言っていられない。晴明公は自分の祖であり、師である。いつも成明の頭上にいることなど知らないからだ。
「父さん、小さい頃にも言ったと思うけど…晴明はずっと俺の近くにいるんだ」
「それは…言っていたのは知っていたが…まさか晴明公とは…!」
『別にたいしたことではないだろう、和成。それよりも、いつも聞いているが、お前は頭が固いなぁ』
「…え?」
『成明もまだまだ未熟だが、お前もまだ未熟だよ。そんなに頭ごなしに責めるものではない。成明なりに事情もあるのだ、わかってやれぬのか?』
「ですが…」
『時間を守れなかったのは確かに成明に非がある。だが、門前にあんなに怨霊を置いておくお前にも問題があるぞ。いくら名目上とは言え、表立ってはお前が当主なのだからな。それから、賀茂家の霊場の件は、おれがやらせた。秋陽のこともあるが、それだけではない。お前もわかっておるだろう、秋陽の先見の力を。秋陽には保憲どのもいるが、この世に体をもたぬおれと保憲どのではたかが知れている。賀茂家の方は保憲どのがなんとかしてくれよう。和成、お前はもう少し力を抜くことを覚えろよ』
「では、晴明公は成明には非はないと…?」
『まったくないわけではないがな、もう少し息子の話も聞いてやれ。成明、お前もいつまでも和成相手にびくびくしてるものではないぞ。父を越えられずにいてどうする』
「うるさいな、ほっとけよ」
むっとして成明は晴明を見る。晴明はにやりと薄い唇の端を上げて笑った。
『さて、そろそろ本題に入らぬか、和成。成明を呼んだのは説教のためではあるまい?』
「それは…晴明公もご存知なのですか?」
『知らぬさ、だから話を聞きにきたのであろうが』
飄々と抜かす晴明を見て、和成はなんともいえない表情をした。和成としては晴明を神格化しているふしがある。いや、現代人はそのようなところがみんなあるのだが。
実際の晴明はといえば飄々としていて、つかみ所がない。直接目の当たりにしたら驚くのは無理もないのかもしれない。
「晴明公がお亡くなりになって1000年たった今も、晴明神社は大変な賑わいを見せているのですが…その晴明神社に、おかしな投書があったということなのです」
『投書?』
「投書と言って良いものかわかりませんが、なにやら謎解きのようなものでして…土御門家は安倍家の末裔、名目上は私が当主ですので私に依頼が来たのですが、実質の当主は成明ですから、これは成明に片付けさせようと…」
『ふふん、成明、仕事だそうだぞ』
「父さん、本気で言ってるんですか?俺はまだ学生なんですけど…」
「冗談でこんなことを言うか。当主はお前だというのは土御門本家で知らないものはいない。何が起きているのか、きちんと調べて来い」
「うげぇ…」
「成明!晴明公のまえで"うげぇ"とはどういうことだ!」
「す、すみません、父さん」
成明にとっては晴明はいるのが普通であって、たまにしかまともに会話することもない父の方が恐怖なのだ。
『まぁ良いではないか、和成。それで、その謎解きの投書、お前が持っているのか?』
「え、えぇ…これです」
手元の書類ケースから取り出し、晴明の前に出す。それを見て、すぐに晴明は手を口元に寄せた。
「…晴明!」
『黙っておれ』
成明が立ち上がろうとしたところを晴明が制する。晴明が呪を唱え終わると、その紙は霧散した。
「晴明公…?!」
『和成にはわからぬか。これには僅かながら呪詛が込められていた。まぁ、たいしたものではなかったがな』
「それは…失礼いたしました。私にはあまり陰陽家としての力はありませんもので…」
『気にするな、和成。ひとには持って生まれた資質というものがある。お前には十分陰陽師としての力はあるさ。だが隠そうとしている呪を見破るにはそれ以上の力がいるのさ。成明にはそれが備わっている。それがわかっているからこそ、早々に当主の座を退いたのであろう?』
「えぇ…そういうことです」
『お前は間違ってはおらぬよ、和成。さて、成明。お前、この呪に気付いたのであろう?気付いたことはあるか』
「平家武士のときと同じようなものを感じた」
『ふふん、上等だ。では、晴明神社へ赴くとするか』
「え!今から?!」
『当然だ。外は黄昏、逢う魔が時。そしてやがて夜の闇が訪れる。それこそおれの出番と言うものよ』
少しだけ楽しそうに笑って、晴明は姿を消した。…とは言っても、成明には見えているのだが。
「成明、晴明公のお話をよく聞いて、この務めを果たせよ」
「…わかりました」
「これに、あの投書に書かれていたことを記してある。先に書き写して置いて正解だったかもしれんな。あとは頼んだぞ、成明」
「はい」
じゃあ、行ってきます、と言って成明はその場から離れた。思いもよらず晴明が父の前に現れてくれたおかげで成明はこってり絞られることはなかった。だが、釈然としないところもある。
もちろん、さっきの呪詛のこともあるが…
「晴明」
『なんだ』
「お前、オヤジの前でも姿だせるんじゃねぇか」
『ふふん、和成にも陰陽師としての力があるからな。それがなくば、おれとてまた形代に入らねば見えることはない』
「なんだよ、だったら昔からいたんだから姿見せればいいじゃないか」
『何故そんなことをする必要があるのだ』
「……誰もお前がいるのを信用しなかったんだぞ、昔は。それで俺がどんな目にあったか、知ってんだろうが」
『お前な……仮にもおれはもうこの世にない人間なのだぞ。早々他人の前に顔を出すわけにもいくまい』
そんなことよりおれを助けろ、とぶつぶつ成明は呟いていた。もちろん晴明の耳には届かないように。
『さて、成明。まずはおれを祀っているという晴明神社へと行くとするか』
「晴明を祀るなんてどっかおかしいよな。しかも参拝客も多いときてるし。こんなヤツだって知ったら絶対行かないよな、みんな」
『お前、祖先に向かってなんということを言うんだ』
僅かに溜息をつきつつも、晴明は先ほどの呪詛について考えていた。何が起こっているのか、何をしようとしているのか。
この世は平安の時代より何十倍も平和になっている。わざわざ晴明神社に投書をするということに、何らかの意味があるのだろうか。
そんなことを考えつつ、晴明は成明とともに晴明神社へと足を向けた。
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