理由 かつて晴明の屋敷跡地に立てられたという晴明神社。今は晴明の屋敷跡地からはすこし離れたところにある。そして今現在、この晴明神社に詣でている人のなかで、ここに晴明がいると言ったとしたら、信用する人間はいるのだろうか。 『わざわざ面倒を起こすなよ、成明』 「そんなことしねーよ」 『いま、よからぬことを考えたではないか』 「え」 ふわふわと成明の頭の上にいるのは安倍晴明その人である。実態を持たないその姿を見ることができる現代人はそういない。もちろん、晴明自身が姿を見えないように術をかけているというのもあるが。 「んで、どうするつもりなんだよ、晴明?」 『どうするといわれてもなぁ。とりあえず本堂にでも行くしかあるまい』 それだけを言うとすぃ、と晴明は本堂へと向かった。成明はそのあとを追いかけていく。参拝客からしてみれば何事かというところだろう。境内の中をまっすぐ通りぬけていく人はそうそういないのだから。 「成明さん、お久しぶりです」 「こんちは」 ぺこりと頭を下げてきたのは禰宜(ねぎ)の人だ。 宮司に会いたいと成明は告げて、禰宜のあとに続いた。晴明神社は参拝者が多い。平日の夕刻すぎになっても、まだ参拝にくる者がいる。よほど胡散臭くないかぎり、こんな時間帯に…などという理由では不審者が見つけにくい。 「成明さんがお越しくださったのですね。ということは、ちょっと事は大きいということでしょうか?」 「いえ、そんなことはないと思いますよ。一応晴明神社でのことですから、挨拶がてら見て来いって感じでしたんで」 「そうですか」 明らかに安心したような息を漏らす。それもそうだろう、神社において呪詛されるなどあってはならないのだ。政治に左右されるわけではないが、事は穏便に済ませたい。それはたとえ神社でなくてもそうだろう。 「それで、投書の件ですが…どういう風にその投書がされていたんですか?」 聞いてみると、投書は投げ文のようにされたらしい。夜半になにかの物音を聞いた宮司が外に顔を出してみると、何かを投げ込まれていた。一瞬ごみかと思って宮司はそれを拾い、捨てようとしたが、ちらりと文字が見えたことによりその投げ文を開いたということである。そして開いた投げ文に書かれていたのはなにやら暗号めいたもの。書かれていた文面には 逢う魔が刻の 神の御使い ゆらゆらと 舞い降りたるは 降りし雪の如くあり ゆらゆらと 舞い降りたるは 降りし御霊の如くあり 神の御許に影野火し』 と書かれていた。 何の事を言っているのかさっぱりわからない。晴明神社への投書、そして『神の御許』 に『神の御使い』と謳われたことにより、土御門家へ連絡を入れた。 晴明神社で起こった何某かの事はほぼ土御門家には伝えられている。安倍家の末裔である土御門家は晴明神社に置いて根本となる者だからだ。 「それにしても…なかなかなめられたもんですね」 「そう…なのでしょうか?」 成明がそう言うと、宮司は驚いた顔をして見せた。稀代の陰陽師と言われた安倍晴明を祀る神社に呪詛をかけるなど、成明にとってはバカにされてるもいいところだ。 だが宮司にはわからなかったのだ。この投書の呪詛が。投書には呪詛のための梵字が要所要所に埋められている。けれどそれは決して目に見えるものではない。だからこそ父である和成にもわからなかったのだ。 「えぇまあ…。それで、その投げ文があったのはどこですか?」 「たしかふと目が醒めて本堂の方に向かう途中でしたので…」 宮司に話しを聞いた後、成明は神社敷地内をゆっくりと歩き回った。それほど広い範囲ではない。晴明神社は庶民派とでもいうのか、それほど広大な敷地をとってはいない。 『自分が祀られているというのもおかしなものよ』 「晴明を祀るってのがまず間違いだからな、しかたないんじゃないか?」 『お前、そのうちこの晴明が呪ってやろうか?』 「うわ、晴明にやられたら一発で死ぬかも。そんなことより……どうだ、なんかわかるか?」 『成明はどう思うのだ?』 「あちこちにおんなじような呪詛の影があってなんか感じ悪ぃ。でもおおもとはここにないような気がする」 すこしだけ表情が引き締まる。 呪詛の気配はあちらこちらに飛んでいる。ダミーのようなものだろう、呪詛自体は埋められていない。そう考えると、相手は素人ではない。 平家武士のときと同じような感覚を覚えた、と投書を見たときに成明は言った。そしてそれと同じような気配の微弱なものがここに感じられる。 「晴明はどうだ?」 『おぬしとそう変わらぬさ。だが、ここに散布している気配は清めておかねばいかぬな。祝詞でも謳っておけ』 「げ、マジで?」 『先祖が穢されているのをお前は知らぬ振りをするのか?薄情な子孫だなぁ、成明よ』 「わ〜かったよっ!」 そう言うと成明はその散布している呪詛の一つ一つに近づき、静かに穢れを祓っていく。その穢れが祓われた境内や本堂は常よりも清浄な空気を持っていた。 「ずいぶん綺麗になったんじゃないのか?」 『ここは人の念が集まるところだからな。それを時折祓ってやらねばいかんのだ。だがさすがにそれを出来る者は少ない。成明はさすがにおれの子孫だけあって、資質"だけ"はあるようだな』 「だけってなんだよ!」 『成明はやる気が足りぬのだ』 「晴明にだけはそれを言われたくない気がする…」 ぶつぶつと言いながらも成明は次々と祓っていく。呪詛そのものがなくても、人の念が呪詛のかけらのようなものを強力化させることもある。人の念だけで呪詛となりうることがあるように。 それもあり、本当は成明は晴明神社に常に訪れるようにしなければいけないのだが、成明自身が陰陽師という生業を好んでいるわけではないため、それをしていない。今は父の和成がその役目をやっているが、呪詛が混じると常とは変わってくるのだ。 「なぁ、晴明?」 『なんだ』 「俺が土御門の家、継げると思うか?」 『……どうした?』 「確かに俺は晴明が見えるし、陰陽師の修行もしてきた。でもな……やっぱり小さい頃に思った"こんな力がなければ"っていうのは、消えない。晴明が見えるのは嬉しいんだけどな。後継ぎとかそういうの、あんまり考えられる年でもないってのもあるけどさ。もし俺が継ぎたいと言ったとして、出来るのかと聞かれたら……俺は出来ないような気がする。俺には晴明がついてるから大丈夫だ、なんて無責任なことも思いたくないしな。それに……」 『それに?』 「俺が昔の天皇の生まれ変わりだから、お前はここにいるんだろう?」 土御門成明は、晴明が生きた時代の天皇の転生した人間。土御門成明がその天皇の転生後の人間でなかったならば、晴明は現れることはなかっただろう。それは、成明自身を認められていないような気がしてならない。 『………おぬし、頭悪いだろう』 「なんだよイキナリ」 『あの男の生まれ変わりだからここにいるのは否定せぬよ。それがなければおれはここに居るはずのないモノだからな。だがな、成明よ。おれがここにいて、守ってるのはあの男ではなく、おれの子孫の土御門成明だ。まぁ守っているというよりも鍛えていると言ったほうが良いかよ。馬鹿なことばかり言うてないでとっとと祓え』 くつくつと笑った晴明は、そのまますぅ、と姿を消した。成明にも見えないように、隠行の術を使ったのだろう。 「なんだよ、何で消えてんだよ」 『おれがいるとお前は頼るからな。ひとりでしっかりと祓えよ』 そう言ったきり、晴明は黙り込んだ。黄昏も過ぎた晴明神社に、夜の帳が降りてくる。晴明神社の呪詛の気配は消したものの、いまだおおもとはわかっていない。 それを考えると、ちょっと頭が痛くなりそうな成明だった。 |