14:初デート?






 窓から見える外の景色は、たくさんの傘の色で飾られている。それを横目に見ながら、ゆきは助手席でゆったりと座っている。天気が悪い上に合流したのが夕方だったために、すでに外は薄く暗くなってきている。街頭や通り沿いの店、ライトを灯した車たちが、街に彩りを加えていく。

「真幸さん、普段はあんまり運転しないんですか?」
「あー、うん。移動で使えたらいいんだけどね、都内での移動だから渋滞に巻き込まれる可能性も多いし。あと、駐車場が近くにない場合もあるからさ」
「そうなんですか」
「それに、ものにもよるけど、現場によってはすごい人数集まるからね。部屋だってたくさん持ってる会社だったりしたら、ある程度の駐車場はあっても、いくつもの収録が重なったら足りなくなったりするよ」
「あ、そっか……ひとつの会社でスタジオがひとつってことはないですもんね……」
「そうそう。むしろそういう会社のが少ない」

 楽しそうに笑いながら、龍二は運転を続けている。軽く話しながらのドライブの行き先は、ゆきも知らない。向かっているのは東京湾方面かと思われる。が、車に乗らないゆきは道にあまり詳しくはないので、ただ車が走っていくのを見ていた。
 どこに行くんですか、と最初に聞いたのだが、どうしようかなー、という返答とまあ、お楽しみで、という答えで終了した。

「ところで、買い物って何買ったの? 何も持ってないみたいだけど……見てきただけ?」
「あ、レンジを買ったんです。さすがに持って帰れないから、配送頼みましたんで」
「レンジ? 壊れちゃったの?」
「そうなんですよ。いきなりうんともすんとも言わなくなっちゃって。まあ、長年使ってましたからね、もう寿命だったんだと思いますけど」

 十年ぐらい使ってましたからねぇ、とゆきが笑った。

「十年! すごいね、かなり長持ちしたんだね」
「そうなんです」
「あ、でも、だったらもっと早く連絡すればよかったかな」
「へ?」

 龍二の言葉に、ゆきがきょとんと目を丸くする。龍二はにこやかな表情をしてはいるものの、さすがに運転しているからずっと正面を向いたまま。時折ちらりとゆきの方を見るのは見るのだが、さすがに運転手だと顔を見て話すのは難しい。

「もっと早く連絡しておけば、レンジ持って帰れたじゃない。オレ、車だし」
「いやいやいやいやそんな!」
「いやが多いよ、ゆきちゃん」

 くすくすと龍二が笑うが、ゆきは慌てた顔のままだ。龍二の好意はありがたいものだが、さすがにそれはあつかましすぎる。というか、そうなったら家まで持ってきてもらわなければならないではないか。ありえない。
 そんなことをゆきが考えているのがわかったのか、龍二はくすくすと笑っていた。
 車の中にはBGMがふたつほど流れている。小さな音で流れる音楽、それから、車の屋根や窓をたたく、雨の音。
 すっかり辺りが暗くなったころ、龍二がゆきを呼ぶと、外、と言われ、ゆきは視線を窓の外にやった。
 そこから見えるのは、長く続く赤い光。ずっと続いていくそれは誘導灯だ。羽田空港の赤いランプが、綺麗にまっすぐに伸びていく光景が見えた。

「うわぁ……」
「ちょっとだけ車停めようか」

 そう言ってハザードランプをつけて、龍二が車を停車させた。同じように、少し先には停車している車がある。その車の中でも、地上の星を堪能しているのだろう。さすがに駐車場ではないので、それほどいられるわけではないけれども。

「ずいぶん来ちゃいましたね」
「そう? でもほら、せっかくドライブなんだし、景色のいいところぐらい行きたいじゃない。嫌いじゃなかった?」
「ぜんぜん! むしろすっごく好きです。綺麗ですよね」
「うん」

 嬉しそうにゆきが微笑むのをみて、龍二もまたにこりと微笑んで頷いた。
 外は雨が降っているために、車の中から見る景色は雨粒に少しだけ視界を邪魔されてはいるものの、それでも地上の星の輝きは綺麗に見える。むしろ、雨でいくらかぼやけたこの光景を見るのがはじめての龍二にとっては、新鮮だった。

「雨粒で光がじんわりにじんでるのも綺麗ですね。雨の羽田ってはじめて」

 ゆきが遠くに目をやったまま、嬉しそうにそうつぶやいた。龍二はそれをきいて、目をきょとんと丸くする。ちら、と龍二の顔を見たゆきもまた目を丸くして首をかしげた。

「あれ、なんか変なこと言っちゃいました?」
「あ、ううん。おんなじようなこと、今思ってたからさ。雨で窓のそとがはっきり見えるわけじゃないんだけど、にじんでてもちょっといい感じだなーって」
「ですよね。よかった、変なこと言っちゃったかと思った」
「そんなことないよ」

 くすりと龍二が笑って、また視線を外に向けた。
 ぼやけた視界の向こう側で、赤いランプが点滅していた。



 店の中は、ほどよく静かだった。雨のせいで客足も鈍っているのだろう。

「うーん、やっぱり車だとお酒が飲めないのが悔しいな」
「それはまあ……仕方ないですね」
「だよねー。あ、ゆきちゃんは呑んでもいいからね」
「そんな、真幸さんをさしおいて……ワインでも飲もうかな」
「わーい、最初の『そんな』が意味をなしてないー」
「やだなあ、冗談ですよ」

 羽田ドライブを済ませた二人は、そこからまたしばらく車を走らせて、にぎやかな街の中に戻ってきた。もともと「ドライブをして食事」という予定だったので、適当な店に入ったのだ。とはいえども、龍二は運転をするから、酒は飲めないので、居酒屋は避けられたのだが。
 いくつかの料理とピザを一枚頼んで、もりもり食べる。その間、他愛のない会話を楽しみながら、二人は食事を続けていた。

「ゆきちゃんは休日とかって何してるの?」
「へ? まあ、掃除とか洗濯とかして……あとはぼけーっと。ちやと一緒にいることも結構多いから、テレビ見ながら色々話したりとか、気が向いたら買い物に出たりとか……ですかね」
「そうなんだ。ちやちゃんと仲良いもんね」
「いつの間にか行動が似てきちゃうくらいには。真幸さんこそ、お休みって不定期じゃないですか。何してるんですか?」

 むしろ龍二の場合、まともに一日休みがあるということもあまりないようなことは、ゆきも聞いている。しかも不定期な上に、時には一日のうちの数時間だけ仕事、という場合、どうやって過ごすのだろう、と疑問に思えるのも無理はない。
 龍二はいうーん、と首を傾げて考え込む様子だ。

「一日休みがあるときは、まあ、掃除とか洗濯とかはやっぱりするかなあ。たまに友達と遊びに行ったりもするけど。家にいるときは台本読んだりとか資料のビデオ見たりとか、原作の本とか漫画読んだりもするよ。あとゲームしてることもあるし。一日じゃないときは大体その日の台本をチェックしてることが多いかなあ」
「原作とかってやっぱり読んだりするんですか?」
「全部じゃないけどね。やっぱりホラ、自分の好みもあったりするから、現場に置いてあるのをちょっと読むだけのときとかもあるし。原作が無い場合は資料をみっちり読んでおかないといけないかな」

 そういう話は、やはりゆきにとっては新鮮だ。サービス業と事務経験はあれども、そういった不規則な仕事はしたことがない。というより、特殊すぎるのだから。
 台本、といったら、どれぐらいの厚さなんだろう、そのセリフを覚えたりするんだろうか、アフレコといったらどういう風にするのだろう、などなど、ゆきにとって未知の世界に興味はある。
 その興味に答えるように、龍二も色々説明してくれ、ゆきの中ではイメージが膨らんでいく。そして、龍二が仕事をしている姿も。

「録りの時間帯によっては、おなかが鳴りそうでやばいときとかあるんだよねー。だからいっつも現場にはお菓子とかあってさ」
「じゃあ、収録の前にお菓子食べたりしてからやるんですか」
「そうそう。それのせいってだけじゃないけど、ついつい欲張って食べたりしてさ、太っちゃうんだよねえ」
「って、真幸さん、全然細いじゃないですか!」
「一時期太ったんだよー。なんとか復活したけど」

 そうかなあ、とゆきが疑った顔をする。なぜなら、以前ネットでちやと一緒に見た龍二の写真は細かった。今とそれほど変わらなく見える。それを考えると、太ったといっても、ちょっぴり体重に出たぐらいだろうなあ、と思えた。
 が、さすがにどれくらい、と聞くのは失礼だ。当然、ゆきもそんなことを言葉にはしなかったけれども。

「ゆきちゃんは、仕事中におやつとか食べないの? なんか事務のお仕事してる人って、机の引き出しにお菓子が一杯入ってるって人とかイメージあるけど」
「そういう人もいますけどね。私はないですよ、甘いもの嫌いだし」
「え、そうなの!?」

 ゆきの甘いもの嫌い発言に、龍二が目を丸くする。もちろん嫌いな人もいるだろうけれども、龍二の身近には「あまり食べない」という人はいても「嫌い」という女の子はいなかったのだ。
 やはり女の子といえば甘いものが好き、というイメージは少なからずある。それはおそらく、龍二に限らないだろうけれども。

「数ヶ月に一回、ひとくちぐらいなら食べようかな、って気にもなりますけどね」
「ほんとにダメなんだねー」
「女の子が幸せそうな顔して甘いものを食べてるのを見るのは好きなんですけどね」
「……なんかそれ、オヤジっぽいよ」

 さらりとゆきが言った言葉に、思わず龍二は苦笑いしていた。
 面白いなあ、などと龍二が思っていたことは、ゆきは知らないけれども。




 車に戻って、帰り道のドライブが始まっていた。窓の外は夜に包まれ、街のネオンが輝いている。道はそれほど混んでいないのが幸いして、車は楽に走っていけた。
 龍二が運転を始めて、十分程度経った頃、おやと思った龍二がちらりと助手席を見た。助手席に座っているゆきが、突然静かになったのだ。
 少し前まで、外の景色を見ながらぽつぽつと会話をしていたのだが、いきなり車内がシンと静まり返ったので、龍二が様子を見ると、助手席で静かに目を閉じているゆきが目に入った。どうやら、眠ってしまったらしい。

「疲れちゃったのかな……?」

 ふわりとかすかに微笑んだ龍二は、また正面を向いて運転を始める。けれど、龍二の思考の中では、少し困ったな、と思っていたのだ。
 なぜなら、龍二はゆきの家を知らないから。
 以前、タクシーで近くまでは行ったことがある。けれど、そこまでの道も確かなものではない。
 かすかな記憶を辿りながら、この辺りだったような……? という自信のないまま、車を走らせる。まあ、せめて近場まで行ってから起こせばいいか、と龍二は眠り姫を乗せたドライブをはじめた。
 そしてそれから数十分後、ゆきは龍二によって目覚めさせられる。それまで、一瞬たりとも目を覚まさなかったのだから見事だ。

「ごごごごごごごめんなさいっ!」
「いや、そんな謝らなくても。っていうか、ごめんね、着いたら起こしてあげる、なんてカッコいいことできたら良いんだけどさー。なにしろオレ、ゆきちゃんの家知らないから……タクシーでこの辺まで来たと思うんだけど、あってる?」
「えーっと……」

 龍二に起こされて飛び起きたゆきは、勢いよく謝りまくり、龍二に場所を教えて、といわれて窓から外をきょろきょろと見る。

「…………ご、ごめんなさい、真幸さん」
「え?」
「うち、こっちじゃなくて……反対方向です……」
「え! うわ、やっぱりオレの記憶アテになんねーっ! えーっと、どの辺? ナビに登録しちゃって!」
「え、いやでも」
「だって登録しちゃえば道順でるし。はい、住所いれて」
「は、はあ……」

 はい、とリモコンを手渡されて、ゆきはびくびくしながらも住所を入力していく。ちなみにびくびくしているのは、触ったこともない機械だから、使い方が良くわからないからだ。
 住所を入れて、地図の中央に旗のイラストが出てくる。その状態で、ゆきが龍二にリモコンを渡すと、ありがとう、と言ってその住所を登録した。
 カーナビから『道順を検索します』という機械的な声が響き、地図に赤い線が引かれる。その線が道順なのだろう。

「うわー、もしかして思いっきり行き過ぎたのか、オレ」
「行き過ぎたというか、回り込んじゃったというか……って感じですね」
「ごめんね、帰るの遅くしちゃって」
「そんな! そもそも私が寝ちゃってたせいですし……真幸さんも疲れちゃいましたよね」
「大丈夫、たいしたこと無いよ。じゃ、行きますか!」

 龍二が運転を再開し、よろしくお願いします、とゆきがぺこりと頭を下げた。運転を代わることは出来ないので、ゆきはおとなしく座っているしかなかった。
 運転再開からそれほど時間は経たずに、無事にゆきの家の前まで車が辿り着いた。ゆきの家の周りは住宅街で、静かだし、暗い。タクシーの時はほんの少し手前でゆきが降りたのだが、今回は龍二の了承も得られず、しかも正直にゆきがナビに住所を登録したおかげで、家の前まで車を停められることが無かったのだ。
 ちなみに、この辺で、と言ったゆきに龍二が行った言葉は「却下」の一言である。龍二にはこの暗い中を家の前以外で外に出すのは許せなかったらしい。

「ありがとうございました」
「いえいえ、だいぶ遅くなっちゃってごめんねー」
「いえ、私は明日も休みですから……というか、真幸さんは明日もお仕事ですよね? 遅くまですみません」
「平気平気、明日午後からだし。それに誘ったのはオレだし、謝らないでよ。楽しい休みになったし、ありがとうね」
「こちらこそ」

 にっこりと龍二とゆきが笑いあって、お休みなさい、と挨拶を交わしてからゆきが車のドアを閉じた。
 そのまま、家に入ろうとしないゆきと、ゆきが家に入るのを見送ろうとしている龍二が、じっと動かずにいた。

「……なんか、前に電話で似たような光景があった気がするんだけど」
「……私もなんか思い出しました、ソレ」
「入って! ほら、ゆきちゃんが帰ったらオレ行くから!!」
「真幸さんこそ行ってくださいよ! 私はそれこそ、家に入るだけなんですから!!」

 顔は笑っているけれども、二人とも譲る気がない。これから運転して帰るのは龍二で、ゆきは家に入るだけ。
 けれども、外は暗いし、いくら家の前とはいえども、やっぱり家に入るのを見届けるまでは安心できない。
 お互いに、相手を思ってのことなのだが、そういうところの行動は似通っているようだ。

「ダメだよ、まだ雨降ってるんだし!」
「たいした雨じゃないですよ、こんな小雨ぐらいっ。それより、真幸さんがおうちに着く頃に大雨になったらどうするんですかっ」

 一瞬の無言、けれど視線は決して外れることなく。先ほどまで浮かんでいた二人の笑顔は、隠れ始めている。

「ゆきちゃん、オレに安心させると思って、早く家入って。いくら小雨だって言っても、いつまでも雨に濡れてたら風邪ひいちゃうし」
「真幸さんこそ、私を安心させると思って行っちゃってください。ここからご自宅までどのくらいかかるかわかりませんけど、すぐに落ち着けるわけじゃないんですし。それに真幸さんは明日仕事あるんですし」

 とりあえず、お互いに心配してくれていることもわかっているだけに、一瞬どうしようか、と思ってもいるのだ。それでもやはり、自分のことより相手のこと、というのが勝っているだけで。

「…………」
「…………」
「いつまでもこうしていても仕方ないですね」
「そうだね」
「じゃあ、こうしましょう。私もすぐに入りますから、真幸さんもちゃんとすぐ出てください」
「それしかないか。じゃ、そうしよう。ちゃんとすぐ入ってね」
「はい。それじゃあ、おやすみなさい」
「うん、おやすみ。また今度ね」

 お互いにうん、と頷いて、龍二はギアチェンジをし、ゆきはくるりと踵を返した。そして一緒に、動き出す。そして、龍二はバックミラーで、ゆきは少しだけ後ろを振り返って、家に帰っていった。

「ちょっと強情だったかなあ」

 一人になって、最初に呟いた二人の言葉は、同じものだったとは、誰も知らない。


 それからしばらくして、ゆきの携帯電話に一通のメールが入った。

『今日はどうもありがとう!
 ちゃんとうちに着いたからね!
 また遊びにでも行きましょう。
 どこか行きたいところでも考えといてね!

 龍二』

「良かった」

 ちゃんと家に着いたことを龍二が連絡してきてくれたのだ。
 ゆきはほっとした顔をして、龍二にメールの返事を送っていた。





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