12:癒し系?






 ゆきは緊張していた。かなり。
 ここはとあるビルの中である。ゆきの会社から徒歩10分といった程度の場所にある、それほど大きくはないビル。そのビルのロビーにあるソファに座って、固まっていた。
 ここは、スタイラス・プロモーションのあるビルである。龍二に連れてこられたのだ。
 このビルには、スタイラス・プロモーション以外の会社も入っているので、当然普通のスーツを着た会社員も通る。ゆきは中に入るわけではないけれども、スタイラス・プロモーションの人を待つためにここにいるのだ。どうにも緊張してしまう。
 偶然会った龍二に食事に誘われた。それはまあ良いとしても、なぜこんなことに。事務所のあるビルまで連れてこられたのは、龍二曰く「夜道に一人待ちぼうけさせられない」とのことである。
 とはいえども、まだ人通りも多い時間帯だ。別に危険もそうないだろうし、むしろ待ってるから外にいさせてください、とゆきは思ってしまう。関係のない会社のビルに入り込む方が緊張してしまう。しかも店とか入っているビルならまだしも、普通のオフィスビルだからなおさら。
 けれど、龍二が事務所に上がっていくときにしっかりと告げていった言葉があるのだ。

「落ち着かないかもしれないけど、少しだけここで待ってて。外に出たら、あとで酷いからね」

 そう言って微笑んだのだ。
 ……酷いって何をするのだろう。
 もちろん、ゆきは言葉に出さず、苦く微笑んで了解しておいたが。

「でもでもでも……うぅ」

 人が通るたびに緊張感が走る。何も普通のオフィスビルなんだからそこまで緊張することはない。営業だと思えばなんてことはない。のだが、ゆきは営業職ではない。たとえ関係会社だとしても、他所の会社のオフィスビルに入ることは滅多に無い。そしてここは、仕事とは全く関係のない場所。緊張するなと言われても無理だった。

「早く戻ってきてよー真幸さーん……」

 とはいえども、彼も台本を取りに行くだけと言っても仕事である。何か仕事の伝達などあれば、台本貰って『はい、お疲れー』とはいかないだろう。仕事の話をしてきてもおかしくはないのだ。
 そんな緊張感に包まれながら、ゆきは座っていた。
 そして、そんなゆきの視界に突然入ってきたのは、二人の女の子の姿だ。少し離れたところから、ちらちらと見ている。

「…………?」

 怪訝に思いながら、ゆきもちらりとそちらを見た。どう見ても、このオフィスビルに用があるような年齢には見えない。私服だし、大人っぽくは見えるけれどもおそらく高校生ぐらいの女の子たちだ。しかもビルの中に入ってくる様子はない。
 なんだろう、と思いつつ、ゆきはただおとなしく龍二を待っている。龍二が上がっていって10分程度、まだかかるかもしれない、そう思った矢先に、エレベーターが降りてきた。

「お待たせ、ゆきちゃん」
「あ……お疲れさまです。大丈夫ですか?」
「え、何が?」
「だって事務所行ってまだ10分ぐらいしか……何かやることあったんじゃないかなって」
「大丈夫大丈夫。ほら、台本も貰ってきたし。必要な話は一応してきたしね。それより、待たせちゃってごめんね。おなかも減ってるだろうし、早く店探して行こう」

 台本を入れた紙袋をぶら下げて、龍二はにこりと笑った。龍二がそう言うなら、ゆきにはそれ以上何も言えない。実際、こういう場合、長く話をしたりするものなのかどうかなど、わからないからだ。
 何を食べようか、などと話しながら、二人はビルを出た。ビルの自動ドアが開いて少し歩くと、そこには先ほどちらちらとビルの中を覗き見ていた女子高生らしき二人組みがいる。

「あ……!」
「え……っ」

 二人の女子高生がわずかな声をあげるのを聞いて、龍二とゆきは声のするほうを見た。女の子二人がびくっと一瞬身を縮ませたが、彼女たちは確かに二人を見ていた。

「あの……」
「はい?」

 女の子の一人が、声をかけてくる。ゆきが思わず条件反射で返事をしてしまうと、龍二があ、と小さな声で呟いた。

「真幸さん、ですよね。あの、いつも応援してますっ」
「え、あ、ありがとう」
「あのあの、ササササイン、もらえませんか?」
「あー……はい」

 ありがとうございますっ! と女の子が嬉しそうな声をあげて頭を下げる。ぱっとサインペンと手帳を出してくるあたり、このビルの近くにいたのは偶然ではなく、待っていたのだな、と思わせる。
 龍二は複雑な心境になりながらも、ささっとペンを走らせてサインをする。お断りをするというのもアリなのだが、二人しかいないのだし、そこまで愛想を悪くするわけにもいかない。
 この場にはゆきもいるからどうしようかと迷った龍二ではあったが、返事をしてしまったからにはどうも出来ず、変に無愛想にするのも申し訳ない気がしてしまうのでサインを了承した。

「はい、いつもありがとう」
「ありがとうございます!!」
「じゃ、オレたちはこれで。行こう」
「あ……はい」

 龍二に促されて、ゆきは龍二についていく。ちら、と後ろを振り返ると、女子高生二人は嬉しそうな顔をしていた。

「……真幸さんって優しいんですね」
「は!? いきなり何、ソレ」
「いえ、だってサインしてあげたじゃないですか。お仕事じゃないのに。芸能人の人って、そういうの断る人も多いっていうじゃないですか」
「あー……まあ、確かに。オレもあんまりしないかな。ほら、こういう仕事だし、声をかけてくる子も少ないんだけどね。小さい子ならまだしも、あのくらいの子が声かけると、『私オタクです!』って言ってるようなもんだし。それに……」
「それに?」
「ああうん、なんでもない。早く行こ、もうオレ腹減って泣きそう」
「泣きそうって」

 くすくすとゆきが笑う。それを見て、龍二も笑った。ちらりと龍二がまた背後を見る。背後には、あの女の子たちの影。何かを話している様子は見える。さすがにその表情までは見えないけれども。
 もしかしたらこれでまた掲示板にでも色々書かれるんだろうか。それもふと思いはした。サインしたんだから、できれば触れないでおいて欲しいなあ、というのはムリだろうか。
 そんな願望もあり、サインに答えたのだ。まあ、甘いのはわかってる。別に言われたら言われたで、別に週刊誌に書かれたりするわけではないし、なんということはないけれども、ゆきが悪評にさらされるのは……やはり、面白くはないなあ、と龍二は考えていた。



 この時間ともなれば、開いている店といえば、居酒屋などばかりで。

「ごめんね、いっつも居酒屋ばっかりで」
「え、いえ別に全然かまいませんよ。私お酒好きですし」
「なら良かった」

 そう言って届いたビールのジョッキをかちん、と合わせる。お疲れ様、と言って。
 ごくごくとビールを煽り、少しすると頼んでいた料理が届く。刺身や、揚げ物などなどなど。さすがに時間も時間でおなかがすいていたのか、二人とも箸の進みは速かった。

「そういえば、あれからずっと連絡してなかったけど……元気だった?」
「へ? あ、はい、元気ですよ。真幸さんは……やっぱり忙しそうですね」
「まあ、今のところは幸い、ね。安定した仕事じゃないから、仕事があるのは純粋に嬉しいよ」
「そうなんですか……やっぱり、真幸さんもオーディション受けたりとかってするんですか?」
「そりゃね。全部が全部オファーってことはまずないから」

 大変そうですね……とゆきが言うと、龍二は好きでやってることだしね、と笑った。
 龍二はなりたくて声優になったのだ。好きでこの世界に足を踏み入れた。だから、満足はしている。どれほど不規則で疲れようとも。

「ゆきちゃんはどうなの? 仕事の方とか、あの苦手な人とか」
「それはまあ……イライラしたりはするけど、なんとか。どんな仕事しても、やっぱりそういうのはあると思うし」
「確かにね……愚痴とかあるなら、聞くけど?」
「……愚痴、ですか」
「うん」

 愚痴がないわけではない。今日の仕事でそれこそイライラしていたのだ。ちやにイライラをぶつけるメールを送るほどに。
 けれど、思ったよりもすでに愚痴にするほどイラつくことはなくなっていた。思い返しても、苛立ちはない。あれほどの苛立ちだったのだから、思い出したら少しぐらいふつふつとしてしまうものなのだが、今思い出しても、それがない。

「えーっと……なんか今日、イラッとしてたはずなんですけど、忘れました」
「へ?」

 あはは、とゆきが笑うと、龍二がきょとんと目を丸くする。今日イラッとした、とまで言っているのに忘れてる、とはどういうことだろう、と。
 もちろん、内容によっては忘れてしまうこともあるだろう。問題が無いに越したことはない。けれど、ゆきはおっとりして見えるところもあるし、それほどすぐに怒ったりしそうにはみえなかった。
 そのゆきがイラッとしていた、というのだから、それなりにムッとくることがあったのだろうとは思うのだが、それなのに忘れてしまった?

「もしかして……オレに迷惑だから、とか考えてない? そーいうの気にしないでよ、オレが聞いたんだし、ゆきちゃんの日常だって聞いてみたいし」
「あ、いえそういうわけじゃ……。なんていうか、昼間にちょっとあったのはあったんですよ。でもなんか別にいま思い出してもイラつかないし、たいしたことじゃないなあって思えて。なんだろう、真幸さんとお話してたら癒されちゃったのかな」

 そう言ってゆきが笑うと、またしても龍二はきょとんと目を丸くする。龍二にとって、とんでもなく意外な言葉だったのだ。「友人」という称号さえももらえていない龍二が、ゆきの癒しになれたのか? と。

「癒された? オレと話して?」
「はい。なんか真幸さんと話してると、まったりした気分になるみたい」
「それはそれは……喜んでいいことかな?」
「癒してくれるひとって、結構重要ですよー」

 ゆきはそう答えて、ぱくりと玉子焼きを口に入れた。おいしー、などと言いながら、次々と料理に手を伸ばしてはビールを煽る。ちょっとだけオトコマエだ。
 そんなゆきを見て、龍二は思わず唇の端があがる。癒しをくれるひとは重要である。それは確かに事実だ。龍二だってそう思う。けれど「知人」としか言われていない自分が、その重要な「癒し」になる人間だと、ゆきは言う。「友人」と言われるよりも、何倍も嬉しい、と感じてしまうのは、何故だろう。

「真幸さん?」
「え?」
「どうかしました? あ、ビールおかわりしますか?」
「ああうん、貰おうかな。ゆきちゃんも呑む?」
「はい」

 ゆきが頷くのを見て、龍二はすいません、と店員を呼び、ビールを注文する。店員が下がっていくのを見て、ゆきと龍二はまだのこっているビールに手を伸ばし、飲み干した。

「そっかー、ゆきちゃんの癒しになれたかー」
「ええ、十分に。だって私、実は今日真幸さんの声聞いたら癒されるかなー、とか考えましたもん」
「え、本当に?」

 なんだろう、今日はゆきちゃんのバクダン発言が続いてる気がする。
 そんなことを龍二は思っていた。数回の飲み会のときも、自分から話題を出す、とか自分のことを話す、というところが少なかったゆきが、今日はなんだかよく話してくれている。
 しかも、龍二の声を聞いたら、などと考えていたなどと。
 それは、ゆきもまた龍二と同様に、相手のことを考えていた時間があった、ということであって。

「あ、はは、ちょっとそんなことを考えたりもしました。まあ、まさかこんな偶然会えるとは思ってませんでしたけど」
「それは確かにそうだけど……そっか、ゆきちゃんも考えてたんだ」
「も?」
「実はオレも、今日は久々にゆきちゃんに電話でもしようかなー、なんて考えてたんだ。別に何か用があるわけじゃなかったから、迷ってはいたんだけど。どうしてるかな、って思って」

 そうなんですか、と今度はゆきが目を丸くした。まさかそんなことを考えていたとは。そしてある意味、似たようなことを考えていたのだな、と。

「なんかこう……偶然が異様に多いですね、私たち」
「そうだねえ」

 思わずくすくすと笑ってしまう。
 始まりからどれほどの偶然を重ねてきただろう。いくつもの偶然がものすごく短期間で寄せ集っていた気がする。それはゆきも龍二も同じように感じていた。なんでもないことが、いくつも、いくつも。それがきっかけで知り合いになったのだけれども、そこまで重なる偶然は、驚くべきものである。
 そんなことを話していると、突然龍二の携帯が鳴り出した。ぶるぶると震える携帯を取り出すと、ディスプレイには『楠原』の文字。

「ごめん、クッシーからだ。ちょっと出るね」
「どうぞどうぞ」
「もしもし?」

 ゆきがにこりと笑って答えると、龍二が携帯電話に出た。電話の向こうは、なにやら賑やかである。

『もしもーし、あなたのクッシーでぇっす』
「いらんわ」
『冷たいなあ。今なにしてんの? 仕事終わってる?』
「ああ、終わってメシ食ってるとこだけど……なんか後ろうるさいな、どっかで呑んでるの?」
『うん。マサもどうかなーと思って電話してみたんだけど、もう帰っちゃった?』
「いや、外だけど。今日はパスしとくよ、明日は朝から録りあるし」

 そう言ってから、龍二はふと思った。そういえば、相手が楠原ならば、ゆきと一緒にいることを告げても良かったのではなかったか、と。けれど龍二のそんな思考はお構いなしに、というよりも知るはずもなく、楠原は言葉を続けた。

『そっか、じゃ、しょーがないな。ところで、ゆきちゃんに電話した?』
「えっ! あ、いや、まだ、かな?」
『何どもってんだよー。早く連絡ぐらいしろって』
「あ、ああまあ……そう、だな」

 ちらり、と龍二は自分の前に座っている人物を見た。さすがに本人が目の前にいると、最初に言わなかっただけに少し言いづらい。その上、相手が目の前にいるというのに、その人物の話をするのはなんだか緊張してしまう。

「?」

 龍二が自分を見たのに気づいて、ゆきは首を傾げた。きょとんと目を丸くして瞬かせている。私? と聞いている顔だ。龍二は思わずぶんぶんと首を横に振り、視線を逸らして、声を潜めた。別に隠そうとしているのではなく、なにやら気恥ずかしいのだ。

『マサー、お前なあ、どうせなら早く行動に移せよー。このくらいの時間なら、電話も繋がるんじゃないの? のんびりメシ食ってないで、電話ぐらいしろよ』
「あ、ああ……そ、そうだな」
『なんだよ、まだなんか迷ってんの? 大丈夫だって、ゆきちゃんだって別にマサのこと嫌ってはないだろうしさ。っていうか、そんなのんびり構えてると、とんびに攫われるぞー』
「な、なんだよ、それ」
『何って、誰かに取られちゃうかもよって。あ、その前にゆきちゃんって彼氏いるのかな。聞いたことない気がする。ちゃんとその辺も聞いとけよ、もう彼氏いたりしたら、なかなか隙は無いかもしれないしさ』
「おおおおおまえ、なななななに言ってんだよっ。オレは別にそんなんじゃ……!」
『アレ、違うの? ホントに? ホントーに違うの? ゆきちゃんに実は彼氏いる、とか言われたら、ちょっとショックだったりしない? ほら、想像してみろ?』
「ババババババカッ! いいからもう、切るからな!」
『あー、はいはい。早くゆきちゃんに電話しろよー。俺の格言わすれんなよー』
「格言?」
『偶然が何度も起こると思うな! ってね。まあ、そのうち『運命』とかになってるかもしれないけどなー。んじゃ、またなー』

 ぷつり、と携帯電話が切れた。アレは軽く酔っている。間違いない。そう思いながら、龍二ははあ、とため息をついた。ゆきと一緒にいると、何故最初に言わなかったのだろう。そう言っておけば、楠原だってあんなことを言わなかっただろうに。

「あの……真幸さん? どうかしました?」
「え、な、何がっ?」
「何か顔紅いですけど……」
「なななななななんでもないよ」

 ゆきは向かいの席で首を傾げている。これでは不審人物だ、と龍二だってわかっている。けれど、いきなり緊張状態に置かれた心臓は、いまだバクバクしている。

(ちくしょー……クッシーのせいだ……)

 ヘンなところで、楠原は勘がいい。けれど、龍二自身、本当にそんなことは考えてもいなかったのだ。ただ、せっかく知り合えたのだから友達ぐらいにはなりたいな、とそれぐらいだった。それは彼の中の事実である。
 けれども、楠原の目にはそうは映らなかったようで。彼の野生の勘にはどんな風に映っていたのか。今の電話で、なんとなく確実なものが見えた気がした。
 そしてその見えた確実な楠原の勘は、龍二にとって緊張を誘うものであり。
 本人を目の前にして、電話越しで「誰かに取られないように」などという会話は、心臓にいいものであるはずがない。

「……偶然が、またあったんだよ、クッシー……」
「え? 何ですか?」
「ううん、なんでもない……んだけど、いっこ、聞いてもいいかな」
「はい?」

 電話をしてから明らかに様子が違う龍二に、ゆきは首を傾げながらもどうぞ、と答えた。そうゆきに答えられている間に、龍二の想像が脳裏に走る。
 ゆきに彼氏がいるか、いないか。
 楠原いわく、いると言われたらショックじゃない? と。脳裏に走ったのは、ゆきのその解答だった。……少し、緊張が走る。

「真幸さん?」
「あの、さ……ゆきちゃんって、彼氏いるの?」
「は?」

 あまりに唐突な質問に驚くのもムリはない。龍二は楠原と話をしていたから唐突ではないけれども、ゆきにとっては唐突だ。それまでの話題と、なんら関係もない、本当にいきなりの質問である。
 ぽかん、と口を開けたゆきを見て、龍二は慌ててごめん、と謝った。

「いいいいきなりゴメン、ちょっと聞いてみただけっていうか……そういう話、しなかったなー、と。それに、彼氏いるのに、男と二人で呑みにってちょっとまずかったかな、とかさ」

 慌てて言い訳を連ねる龍二に、ゆきはいまだにぽかんとしている。むしろその弁明をしている龍二の姿にぽかんとしているのかもしれないが。

「あー、確かにそういう話ってしませんでしたねー。付き合ってる人は、今はいませんよ」
「そ、そうなんだ」
「はい。あ、真幸さんこそ大丈夫なんですか、私と二人でご飯なんて……」
「え? 平気平気。オレ、彼女とかいないし。そっか、そうなんだ」
「?」

 ゆきからの答えは、龍二の脳裏に走った想像とはまったく逆のものだった。そしてそれに、少しばかりほっとしていた。もちろん、そんなことは口にしなかったけれど。
 そして一方、ゆきのほうもまた、同様だった。
 龍二に彼女がいるのかどうか、考えなかったわけではない。それに、相手は芸能人だ。いくら表に顔を出すことが少ないと龍二が言っていても、現実に彼のファンという人たちがいて、彼の顔を知っているファンも当然いるのであって。そんな人と、二人で外で、など大丈夫なのだろうか、と思っていたところはある。
 けれど、そのうちの一つは、解消された。
 龍二に、付き合っている人はいないと本人から聞かされて、安心するような、良かったと思うような、妙な開放感のようなものがある。

(……なんでほっとしてるの、私?)

 ふと、そんなことを考えていた二人の視線がぱちっとぶつかる。

「あはは……いきなりヘンなこと聞いてごめんね」
「え、いえ、別に。あ、く、楠原さん、大丈夫でした? 仕事の話とかじゃなかったですか?」
「うん、呑みのお誘いだから大丈夫」
「いいんですか?」
「え、もちろん。楠原と呑んでるより、ゆきちゃんと呑んでるほうがいいもん」
「……そ、それはどうも」

 さらりと言った龍二の言葉に、思わずゆきが赤面する。それを見た龍二は、あれ、今何かヘンなこと言ったっけ? と首を傾げていたが、おそらく、龍二が気づくことはないだろう。
 それは、龍二の本心だったから。





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